聖女と刺客 2
「あなた、魔族だったの……?」
すっかり更けた夜。雲に隠れていた月が顔を出して、窓から射し込む光が彼の人間離れした美貌を怪しく照らし出す。
赤い瞳は魔族の特徴だ。この見た目なら確かに目立たずに魔族領に入り、私のところまで来るのは容易だっただろう。
しかも、魔力の高さの証である純度の高い赤。多分この人、レドリーさんより強い。
けれど、何故魔族が、しかもここまで強い魔力を持つ人が、教会に聖痕を刻まれて使役されているんだろう。神への信仰が深く魔族を敵視しているこの国で。
そもそも対魔族の結界は? なんで彼はここに居られるんだろう?
私の混乱も疑問も予想通りだったのだろう。彼は表情ひとつ変えずに語り始めた。
「俺の母は人間ですよ。純粋な魔族じゃないから結界の効果も薄いんでしょう。母は魔族の男に襲われて、望まない子を産みました」
魔族にはほとんど見られない金髪は、おそらく彼の母親から受け継いだものなのだろう。黒いフードは彼の素性を物語るような容姿を隠すためのものだったのだ。
「母は俺の魔力に耐えきれず、俺を産んですぐ亡くなった。俺は魔族の血を引く呪われた子供で、親殺しの罪人です」
相変わらず彼の顔は歪な微笑みで固定されていて、真意を悟らせまいとしているようだった。
「本来ならすぐ殺されてたはずなんですけど、教会にとっても俺の魔力は魅力的だったんでしょうね。俺はあくまで人間で、魔族の血を抑えるためという名目で聖痕を刻み、こういう汚いお仕事を沢山させる道具にした」
黙っている私に構わず、彼は次々と言葉を繰り出す。歪んだ笑みはだんだんと狂気じみてきて、これはきっと仮面なんだろうなと思った。彼の心を守るための仮面だ。
……ああ、なんて。
「可哀想でしょう、俺。しかも見てくださいこの目。今の魔王がいなかったら俺が魔王って呼ばれてたかもしれませんね。なのにずるいよなぁ、自分だけ救われちゃってさ。俺にも少しは分けてくださいよ。ねえ、聖女サマ?」
「……せない」
「ん?」
「許せないこんなの!! 絶対おかしい!! あなたは何も悪くないじゃないですか、なのに、なのにそんなの」
そんなの、あんまりだ。ただ生まれてきただけで存在を否定されて、その身の安全を盾に従わされて。
教会は誰かの幸せを祈る場所のはずなのに。悲しくて悔しくて、涙が出てくる。
ふと彼の方を見れば、意外そうな、不思議な顔をしてこちらを見ていた。
「なんですか」
「いや、確かに同情させようと思って話しましたけど、まさかそんなに怒るとは」
「怒りますよ! だって私、そういう人のためにこそ神様はいるんだって思ってたのに。神の名のもとにそんなことが許されてるなら聖女なんて今すぐやめてやる!! 神様のバカ!!」
「うわー超不敬」
そもそも私は聖女になってからろくな事がないんだ。戦わされたり、バカ王子に関わることになったり、攫われたり。聖女になったおかげでヴェルドさんに出会えたことだけは感謝してるけど。
「もう外しちゃいましょうよそんなの」
神様なんてもう怖くないもんね! それより苦しんでる人を助けたい。だって聖女って本来そういうもんでしょ。
「いや……外し方失伝してるらしいんですよこれ」
「私、外せますけど」
「は?」
「諸事情あって殺さずに魔王を無力化する魔法を探してたので、昔の聖女が残した古文書読み漁って解読しました。その中に聖痕の外し方があったの覚えてます」
「……マジで?」
「マジです」
聖痕の付け方は見つからなかったけど、外す方法や部分的に解除する方法は見れた。多分、こういう悪用されてる人を助けるために残したんだ。
その資料たちは聖女しか読めないように魔法がかけられていて、おまけに書かれている言語が古代文字だったので私が自力で解読するしかなくて本当に大変だった。吐くほど勉強したのは後にも先にもあのときだけだと思う。
彼は呆気に取られて目をぱちぱちと瞬かせた。今まで見た中で一番間抜けな顔をしていて、少し溜飲が下がる。
「あ、いや、でも外すと教会にバレて」
「じゃあ応急処置として術者とリンクは繋いだまま命令権だけ外しましょうか? 命令の内容は伝わるようにしとけば外したことは隠せますね。術式を書き換えれば……なんでそんなビックリしてんですか」
「いや、あんたそんな優秀そうに見えないから」
「外すのやめますよ?」
「超賢そうな聖女様お願いします」
土下座する勢いでお願いされた。
ふふん、これで立場は逆転だ。こんな驚かれるほどの魔法を身につけてたのになんで私は王国では出来損ない扱いされてたんだ。もっと評価してよ私を。
土下座をやめた彼のすぐ目の前に私も正座する。緊張感が走った。
「……じゃ、始めますよ」
大きく彼が頷くのを合図にその右手を取る。聖痕に手を翳して魔力を込めれば白い光が浮かび上がった。やり方は知っていても実践するのは初めてだ。慎重に、丁寧に術式を紡ぐ。
ここを、消して。文言を付け加えて。あとはこことここを繋ぎ直して……。
心臓が煩い。私ひとりの手に人の命がかかっている重圧。
負けちゃダメだ。そう言い聞かせて作業に集中する私には、固唾を飲んで見守る彼の姿も、首筋を伝う汗も、知覚できなかった。
「……よし、できた! これで晴れて自由の身ですね!」
「なんか、あんまり実感ないですね」
聖痕が刻まれている右手をヒラヒラさせながら彼がそう言う。そりゃ聖痕そのものはついたままですし。命令がくるまで実感はないと思いますよ。
「……はぁ。いいんですか、俺、本当はヤバい罪人であんたに外させるために嘘ついて同情を誘ったのかもしれないですよ」
私ははたと動きを止め、彼の方を見る。
「……確かに!!」
「アホなんですか?」
そんなこと全く考えてなかった。もしかしたら私の浅はかさが原因で取り返しのつかない事が起きてしまっていたかもしれない。
「でも、あなた私が聖痕外せるって知らなかったみたいだし、本当にそうなら今すぐ私の事殺すとかして逃げてるんじゃないですか?」
「……鋭いのかアホなのかわからん人だな」
「そもそもこれは非人道的な禁術。例えあなたが大罪人でもやったらダメなことです」
そう、だから私のやったことは間違ってない。セーフ。ドヤ顔で胸を張ったら、彼は呆れた顔でこちらを見ていた。解せぬ。解せぬけど、私はさっきからずっと考えていたことを彼に切り出した。
「真剣な話していいですか」
「はい、どうぞ」
「私と一緒にここから逃げませんか」
予想通りだったのか、彼は大した驚きも見せずに応答する。
「俺のメリットは?」
「無事逃げられたら私が聖痕を完全に解除します。これであなたも私も本当に自由の身です」
勿論、逃げたら結局教会に追われるかもしれない。彼にはこのまま部分的な解除だけで教会に身を置く選択肢がある。
でも、本当にそれでいいの?
彼が本当に望んでいることはきっとそんなんじゃない。確信はないけど、そう思った。
静寂の中私たちは真剣にお互いを見る。
数分後、根負けしたように脱力した溜息を吐いたのは彼だった。
「……はー、本当にアホですねあんたは。そういうことは普通さっき解除する前に言うんですよ」
「だってそれは命を盾にした脅しでしょ? あなたに聖痕つけて縛っていた人たちと同じやり方はしたくない」
私は彼と対等に取引をしたかったのだ。
黙ってこちらを暫く見た後、一瞬穏やかな微笑みを見せて。それはさっきまでの歪んだ笑みじゃなくて、きっと心からの安堵だった。
その後すぐに強気にニヤリと笑って、彼は言った。
「……いいよ、乗ってやる。あんたに協力するよ」
……勝った。
「契約成立ですね」
私も同じようにニヤリと笑い返す。
こうして私は心強い協力者を得たのであった。




