聖女の逃亡作戦
あれから何度かアリシアさんとは作戦会議をした。私は彼女がいない間にそれをまとめ、彼女がこっそり持ってきてくれた紙に記しておく。
私が今いる塔は国のほぼ中心、神殿のすぐ傍にある。
魔族領は南西方向。南西側には山が広がっている。西側の麓には他国へと繋がる街道が通っているので、人通りはそこそこ多いみたい。
この山を隠れ進めば近いし逃げやすそうだけど、私は土地勘がないから、迷えば迷うほど見つかるリスクが上がる。アリシアさんはお姫様だから山道なんて歩かないので、詳細まではわからないみたいだし。かと言って、白昼堂々人通りの多い街道を行けばすぐに見つかる。ままならない。
アリシアさん曰く、扉の外には見張りはいないみたい。けど一応鍵はかかっているし、私だけが出られない、または出たら何か困ったことが起きるような仕掛けがされている可能性は高い。まずは調べてみる必要がありそうだ。最悪窓から飛び降りても防御魔法で無傷着地はできるかな。
ここ数日で得られた情報はこんなものだった。怪しまれるといけないのでアリシアさんはここにあまり長居はできない。正直逃亡作戦の進捗は芳しくなかった。
「はぁ……なんとかならないかなあ」
何か手がかりがないか、部屋を見回す。
この部屋は元々聖女がお勉強とか修行に使う部屋みたいで、聖女とは、みたいなことが書かれているっぽい本がたくさん置いてあった。
……なんかいっぱいあるし、さらっと見てみるか。一応。前に散々読まされたけど。
「えーーっと、なになに?」
聖女とは神の遣い、とかそういうのはいいんだよ。聖女の心得的なのも結構です。見飽きたんです。もっと本質的なこと書いた本とかないんですか?
「……!」
本たちをパラパラめくって物色していたら、気になるタイトルのものを見つけた。
『聖女はなぜ生まれるのか?』
それは宗教的な話よりも、歴史的事実をまとめた書物のようだった。
魔王は魔族の王である。魔族は闇の魔力を持つ種族で、赤色の瞳が特徴。実力主義で、魔王には魔族の中で最も強い者が選ばれる。この辺りは私もよく知っていることだ。
その中でも、何百年かに一度、世界を滅ぼす程の力を有した魔王が生まれることがある。そういう魔王は例外なく人間や世界に悪影響を及ぼし、人々は災厄と呼んだ。
その原因は未だに不明。けれど災厄が生まれるとき、必ず呼応するように聖女も生まれる。聖女は神の力である光の魔力をその身に宿し、魔王の使う闇魔法を無力化し、封じることができる。
災厄レベルの魔王は世界の誤作動。聖女はその制御装置として神に遣わされる。
著者はそういう解釈のようだった。
つまり、この本によると、多分ヴェルドさんは災厄で、私が制御装置。
「……なんだそれ! そんなわけないじゃん!!」
ヴェルドさんは世界滅ぼそうとなんてしてないのに。なんですか、人の恋人を勝手に災厄扱いして。失礼しちゃう。
でも、こういう背景があるからここの国の人達は制御装置……つまり私を確保しようと躍起になるわけか。理屈はわかった。
制御装置が肝心の魔王の元にいると考えると確かにやばそうな気がする。囚人が檻の鍵持ってるみたいなものだもんね。
本の続きを捲ると、過去の『災厄』についてまとめてあったけど、大概が人間やら世界やらをめちゃくちゃにしようとして聖女に倒された、のパターンだった。聖女が倒してなければ今世界は存在しないので、当たり前といえば当たり前だけど。
ちなみに、災厄の魔王でしたが特に事件は起こさず平和に暮らしました、は本当に書いてなかった。
強い力を持つとそういう風になってしまうのか、それとも彼らをそうさせるトリガーがどこかにあるのか。はたまた何もしなかった人のことは観測しようがないので記録に残っていないだけなのか。詳しいことは何もわからなかった。
優しいヴェルドさんを見ていると、記録に残らないだけじゃないの? と思ってしまう。恋人フィルターがかかりすぎだろうか。
……でも。もし万が一。彼がそうなってしまったら? 私が彼と戦って、止めなきゃいけないんだろうか。
「……あー! もう考えるのナシ!!」
べしん、と頬を叩いた。こんな状況で嫌な想像なんてしてられるか! そんなことよりヴェルドさんのかっこいいところを思い出そう。
そんなことをしていると部屋の扉が鳴って、窓の外を見ると陽が高く昇っていた。ああもうお昼の時間か。アリシアさんと作戦会議の続きをしなきゃ。中から返事をすると、ギィ、と音がして扉が開く。
「聖女様、お食事をお持ちしました」
「……あれ?」
私のお昼ご飯を持って部屋に入ってきたその人は、アリシアさんではなかった。
「え、ア……いつもの人は?」
名前を呼びかけて、引っ込める。アリシアさんとたくさん会話をしていたことを悟らせてはいけない。
私がそう尋ねると、その人は肩をびくつかせ、怯えるように身を縮こませた。
嫌な、予感がする。
「……なにかあったんですか」
その人は答えない。けど、反応的に何かがあったのは間違いなさそうだ。
「……必要なこと以外会話を交わさないように、と言われておりますので」
「お願いします、前の人がいまどうしてるかくらい」
「やめてください!」
私のお昼ご飯をテーブルに置き終わり、離れていこうとする彼女に伸ばした手は振り払われた。
「わ、私は投獄されたくありませんから!」
彼女ははっと目を開き、口を手で抑える。言ってはいけないことを言ってしまったんだろう。そのまま怯えた様子のまま扉の向こうへ走り去ってしまった。
……投獄。彼女は確かにそう言った。
もしかして、アリシアさんが私の味方をしていろいろと情報を流していたことがバレてしまった?
どくん、と心臓が嫌な音を立てた。背筋が冷たくなる。
そういう可能性を、考慮していなかったわけじゃない。でも、彼女はお姫様だから。王の妹だから。きっと大丈夫だろうって、そう言い聞かせていた。
――私は自分が逃げるために、彼女を危険な目にあわせていた。その事実から目を背けていたんだ。
運んできてもらったお昼ご飯は、一口も喉を通らなかった。




