従者たちの奮闘
レドリーさん視点の番外編です。
2部開始する前に投稿するはずだったのですが忘れていました(懺悔)
「セイラが足りない。今すぐ帰りたい」
「真顔で何言ってんだあんた」
眉間に皺を寄せ恐ろしい目つきで考え事をしていた(原因はおそらく寝不足の)我が主、魔王は堂々と惚気を吐いた。死ぬほどどうでもいい。思わずこっちも真顔になる。どうせそんなことだろうとは思っていたけれど。
セイラ様と正式に婚約をしてからこの人は、疲労が極限になってくるとたまにこういうことを言うようになった。ベタ惚れを包み隠す余裕がなくなって滲み出ているのだろう。
そこそこ長い付き合いのこちらからすると、随分と変わったものだなあ、と思う。
側近候補として私が彼に出会ったのは、先代魔王様が亡くなってすぐのことだった。何故私だったかといえばなんてことはない、彼の次に魔力が高かったからだ。普通の者では近くで仕事なんてできないから、自動的に一番耐えられそうな私が選ばれたのだ。
その頃の彼は視線も魔力の気配もピリピリしていてどこもかしこも鋭利な刃物のようで、周りの彼に対する評判も酷いものだった。そもそもあの曇りのない真紅の瞳で射竦められて平気でいられる魔族なんていない。それは私も例外ではなかった。
今思えばあれは一瞬たりとも気が抜けない、という彼なりのこの国を背負っていく覚悟がそうさせたのであって、決して周りを脅すためではなかったのだとわかる。しかしその頃の私にそんなことを理解できるわけもなく、もし不興を買ったらどうなるんだとか、戦々恐々としながら日々を過ごしていた。
彼への印象が少し変わったのは、先代が亡くなってひと月ほど経った頃。
「魔王様……またこんなところで寝て」
彼は度々執務室で机に突っ伏して眠ってしまう。それを案じ、起こそうと近寄ったときだった。彼の目に涙が光っているのを見たのは。
理由はわからない。聞けるわけもない。けれど、確かに彼にも血が通っていて、感情があるのだと今更ながらに気づいた私は彼に毛布をかけ、傍らに置かれていた書類の山を回収して執務室を後にしたのであった。
その毛布を彼がぶっきらぼうに私の方へ渡してきたのは次の日のことだった。
「昨日の、お前だろ。ありがとう」
面食らった。まさかそんな言葉をかけられるとは思っていなかったから。だからつい本音がこぼれてしまったんだと思う。
「お礼とか言える人だったんですね、あなた」
「お前は意外と失礼なやつだな」
一瞬沈黙が流れた。背筋が凍るあの感覚を今でもよく覚えている。そのまま流れるように土下座をしたのも。
「大変申し訳ありませんあのですね今のは」
「いや面白いからその感じで頼むわ。その方がやりやすい」
「……は」
ニヤリと悪そうな笑みを浮かべてそれだけ言って、彼は仕事に戻っていった。その言葉どおり、それ以降私がどれだけ率直な物言いをしても彼は激昂することも私を罰することも無かった。
それなりに長い間仕えてきて感じたのは、彼は常に気を遣って生活している、ということ。自分の魔力が他人を恐れさせていることを理解しているから、他人と一定の距離を取っている。だから多分、求めていたのだ。気を遣わず軽口を言える相手を。
それからしばらくして新しい側近、クレアが派遣されてきたときには私と彼の会話に大層面食らって固まっていた。それでもすぐに慣れた彼女の順応性は素晴らしいと思う。
「先輩、お茶どうぞ」
「ああ、どうも」
「なんか魔王様、事前に聞いてたのとだいぶ違う感じなんですけどどういうことです?」
「ああ……まあ、人の噂なんてあてにならないってことですかね」
「本当にそうですね」
「婚約者候補として、彼はどうですか」
不意に核心をついてみたら、彼女は盛大にお茶を噴き出した。
「……やっぱり気づいてらっしゃる?」
「当たり前でしょう。どうせ長老あたりが余計なお世話を働いたに決まってます」
「はい、大正解です」
クレアの口から語られた真実は、魔王様に嫁候補がちっとも現れないことを心配した長老が、適齢期の女性の中で最も魔力の高い者を側近として遣わした、という概ね予想通りのものであった。大方魔王様を射止めろとか言い含められているに違いない。傍迷惑な話である。
「私は魔王様が好きですよ。あくまで上司としてですが、政略的に結婚したとしてもそれなりに上手くいくんじゃないかと思います。だけど、そういうことじゃないじゃないですか。先輩ならわかりますよね」
悔しいことに、とてもよくわかってしまう。彼が求めているもの、必要としているものはそれではない。
彼女の魔力量でも魔王様の圧を完全に忘れるのは無理だ。それは魔王様も理解しているから、あの人は彼女を気遣ってしまうだろう。心から安らげる存在には、おそらくならない。
「魔王様に必要なのは私じゃないし、私に必要なのも彼じゃない。私はあの方に、お互いにもう絶対この人しかいないっていう人と出会って、幸せになってほしい。まだ付き合いは短いですけど、心からそう思います」
……ああ、あの方に対して同じ思いを抱いてくれるものが同僚になってくれて、本当によかった。
「けど、あなたでもダメってことは見つけるのはかなり無理がありますね」
「本当にそうなんですよね……」
「たまに人間が攻めてくるじゃないですか。あの中にいい感じに強い女の子がいたりしませんかね」
「もっと無理がありません?それ」
だからまさか、本当にそんな人が現れるなんて、私たちにとってもまさに青天の霹靂だったのだ。
「聖女拾ってきた」
「は?」
「しばらくうちで暮らしてもらうことになったから、世話は頼んだ」
「は??」
「あと俺しばらく魔法使えねーから、よろしく」
「はあ!?!?!?!?」
聖女を名乗る一行が魔王城を訪れ、魔王様の魔力が消えるという一大事。血相を変えて主の元へと参上した側近二人に、けろりとした顔で彼はそう言った。混乱する我々に軽く不親切な事情説明をした後、じゃあ頼むわ、とだけ言って我が主は件の聖女様の元へと去っていったのだった。
暫くの沈黙の後、無言で我々は視線を合わせる。
「レドリー先輩、な、な、なんですかあれは」
「私に聞かないでください」
「私より付き合いが長い先輩に聞かずして誰に聞くんですか、なんですかあのウキウキした魔王様。初めて見ましたが」
「言っておきますけど私も初めてだからねあんなの」
またしばらくの間沈黙が流れたが、多分考えていることは同じだった。
これは……その、なんというか……。
おそらく本人にその自覚はない。
はっきりとそう言えるほど強いものでもない。
けれども。これは。
……春が来た、というやつなのでは。
「……様子を見に行きましょう」
そう呟いたのはどちらだったか。
二人してコソコソ隠れるように様子を伺いに行き、我々は信じられないものを見た。
怯える様子も一切なく天真爛漫に魔王様に接する少女と、それを心底愉快そうに相手する魔王様の姿を。
「……超お似合いでは?」
「私もそう思います」
「やばいですってこれ。魔王様に怯えない人間なんて存在したんですね」
そもそも魔王様の魔力を封印したのも彼女だそうだ。魔王様程ではないにしろ、規格外の魔力。聖女と呼ぶに相応しいお人好しぶり。とんでもない逸材が現れてしまった。いや、むしろもう彼女を逃せば魔王様は一生独り身だ。そう思った。
「クレア」
「わかってますよ」
我々の意志は言わずとも一つだった。
少しでも彼女に居心地の良さを提供するため、クレアは侍女として聖女様を全力でもてなし、私は国に利用され戦わされた挙句捨てられた聖女の悲劇を盛りに盛って噂を流しまくった。それはもう持てる権力をフル活用した。
ちなみに、魔王様が強すぎるため、国民は正直平和ボケしていた。人間が攻めてきてもあの魔王様が負けるはずがないと思っていたし、聖女は魔族を傷つけなかったので、聖女に対する敵意はほぼなかった。おかげで民はみんな聖女様に同情的で我らが主との関係を暖かく見守っているし、当の聖女様も楽しそうに日々を過ごしてくれていて。
我が主の恋路がどうなるかは我が主と彼女次第である。だが、その道に立ち塞がる障害物をコソコソ撤去するくらいなら、我々にも許されていると思ったのだ。
紆余曲折を経て、魔王様とセイラ様が結ばれた日の夜、私とクレアは魔王様にバレないようこっそり祝杯をあげた。感受性の豊かなクレアはずっと号泣していた。
……そんなことを思い出し、二人の結婚式なんて見たらクレアは泣きすぎて干からびて死んでしまいそうだな、とその結婚式の準備を手伝いながら考える。思わずふふ、と笑みがこぼれ、魔王様に怪訝な顔でどうした、と聞かれた。
「少し思い出に浸っていたんですよ。あなたが結婚とは、感慨深いものですね」
「お前はオカンか」
「せめて父親って言ってくれません?」
「俺はどっちも嫌だ」
そう、我々は父親でも母親でもなく、二人のゆく道の障害物撤去係である。
ようやく見つけた、我が主の幸せ。それが我々の幸せでもあると心から思えるほどには、我々は主のことも彼女のことも大切なのだ。それを守るために、これからも障害物をコソコソ運ぶ責務を全うしようと心に誓うのだった。




