聖女と魔王の幸福について
次の日、王国を出るのは夕方だからそれまでは好きにしていい、とヴェルドさんから許可をもらったので、実家のケーキを持ってリリアとローレンに会いに行くことにした。
何度となくお邪魔したリリアの家で、久しぶりのお茶会だ。
「話は聞いたわ……大変だったのね、セイラ」
ふわふわのシフォンケーキにフォークを突き刺しながら、可愛らしい顔を悲痛に歪めてリリアが言った。
「まさかあのアルフレッド王子がそんな外道だったなんて、ショックよ」
一生の不覚、とでも言うように眉を顰めたローレンは、紅茶のカップを持つ手を震わせている。
もう私の身に起こったことはだいぶ知れ渡っているようで、二人の落ち込み様はすごかった。二人ともアルフレッド王子のファンだったしね。
「でも結果的には魔王様と婚約することになってよかったわね。セイラはああいう男性が好みでしょう?」
フォークで一口大に切られたシフォンケーキを口に運びながらリリアが言う。
「えっやっぱりわかる?」
「だって私達がいくらアルフレッド王子が素敵だって言っても微塵も興味を示さないんだもの」
「あと、三人で流行りのロマンス小説を読んで、美しい王子と無愛想な騎士のどちらがいいかって話になったときもあなたは一貫して騎士様を推していたわ」
綺麗な仕草で紅茶を飲んだローレンがそう付け加えた。流石親友というべきか、完全に見抜かれていた。
「そんなことより私達が聞きたいのは、彼との詳しい話よ!」
「早く喋りなさい!」
ずいっと乗り出してきそうな勢いで、目を輝かせた二人が尋ねてくる。ああ、懐かしいなあ。この恋愛話になると目の色が変わるところ、クレアさんとそっくりだ。私は今まで小説の話はよくしたけれど、実際に好きな人はできたことがなくて、二人の話を聞くばかりだったから、熱の入り方が違う。
自分が槍玉にあげられるのは落ち着かなくて、気恥ずかしくて、誤魔化すようにチーズケーキを口に運んだ。美味しい。
「……最初は、助けてくれたし、いい人だなって思った。あと見た目がかっこよくて」
「それからそれから?」
食い気味に続きを促す二人に、私はヴェルドさんとのあれこれを語った。いろいろと気遣ってくれたり、町に連れ出してくれたり、両親を思い出して泣いてしまった私を慰めてくれたり。思い返すにはちょっと照れくさい思い出の数々を。
特に城下町に行ったときに服装を褒めてくれた話や、私を王国に返すために気持ちを押し殺して早く魔力を取り戻そうとしてくれていた話は好評だった。ヴェルドさんを褒められるのは嬉しいけれどとても恥ずかしい。顔から火が出そうだ。
「思った以上に素敵な話だったわ……」
「あんなに怖そうな見た目してるのにね……」
「そうなの素敵なの。見た目も素敵だと私は思ってるけど」
今日の朝だって、二人に会いたい私の心情を察して私が言うより先に行ってこいって送り出してくれた。素敵すぎて本当に私でいいのか不安になるくらいだ。自然と表情が緩む。
「この様子なら、心配はなさそうね」
「!」
「もしかして、婚約は魔王の力で無理やり結ばれたものじゃないかって言う人もいたのよ」
「でもセイラったらとっても幸せそうなんだもの」
安心したように二人が笑う。幸せになってね、なんて言うから、もうこれは何がなんでも幸せになるしかないって思った。そして、それは彼が傍にいればきっと叶うのだ。
楽しい時間はあっという間に過ぎて、とうとう別れの時間が近づいてくる。わざわざ私の鞄を持ってリリアの家まで迎えに来てくれたヴェルドさんと合流した。私が鞄を持つと言ったのに頑なに離そうとしてくれなかった。
ちなみにそのイケメンぶりにリリアとローレンは色めき立ち、ヴェルドさんはそれを見て謎に満ちた顔をしていた。自覚がないところがずるいよね。そこがいいんだけど。
「じゃあ……行くね」
暖かい煉瓦の色をした城壁。陽の光を受けて輝く街並み。幼い頃からよく知っている、大好きな景色から、私はこれから離れるのだ。城門まで来れば感傷的にもなる。
両親や友人、私をここまでつくった人達が手を振る中、私は城門を潜った。
最後まで、懐かしい人達が見えなくなるまで私も手を振った。涙は、落ちないでほしい。視界がぼやけてしまうから。
最後の別れじゃない。また、みんなに会える。それを可能にしてくれるのは、右手を優しく握るこの人だ。沢山の幸せを運んでくれるこの手を、私は強く握り返した。
「お前の故郷は、いいところだな」
「そんなこと言われたら泣くからやめてくださいぃぃ……」
「もう泣いてるだろ」
いつもなら頭を撫でたあとに涙を拭ってくれるんだけど、生憎今は彼の左手は私の手を、右手は鞄を持っているせいか、優しく笑うだけだった。
「そうだ。帰りなんだけどな、魔方陣じゃなくてこいつに乗って帰ろうと思うんだが」
「え」
びゅうん、と強い風が吹いたと思ったら、目の前には大きな生き物。これはあの、彫刻になってた謎の生き物では。
「俺の騎獣だ。魔力を与えるとお礼に行きたい所へ連れていってくれる」
「えっ乗るんですかこれに」
「乗る」
いくらヴェルドさんといえども長距離の転移魔法を連発するのは疲れるらしい。騎獣と呼ばれるその生き物に乗せてもらえば、それなりに魔力は食われるけれど魔方陣よりましなんだとか。
なんでもないようにその背に乗ると、乗り方がわからなくてわたわたする私をひょいと片手で引っ張って、乗せてくれた。なんなのそれかっこいい。ていうか、この配置。私を後ろからヴェルドさんが抱きしめるかたちになってる。帰るまでずっとこうなの?
「行くぞ」
それにドキドキしている間もなく、ヴェルドさんは騎獣に指示を出したみたいで、翼を羽ばたかせ始めた。そうしてだんだんと宙に浮かんで、地面が遠くなる。
「えっちょ、待っ、え、ひぎゃああああああああああああ」
高い、速い、風すごいし、落ちたら、どうしよう。
ぎゅっと目を瞑って、手綱のような紐を必死で掴む。震える手を、後ろから回された手がそっと優しく包んだ。
「大丈夫だ」
「だっ大丈夫なんですか落ちたらどうなるんですかこれ」
「まあ落ちたら間違いなく死ぬが安心しろ、俺が魔法で落ちないようにしてる」
「本当ですか!?」
この人器用すぎないだろうか。というか魔法って便利すぎない?
ヴェルドさんが一人いるだけで世の中の面倒なことが全て片づきそうな気がする。洗濯とか、お掃除とか、買い物や部屋の片づけだって一瞬でぱぱっとできそう。私も練習すればできるようになるかな。
そんなことを考えていたらちょっとだけ余裕が出てきて、目を開けることができた。
「あ、景色綺麗……」
「お前がこれの彫刻が気になってるっていうから乗せてやろうと思ったんだが、そりゃ最初は怖いよな。悪かった」
「でも落ちないって聞いたら大丈夫になってきました」
速度を調節してくれたのか、風もさっきほど強くない。それに、背中に感じる温もりが、何より私を安心させた。
「空なんて初めて飛んだ……」
上空から見下ろす景色は、お城の窓から見るのとは全然違う。何より、空を泳ぐような感覚と、頬を掠める風が気持ち良かった。
「セイラ、左手貸せ」
「なんですか?」
ぎこちない動作で私の左手の薬指に、何かを嵌める。何かと思ってみれば、それは真紅の宝石を戴いた銀の指輪だった。
「っこれ……!」
「王国では婚約のときに指輪を贈る風習があるって聞いてな、急いで用意した」
陽の光を浴びてきらきらと輝くそれは、彼の瞳の色をそのまま写しとったようだった。
私が世界で一番好きな色。
「ヴェルドさんのバカ、こんなのずるいです」
「ずるい?」
「私ばっかりいろいろしてもらって……私、何もできてないのに」
「何言ってんだ。俺の方こそお前に貰ったぶんを返すのでどんだけ必死になってると思ってんだよ」
「私が何をしたっていうんですか!」
それ、冤罪かけられたときの台詞だろ、と笑われて顔が熱くなる。咄嗟に出てしまったものは仕方ないじゃないか。散々笑ったあと、ヴェルドさんはふと真面目な顔になって。
「……俺はどうにも、他人を威圧するらしい」
「顔の話ですか」
「違う。俺の魔力は強すぎる」
そうして始まった彼の話を聞けば聞くほど、顔の話ですか、なんて茶化していい内容ではなかった。
彼の魔力は強すぎて、無意識のうちに他人に本能的な恐怖を植え付けてしまうんだそうだ。戦う術を持たない人間が、猛獣に怯えるように、魔力の低い者は彼に絶対的な力の差を感じて屈してしまうらしい。
おまけに、幼少期は自分でも制御ができなくて、魔力を暴走させては町を壊したり、山ひとつ消し去ったり、時には怪我人も出してきたんだとか。
「お前は前、俺は市井にも慕われてるって言ったな。確かに皆俺を魔王として敬ってくれるが、それは尊敬や親愛ではなく畏怖だ。レドリーやクレアは魔力が強い方だから側で仕えてくれるが、それでもたまにびくつかせる。今まで攻めてきた人間も全員、怯んで帰っていった」
両親でさえも、彼に触れることはできなかったという。その孤独はどれほどのものだっただろう。
「だからな、怯むどころか真っ向から向かってきて、長年悩まされたこの魔力を無力化して、おまけにこの俺をただの人扱いするやつなんて今まで一人もいなかったんだよ。お前のおかげで魔力をなくして、普通の人間みたいに過ごして、それだけでも夢みたいなことだったのに、俺を引っ張って楽しい方へ連れてって、何でもないように笑いかけるお前に落ちるのは一瞬だったよ」
いっそ魔力なんてこのままずっと戻らなければいいと思った、と彼は自嘲気味に笑う。
「だから忘れてたんだ、お前にも家族がいることを。泣いたお前を見たときは後ろから頭殴られたような気がしたな。急いだのはお前のためじゃない、俺のためだ。このままじゃ本当におまえを縛りつけかねなかったから。そんなことしてお前に憎まれたくなかった。だからな、お前も俺を好きだって知ったらもう駄目だった。一生手放せねえと思った」
目に熱が集まって、視界が潤む。やばい、泣きそうだ。
「俺の葛藤も不安もお前は軽々飛び越えてくる。それがどうしようもなく悔しくて、嬉しくて、本当に、敵わねえよ」
もう、我慢できなかった。握り締めた手に、ぱたぱたと暖かい雫が次々と落ちる。
「お前は自分になんの力もないって思ってるみたいだけどな、聖女ってのは神の使いで、神ってのは人々に救いを齎すんだろ? それなら、お前は俺にとってまさしく聖女だったよ」
「ヴェルド、さんっ……」
言いたいこと、いっぱいあるのに。嗚咽に邪魔されて言葉にならない。私の涙腺、もっと頑張って耐えてくれ。家であんなに泣いたのに、涙っていうのは枯れることを知らないらしい。
「セイラ」
「っはい……!」
「俺を選んでくれて、ありがとう」
後ろから覗き込まれて目が合ったその表情は、きっと一生忘れられない思い出になる。
「愛してる、俺の聖女様」
初めて愛を告げられたときみたいに、彼は私の返事を聞く前にその唇で塞いでしまおうとするから、私はそれを止めて、精一杯笑って、言った。
「私も愛してます、私の魔王様」
これにて完結となります。ここまでお付き合いいただきありがとうございました!
これからは番外編をいくつか投稿しようと思っているので、よろしければそちらもお読みいただけると嬉しいです。




