聖女、帰郷する。3
そうして二人で歩き出した大通りにはたくさんの人がいて、当然の事ながら私とヴェルドさんは衆目を集めることとなった。小心者の私はこうも大勢に遠巻きに見物されるとどうにも居心地が悪くて、ヴェルドさんの陰に隠れるように歩いた。
「な、なんでみんなこっち見るんですか」
「聖女と魔王だからな」
「そうですけど、ヴェルドさんと違って見られるの慣れてないんですよー私は」
「俺だって別に慣れてるわけじゃない」
「嘘だ!」
やっぱり魔王となるべく育てられた彼とのほほんと生きてきた私ではレベルが違うようだ。ちょうどいいので私は魔王の威を借りることに徹する。
「ところで私、家族や友人と会いたいのですが」
「そうだな、行くか。まずは実家に――」
「セイラ!!」
そのとき、私の名を呼ぶ二つの高い声がヴェルドさんの言葉を遮ったと同時に、私に向かって誰かが飛び込んでくる。目の前で揺れる金髪と赤髪を、私はよく知っていた。
「リリア、ローレン!」
長いウェーブのかかった金髪で青い瞳をした、目鼻立ちのくっきりした少女がリリアで、真っ直ぐな赤髪をひとつに結んでいる茶色い瞳をした聡明そうな少女がローレン。二人は私の友人だ。
「久しぶり」
「久しぶり、じゃないわよ! あなたが死んだって聞いて、私どれだけ泣いたと思ってるの!?」
「そうよ、リリアと一緒にあなたのお墓に毎日、あなたの好きだった花を供えに行ってたのよ」
「そうだったんだね……心配かけてごめん」
「っ……セイラ、生きてて良かった」
「また会えるなんて夢みたい」
そう言って二人が涙ぐむから、私も泣きそうになる。
「ねえ、セイラ。話したいことがいっぱいあるのよ」
「あなたの話も聞きたいわ」
「ごめん、私もそうしたいんだけど、先に両親に会いに行ってもいいかな」
申し訳なく思いながらもそう伝えると、二人はすぐに了承してくれた。
「そうよね……私ったらごめんなさい」
「早くおじさんとおばさんに会いに行ってあげて」
「うん……ありがとう!」
二人に見送られて、私はまっすぐ家へと向かう。それに少し遅れるように、ヴェルドさんがついてくる。いつもと逆で、新鮮な気持ちだった。
「いい友人だな」
「でしょう?」
大好きな二人を褒められて嬉しかったから、私は得意げに笑った。
見慣れた街並み。連なる家々も、屋根の隙間からのぞく空も、頬を撫でる乾燥した風も、当たり前のように顔を出した小さなケーキ屋の、赤い屋根も。全部、私を形作ってきたものだ。
――ああ、私、帰ってきたんだ。
コンコン、と慣れ親しんだ玄関の扉をノックすると、ぱたぱたと足音がした。
この足音、お母さんだ。
はーい、と懐かしい声がして、ドアが開いた。私と同じ、翠色をした瞳がはっと見開かれて、どんどん潤んでいく。
「ただいま、お母さん」
大粒の涙が、皺の増えた目尻から零れ落ちたのと同時に、強く、強く抱きしめられた。大きな声を上げて泣く母の声を聞いて出てきたのだろう、父が家の奥から顔を出した。私と同じ栗色の髪には、確実に数を増やした白髪が混じっていて。
「セイラ……?」
「うん。ただいま、お父さん」
「お前……死んだって、聞いて」
「私、生きてるよ。触ってみる?」
右手で泣きじゃくる母を支えて、左手を父の方へ差し出した。恐る恐る、父の手が伸びてきて、触れる。
「……セイラ」
「うん」
「ほんとに、セイラなんだな」
「そうだよ」
その瞬間、父の頬を一筋の雫が伝った。それは次から次へと溢れ出て、地面を濡らす。
「よかっ……た……」
母とは打って変わって、噛み殺したような泣き声。そんな父の姿を見るのは初めてだった。
どれだけ心配をかけたんだろう。私が能天気に魔族領で暮らしている間にも、ずっと、二人はこうして泣いていたのだろうか。母の肩は細くなって、父の頬は心做しか痩けている。
それなのに私はまた、二人を置いていこうとしている。なんて、親不孝な娘なんだろう。
ごめんね、と私は何度も何度も謝って、泣いて、そうして三人とも声を枯らしてしまった。
「……お見苦しいところをお見せしました」
「……いえ」
そう言ってテーブルにつくヴェルドさんにお茶を出しながら、母は頭を下げた。
ようやく落ち着いた私たちは、ヴェルドさんも伴って家の中に入って、話をすることになった。ぶっちゃけヴェルドさんのことちょっと忘れてたとか言えない。
「セイラ、何があったのか話してくれるかしら」
真剣な顔で見つめる両親に、私は語り始める。魔王城で魔王と戦ったこと。ようやく勝ったと思って帰ろうとしたら王子たちに置いていかれて、帰れなくなってしまったこと。倒したと思った魔王は実は倒せていなくて、彼の厚意で魔王城に置いてもらって、そうして彼に助けてもらってやっと帰ってきたこと。それらを全部、話した。
「そして、この人が魔王ヴェルド。私の命の恩人で、最愛の人です」
父も母も、驚かなかった。多分、途中から何となく察していたんだろう。瞳の色で魔族なのはすぐにわかる。
「……私、彼と結婚する。彼は魔王で魔族領から離れられないから、これからは私も魔族領に住む」
「!」
「王国にも帰れるようにするって彼は言ってくれてるけど、そんなに帰っては来れないと思う」
はっと見開いた瞳が所在なさげに揺れた。そんな二人を見たら、私の選択は本当に正しいのか、と思ってしまう。けれど、もう迷っては駄目だ。私はこの人の傍にいるって決めたのだから。
やがて父と母の目が強い光を宿したものに変わったとき、二人は椅子から立ち上がって、深々と頭を下げた。
「娘を助けてくださってありがとうございました」
「……頭を上げてください。魔族領に迷い込んだ人間を助けるのも俺の仕事ですから。当然のことをしたまでです」
「それでもあなたがいなければ私達は娘と二度と会えなかった」
「……俺はあなた達からまた彼女を奪おうとしているのに」
自らを責めるような彼の声色に、全てを許容するような優しい微笑みを浮かべて、母は返した。
「……死んだと思っていた娘が、こんなに素敵な婚約者を連れて帰ってきて、遠くに嫁いでもまた会いに来てくれると言うのです。こんなに幸せなことはありませんわ」
その瞳には、じわりと涙が浮かんでいて、私も思わず目頭が熱くなる。
「どうか娘を、よろしくお願いします」
今度は私の番だった。我慢出来ずにどっと溢れ出た涙を拭くこともせず、二人に駆け寄って、縋り付いて、わんわん泣いた。
久しぶりの我が家に、母の手料理。懐かしくて懐かしくて、またしばらく味わえないと思うと涙が出そうになる。その度にヴェルドさんは慰めるように頭を撫でてくれて、余計に私は泣いてしまいそうだった。
この国の国民として過ごす最後の夜は、父や母と夜通し語り明かしても全然足りなくて、泣き腫らした目と名残惜しさを抱えてそのまま朝を迎えたのだった。




