聖女、帰郷する。2
会談は、特に混乱も衝突もなく終わった。
こちらの要求は、今後一切魔族領に攻撃をしないこと、魔族差別を解消し、魔族に関するきちんとした知識を国民全員が持つように努めること。それから、両国の友好の証として聖女を貰い受けること。その代わりに、魔族領は王国に侵攻しないし、王国が刺客を差し向けたことも許すということだった。
王国側はこれをすべて飲み、国王陛下はヴェルドさんに魔族領に攻め入ったことの謝罪と聖女の保護をしたことに感謝を述べ、私にも第二王子が私にやらかしたことを丁寧に謝ってくれた。一応クソ王子にも頭を下げられたけどどうでもいい。
「なんか拍子抜けしたな。脅し文句いくつか考えてたんだが」
「そうですね。私も婚約無効にする論理的なお話考えてたんですけどね」
「論理的……?」
「魔王を倒したら結婚っていう約束だったから魔王を倒せなかった以上成立しないっていう話ですよ! ほら論理的!」
「よく考えたな。偉い偉い」
「やっぱり私の扱いおかしくないですか!?」
ヴェルドさんは私のことをなんだと思ってるんだろう。
何となく聞こえてくる話だと、第二王子を支持する派閥の勢力が最近強くなってきていたらしい。具体的にいえば、王太子を廃して彼を次期国王に、そうしてあわよくば自分を重用してもらおうと考える連中だ。王太子殿下はとても有能な方だし、クソ王子とは違って人格者なので彼が王になればこの国は安泰だと思うんだけど、余計な野心を抱く人間はやっぱりいるらしい。
しかし第二王子が魔王を倒し帰ってきた英雄となったことで、今まで大して受け入れられなかったその声が徐々に大きくなってきたのだ。私は聖女だけど庶民だし、私と第二王子が結婚していれば後ろ盾のない王子が王になることはなかったのだけど、生憎私は死んでしまった。死んでないけど。そこに自分の娘を婚約者にして、と考える貴族が後を絶たなかった。
だから、第二王子のやらかしたことを公表して彼の権力を削ぎ、厄介な存在の私は魔王に引き取って貰えば王国としては面倒が全部片付くうえに魔族に怯えることのない生活を約束される、といいことづくめだったようだ。とりあえず平和に終わってよかった。ヴェルドさんの脅し文句とか絶対洒落にならないくらい怖いもん。ちょっと見たい気持ちもあるけど。
そんなことを考えながらてくてく歩いていると、ヴェルドさんが何かを思い出したように足を止めた。
「……あーしまった。王にまだ話すことあったんだった」
「行ってきますか?」
「ああ。ちょっと待っててくれ。すぐ戻る」
急ぎ足で去っていくヴェルドさんを見送って、私はこの場で大人しく待ってることにする。窓からは王都が見渡せた。住んでいた街を見下ろすのは、新鮮な気分だ。
私が景色を楽しんでいると、こちらへ向かってくる足音がした。
「セイラ、久しぶりだね」
背後から声がする。聞きたくもなかった声だ。今更何の用だ、と口には出さずに心で呟いたあとに、振り返った。
「お久しぶりです……アルフレッド殿下」
第二王子殿下は、その美しい顔に微笑みを浮かべた。
この世のものとは思えない美貌。王太子も彼と顔立ちは似ているし美形だけど、彼の美しさはちょっとレベルが違う。表情のつくり方から些細な仕草、声、髪や睫毛の一本までどこから見ても完璧な、非の打ち所のない人形めいた美しさ。どこかの誰かが神の領域と評したのも頷ける。
おまけに王家由来の豊富な魔力に、多彩な魔術、剣を取らせても騎士と渡り合う、いろんな才に恵まれた、本当に神のような人だ。生憎性格は最悪だったようだけど。
「あの日は本当に――すまなかった。この国のために命をかけた人にする仕打ちではなかった。僕はどうかしていた」
苦しげに懺悔する顔も、腹が立つほど美しい。この顔で謝罪されたら大体の女の子は許してしまうんじゃないかと思うくらい。
「……そうですね。でも私は別にもう気にしてません。むしろ感謝しているかもしれませんね、あなたのおかげで真に信頼し合える生涯の伴侶をみつけられたのですから」
気にしてないというか、どうでもいい。私は今ヴェルドさんと一緒にいて最高に幸せなのだ。王子の懺悔なんて興味が無いのだ。今すぐハゲてその美貌を台無しにすればいいとは思うけどせいぜいその程度だ。
彼の顔が一瞬、ぎこちなく固まった。けどすぐに仮面をかぶり直して続けた。
「……きみは、僕の婚約者だったじゃないか。それなりに僕のことを好いていてくれたと思っているんだけど」
「なんですかそれ、私あなたのこと好きだったことなんて一度もありませんけど。仮に好きだったとしても裏で陰口叩かれてあんなことされれば百年の恋も冷めます」
「それは……」
「それはってなんですか。いい加減にしてください。何がしたいんですか? 私を捨てたせいで王になれる可能性が潰えたのが悔しいのですか?」
「――王の座なんてどうだっていい」
「へ」
殿下が、初めて、声を荒らげた。
「なんなんだ、この僕が微笑めば大抵の女は頬を染めるのに、君はちっとも靡かないどころか特に興味もなさそうで。特に目立った所もない普通の女のくせに。ムカつく」
「えっ王子……?」
表情を不快そうに歪めた王子はさっきまでの奇跡の美貌は見当たらない。言葉遣いも別人みたいだし発言もなんかおかしい。ナルシスト発言もこの顔で言われると事実だしつっこめないのが腹立つ。
「ただ最後に見た君の呆然とした間抜けな顔は良かったな。最高だった。やっとムカつく奴から離れられたと思ったのに、なんで」
なんで、苦しいんだ。
そう言った王子の顔は、本当に苦しそうだった。苛立ちと、憎悪に似た何かと、それからもっと奥に見えるのは――
一瞬見せた切なげな表情は、すぐにこちらを嫌悪するものへと変わる。
「おまけにひょっこり帰ってきて、魔王と婚約?」
「痛っ……」
手首を掴まれる。虚弱そうに見える細い腕なのに、力は強くて、振り払えない。
「どこまで僕を苛立たせれば気が済むんだ」
「っいい加減に……!」
流石に危機感を覚えた私は、身を守ることだけには長けた自分の魔法を使おうと手を動かした。
途端、泣きそうな彼の瞳と視線がぶつかって。はっと息が止まった。
――僕を、見て。お願いだから。
そう、聞こえた気がした。
「……よう、坊ちゃん。俺の婚約者殿に何か御用か」
誰より安心するその声が、私を現実に引き戻した。
見れば、ヴェルドさんが私の手を掴む王子の手首を掴んでいる。口元を歪に釣り上げて笑う彼の目は少しも笑っていない。あ、これやばいやつだ。魔王様モードだ。
「魔、王……いっ」
ヴェルドさんは王子の腕を一瞬で捻り上げると、空いた手で胸倉を掴んでそのまま壁に叩きつける。王子だってそれなりに戦えるはずなのに、力の差は歴然としていた。
「悪かったな、こいつはもう俺のもんだ。今更気づいたところで遅えんだよ」
「っ……!」
苦しげに顔を歪める王子は、それでもヴェルドさんを睨み返す。あの、視線だけで人を殺せそうなヴェルドさん相手に。
「俺は聖女みたく心が広くないんでな。もう一度気安く触れやがったら殺すぞ」
そう吐き捨てて、ヴェルドさんはようやく手を離すと、そちらを見もせずに私の方へ足早に歩いてくる。私さえ置いていきそうなその足取りに、慌てて駆け出す。
ずるり、と背後で壁を擦って座り込む音がしたけれど、振り向かなかった。振り向いてはいけないと思った。
ついに我慢出来なくなった私が沈黙を破ったのは、そのまま王城を出て、通りに出たときだった。
「……ヴェルドさん」
返事はない。険しい顔をして、私の少し前を足早に歩いていく。そっと彼の右手に自分の左手を重ねると、一瞬びくっとした後にやっとこちらを向いた。
「今更あの人が私をどう思ってたか知ったところで、私の気持ちは変わらないですよ」
彼が、何を考えてるのかはわからないけど、反応を見る限りでは多分、今の私の行動は正解なんだろうなと思う。
「助けてくれてありがとうございます」
「……違う」
「?」
「お前の手首掴んでるの見てムカついた。ガキみたいだ。おかげであんな姿見せちまった」
「その方が嬉しいですし個人的にはすごく眼福でした」
あれを間近で見た王子が羨ましい。まあ、私はこちら側だからそう思うだけで自分に向けられたらまた話は別なんだろうけど。
「……前から思ってたが、お前の男の趣味絶対おかしいよな」
「おかしくないです」
「いやおかしい」
……あ、笑った。
よかった、笑ってくれて。好戦的なヴェルドさんもかっこいいけれど、やっぱり、こうやって穏やかに笑ってくれる方がいい。私が危険な目に遭うとああなってしまうなら、頑張って身を守ろうと決意したのだった。




