聖女、置き去りにされる。
白い光が降り注いだ。短い黒髪を撫でつけ、赤い瞳をした強面の男の表情が苦痛に歪む。
「これで終わりよ――魔王!」
曇りのない翠の瞳で真っすぐに男を見据え、栗色の髪をした少女が叫ぶ。長い戦いによってほぼ限界に近い中、彼女が最後の力を振り絞って放った光魔法は、この日のために必死に磨いてきたものだった。
魔王を倒す、ただそれだけのために。なぜなら彼女は聖女だから。故郷のため、世界のため、負けるわけにはいかないのだ。
一際明るい光が迸った後、ふっと掻き消えて、魔王城には静寂が戻る。
少女の婚約者である王子や仲間の騎士、魔術師たちが固唾を飲んで見守る中、ついに、魔王は倒れた。
「……やっ、た……?」
その言葉を皮切りに、へなへなと座り込んだ少女の元に仲間が駆け寄った。
「ついにやったんだね!」
「ありがとうセイラ。流石は聖女だ」
「君は我が国の英雄だよ」
口々に褒め称える彼らに、少女はへにゃんと笑い返す。
「帰りましょう、国へ」
王子が水晶のようなものを地面へ置き、それを中心に魔方陣が展開された。それは王族にしか扱えない国宝で、どこからであろうともその魔方陣の中にいる者を王城へ帰還させる、というものだった。
王子、騎士、魔術師の順に足を踏み入れ、少女もそれに続く。
――やっと、帰れる。
帰れる、はずだった。
「え」
どん、となにかに押され、少女は尻餅をついた。驚いたように目をぱちぱちとさせる。
まるで少女が魔方陣に入るのを拒むように、押したのは、騎士だった。
さらに少女が信じられなかったのは、三人ともが皆、少女を軽蔑しきった目で見ていることだった。
「悪いね」
はっ、と少女が目を見開く。
「俺、君みたいな地味な女とは結婚したくないんだ」
その言葉を最後に、三人は忽然と消えた。
魔王城に聖女を残して。
こんにちは。私、セイラ。聖女やってます。どうやら置き去りにされたみたいです。いやあ参ったなあ……
「……っざけんなァァァアアア!!!!!」
私は叫んだ。残りの人生でももうこんなに声出すことないだろうなってくらい叫んだ。どうしてこれが叫ばずにいられようか。
ただの町娘として生きてきて、ある日突然強い光の魔力を持ってることがわかって聖女だって言われて。やたらきらきらしいイケメンの王族や貴族と関わるのも魔法を使うのも戦うのも、全部初めてで何もわからなくて、褒賞は王子との結婚とかわけわかんないこと言われてもそれでも国のために必死で頑張ったのだ。私は。
その結果が、これ。
断崖絶壁にそびえ立つこの魔王城からは、私一人の力では帰ることができない。私はこれから先、魔族領で生きるしかないのだ。
彼らは表面上は優しかったけど裏で私のこと地味だ庶民だって笑ってたのは知ってたし、私こんな人と結婚するのかって悲しい気持ちになったりもしたけどまさかこんな暴挙に出るとは思わなかった。帰ったら婚約は辞退して、両親とのんびり田舎で暮らそうと思ってたのに。
こんな何も知らない、敵ばかりの土地で、一人でどう生きていけばいいの?
「地味で悪かったなこちとら好きで地味に生まれたわけじゃねーっつの」
誰もいないのをいいことに、聖女の皮をかなぐり捨て、私は奴らへの恨み言をぶつけ、奴らの消えた場所を何度も蹴った。悔しくて、悲しくて、涙が出てくる。
「だからって普通こんなことしないよね私のことなんだと思ってんだあのクソ王子いつかハゲろ」
「おい」
「そもそも私だってお前ら全然好みじゃないし寧ろ結婚しなくてよかったわ」
「……おい」
「もうさっきから何なんですか放っといてください」
背後から何度も私に呼びかける声に振り向いた。けれどすぐに疑問が浮かぶ。
……今の、誰?
「いや、これ以上俺の家壊されたら困るんでな」
鋭く光る赤い瞳に見下ろされて、視線がぶつかる。見上げるほど高い背丈によく鍛えられた身体。低くていい声をしたその人は、さっき倒したはずの魔王だった。
「ぎゃああああああああ」
私は叫んだ。さっきと同じくらい叫んだ。人生で二度もこんなに叫ぶことになろうとは夢にも思わなかった。
「元気だなぁお前、聖女向いてないな」
「えっなんでっなんで生きてるんですか」
「なんでって、お前が放ったやつ封印魔法だったのに死ぬわけないだろ」
「うっそバレてた」
「魔王相手に手加減とかいい度胸だな」
「だって!人殺すの怖いじゃん!!」
生きるものを傷つけるのが恐ろしくて、私は攻撃の魔法が使えなかった。浄化とか、防御とか、そういうのしかできなかった。それじゃ魔王を倒せないから、封印の魔法を覚えたのだ。攻撃の魔法よりもずっとずっと難しいらしいそれを、必死で練習したのに、どうやらこの魔王には効いていなかったらしい。泣ける。私の努力返して。
「……人、ねえ」
意外そうな表情を浮かべた魔王は、それからニヤリと笑った。如何にも悪そうな顔だ。
「お前、帰るところないんだろ?ならここに住めよ」
「え」
救世主がいた。えっもしかして魔王って実はいい人?
「安心しろ、ずっとじゃない」
話を聞くと、どうやら私の魔法が結構効いてたらしく、彼は一時的に魔法を使えない状態になってるらしい。
そのうち元に戻るだろうから、そうしたら彼が魔法でここを出て王国まで連れて行ってくれると。それまではここで暮らせばいいと。そういうことらしかった。
私の全力の魔法がその程度の効果だったのもショックだけどその程度の魔法のせいでこんな面倒くさいことになってるのも重ねてショックだ。
でも、どうして彼はそんなに親切な提案をしてくれてるのだろうか。だって。
「私あなたを殺そうとしたんですが」
「殺そうとしてないだろ」
「同じようなものです!」
彼が今魔法を使えないのも私のせいだし、城もちょっと壊れてるし、迷惑な存在でしかないはずだ。考え込んでいる私に彼は言う。
「魔族領に迷いこんだ人間を保護して返すのも俺の仕事だからな。時間はかかるが、必ず送り届けてやる」
でも、私は迷いこんだわけじゃなくて、王国の命とはいえ、自分の意思でここに来たのだ。彼を倒すために。彼が親切にしてくれる理由が見つからないけど、穏やかに微笑んでいる彼に何も言えなくなってしまう。
そもそも私はどちらにしろここから出られないのだし、彼の言葉に甘える以外の選択肢は端から残されていなかった。
「じゃあ……えと、よろしくお願いします」
ぺこり、と頭を下げた私に向けた彼の、屈託なく笑った顔は、強面を少しだけ優しげに見せて、王国で教えられたような悪逆非道な魔王には見えなかった。
こうして私は、魔王城の居候となった。