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LV.0の出産(後編)

「子宮が開ききったから、分娩室に行きましょう。人が足りないので、旦那さん。手伝って下さい」

 

 やったぁ! やっと、この痛みから解放される。

 陣痛と息子のスーパーキックのコラボで、心身ともに疲れ切っていた私は、それ以外の事が考えられなかった。

 後から考えると、旦那は少し前の時点でも立ち合いをどうするか迷っていたので、助産師さんに手伝うように言われた時はギョッとしたと思う。それでも一緒に私を運んでくれたので、本当に有難かった。もしも手伝うのは嫌だから頑張って歩けと言われたら無理だと泣き叫んでいた気がする。まあ、すでに叫びまくっていたけれど。

 陣痛室なんて初めて入るし、早々入れる場所ではないから、今後の参考にしっかり見ておこう――なんて陣痛前は思っていたが、いざ出産で入った時は、そんな事どうでもいいという感じだった。むしろ目を開けているのもつらいぐらいだ。むしろ、今なら気が失える気がする。

 しかし助産師さんからは「目を開けなさい」とご無体な支持が出る。目を開けていないと、上手く力めないそうだ。


 そんなこんなで、私は必死な思いで分娩台の上に座った。

「はい、力んで」

「あああああっ!!」

 待ちに待った力めるタイミング。よっしゃ、さあ、息子よさくっと出て来るのだと力むのだけれど、全然出てきてくれない。

 私はこの時忘れていた。自分の腹筋が最弱である事を。

 そう。腹筋がなさ過ぎて、力を込めているつもりだけれど、全然入っていないのだ。しかも既に数時間痛みを耐えていた事でくたくたな上に、分娩台に上がるタイミングになってもまだ息子が暴れまわり力が入れにくいのだ。

「もうそろそろ赤ちゃんが、動かなくなってもいいのにね」

 なんででしょうね。出たくないんですかね。それとも、応援してくれてるのかな? いや、応援なら、もう大丈夫。ママには伝わってるから、お願いだから大人しくして。

 そんな思いが渦巻く中、緊急事態が発生した。


「い、痛いっ。つった。足、つったっ!?」

 まさかの右足がつるという事態が発生して、陣痛とは違う痛みに私は叫んだ。

「ああ。足むくんでたからね」

 助産師さんはとても冷静だけど、私はそれどころじゃない。陣痛の痛みと、息子の蹴り、そして右足がつった傷み。何だコレ。何でこんな痛みのフルコンボがやって来るんだこの野郎。

 おかしい。こういう時って陣痛の痛みだけじゃないの?

 陣痛の痛みが強すぎて、切ったり縫われたりしてもそこまで痛みを感じないと聞いていたけれど、私は確かに陣痛以外の痛みも感じ分けていた。全くうれしくない誤算である。

 

 足をマッサージされながら再び力むが、やっぱり力が入らない。

 そんなやり取りを何度もしていると、右足が大分とマシになった所で、今度は左足がつった。もう、勘弁してと泣きが入って来るが、出産は始まったら最後止められない。

「あああああああっ!!」

 とにかく叫んでないと、痛みで死にそうなので、私は声の限り叫んだ。


「もう後少しだけど、まだ暴れて、出てこれないね」

 ほんとにねー。

 いつまで蹴るんだ、我が息子よ。

「赤ちゃんの心拍数が落ちてきたから、吸引で出すから先生呼ぶわね」

 マジか。

 心拍数落ちてきてるのに、まだ君は蹴ってるのか。

 お腹の中に居た頃の記憶を、幼児期は覚えているというので、息子が話せるようになったら、ちょっと聞いてみたい。出たくて蹴ってるのか、出たくなくて暴れているのか、一体なんだったのかを。

 

 痛みで苦しむ中、ようやく先生が登場。ただもうこの時の私は痛みで必死すぎて、後から思いだそうと試みたけれど、男の先生だった事以外は覚えていなかった。若かったのか年寄りだったのか、痩せていたのか太っていたのか、眼鏡をかけていたのかかけていなかったのかさっぱりだ。助けてもらったにもかかわらず、全く記憶にない。

 とりあえず、この苦しんでいる間に会陰切開され、息子は吸引された。ちなみに残念な事に、この状況もさっぱり覚えていない。普通、産む最後の瞬間なんだから感動で絶対忘れられない記憶になるはずなのだけれど、疲れ切った私の脳みそはエネルギー切れを起こしており、ほぼ何も記憶していなかった。

 ただ息子が生まれて泣いてから、切った場所をチクチク縫われる間、一針縫われる毎に、「痛い、痛い……」とうわごとのように呟いていた事だけを覚えている。それと生まれた後に再び足がつって痛かったという苦い記憶だけが残っている。今度妊娠した時は、できるだけ減塩に心がけよう。

 それと後から考えると、切られているのに泣き叫ぶわけではなく、気が付けばすべてが終わっていたのだから、陣痛の痛みは計り知れないものだったのだと思う。切られた時より、足がつった方が痛かったのは予想外だったけれど。


「元気な男の子ですよ」

 息子の体重測測定が終わり、私の隣に寝かされた時に、ようやく私は無事に生まれたんだと実感できた。その後は何故だか涙があふれてきて、私は無事に産むことができたという感動に酔いながら「生まれてきてくれてありがとうと」隣で寝ている息子に声をかけた。

 体に息子を乗せてもらい、分娩室で記念撮影をした後、再び陣痛室へ戻った私は旦那にパシャパシャ記念撮影をしてもらった。

 そしてひとしきり写真を撮って満足した所で、大切な事に気が付いた。

「あのさ、この子って動かしていいの?」

「えっ。俺、無理」

 ですよねー。


 すやすや眠ってくれているのはいいけれど、少し動くと潰してしまいそうで怖い。かといって、このままの体勢を永遠に続けるのもキツイ。

 職業母親LV.0と父親LV.0。0+0は勿論0だ。二人そろっても文殊の知恵が生まれる事はなく、生まれたての赤ん坊をどうしたらいいのか分からず、途方に暮れた。

 息子は本当に人間か?!と思うぐらいふにゃふにゃで、でも生きているのだと主張するように温かい。下手に触ったら壊れてしまいそうで、私はしばらくの間、身動きをせず、助産師さんの助けを待った。


「写真は撮れた?」

「あっ。はい。大丈夫です」

「赤ちゃんだけど、このままここに居てもいいし、連れてってゆっくり休んでもいいけれど、どうする?」

「連れていって下さい」

 母親なら、母性で連れていかないでになる所だったのかもしれないけれど、母性より恐怖が勝った私は、素直に連れて行ってもらった。

 薄情で申し訳ないが、どうやら出産で力を使い果たしたようで、全く体に力が入らなかったのだ。3100ちょっとしかない息子を持ち上げる自信がない私は、白旗を振った。LV.0にこの試練は耐えられそうもない。

「朝ごはん洋食だけど、大丈夫?」

「あっ。はい」

「足、むくんでいるし、減塩にしてもらうわね」

「お願いします」


 産んですぐにご飯かぁ。なんだか一気に普通の日常に戻った気がするなぁと思いつつ、ありがたくいただくことにする。

「出血も少ないし、時間も短かったから、かなり安産だったわね」

「えっ……」

 あれで、安産? 時間が短い?

 言われた言葉に衝撃を感じ、はははっとから笑いしか出なかった。痛みは想像を絶するものだったし、時間も永遠に続くかと思うぐらい長かったように感じていたのに、かなり楽な方だったらしい。もう死ぬかもしれないと思ってしまった私はまだまだ甘いという事だ。

 世の中のお母さんには、頭が上がらない。

「まあ、最後の最後まで赤ちゃんが暴れていて、中々出られなかったみたいだけど。もう少し、力めたら良かったわね」

「はあ。腹筋がないので、次の時までにはもう少しつけておきます」

「赤ちゃんの頭が吸引で少し尖ってるけれど、そのうち治るから大丈夫よ」

 ……あれ? 尖っていたっけ?

 助産師さんと話していて気が付いた。赤ちゃんの感触は肩のあたりにまだ残っているけれど、位置が悪くて全然その顔を拝んでいない事に。

 

 ……ま、いいか。すぐにまた会えるし。

 とりあえず一仕事終えた私は、写真も撮ったしもういいやと、絵に描いたような出産現場は諦め、朝食を楽しみにゆっくりと休むのだった。

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