LV.0の出産(前編)
「某CMみたいにぱっかーんって産まれたらいいんだけどね」
「あはは。それ、いいですね」
会社の送別会でそんな話をしながらなら、私は本気でそんな風に一瞬で生まれたらいいのにと思っていた。普通に考えて、腹の中に居るのだから、桃や竹のようにぱっかーんなんてしたら大変だ。でもはち切れんばかりに膨らんだお腹は、最近子供の蹴りが入り、いつかぱっかーんといってしまいそうな状態だった。
会社の先輩ママさん達に聞いた所、出産にかかる時間等は人それぞれのようだ。陣痛が来て丸1日入院して苦しんだけど生まれなかった方もいれば、先に破水してあわてて病院へかけこんだ方もいる。中には陣痛が来て行ったけどまだ早いと言って帰され、車の中で待機した人までいた。
ちなみに双子を出産された方にも話を聞いたのだが、普通分娩だった方はお腹の上に助産師が乗って押し出したそうだ。そして帝王切開だった方は部分麻酔だったはずなのに、変な夢を見て「中国に行ってきた」と出産後に言い出し、頭がおかしくなってしまったのではないかと周りから心配されたらしい。……なんて恐ろしい。世の中の双子のお母さんには頭が下がる。この話を聞いた時には、少しだけ1人でよかったと思ってしまった。
話がずれたが、簡単に生まれたと言う話は一つもなかったので、私の場合はどうなってしまうのかと、戦々恐々しつつ、出産の時を待っていた。
そしてその兆しが見えたのは、予定日から2日遅れてからの事だった。
朝、ご飯を食べてゆっくりしていた時。不意にお腹に違和感を感じた。
「なんか、痛い?」
お腹を壊した時とも違う、生理痛のような痛みに、ん? となる。
その痛みはすぐに収まったが、また再び痛みが来る。陣痛にしては、痛みが来るタイミングがバラバラだし何だ? と思いながら、買ったばかりの『たまご○らぶ』をパラパラめくる。偶然にもその雑誌には、出産体験談が特集で組まれていた。
「あっ。これが前駆陣痛?」
おおっ。とうとう出産の時がきたのか。おしるしはあったけれど、まだまだ生まれないと言われていたので、私はこの痛みに喜んだ。しかも、周りから聞いて覚悟していた傷みよりも、全然痛くない。やった。これならいける。大丈夫だ。
そんな期待が胸をよぎり、一応産婦人科に連絡しておこうと、できる妊婦を装い冷静に現状を伝えておいた。
産婦人科からは、また陣痛の間隔が短くなったら連絡して来てほしいと言われ、なんだかできる妊婦っぽいぞと浮かれつつ了承して切った。
丁度タイミングも日曜日。旦那も休みだしラッキーと思いながら、両親にももうすぐかもと伝える。この時の私は、出産特集の雑誌が手元にあるのもきっと天のお導きに違いないと思い浮かれ、これから起こる地獄に全く気がついていなかった。
もちろん陣痛が生理痛程度なんて事はなく、この痛みはまだまだ序の口。モンスターで例えるならスライムだ。スライムを倒してどや顔していた私は後ろに控えている魔王の存在に気がついていなかった。
その日の昼には痛みが定期的に来るようになり、14時ごろには間隔はかなり短くなっていた。旦那も様子を見に来てくれていたので、一度産婦人科に連絡をとると、来て下さいと言われたので入院道具を持って移動した。
「あー、赤ちゃんの位置がまだまだ上の方だから時間がかかるね」
もうすぐだと思ったけれど、どうやらぬか喜びだったようだ。陣痛は定期的に起こって痛いんだけどと思うけれど、赤ちゃんは確かにいまだにお腹の中で蹴りを入れて続けるぐらい元気だ。
出産が近くなるとあまり動かなくなると聞いていたので、そう考えると確かにまだかもしれない。
「大型ショッピングモールの『イ○ン』が近いから、そこで気分転換も兼ねて散歩に行ってくるといいよ。ここで待っていても辛いから」
そう看護婦さんに助言され、えっ? そんな所に行っていいの? と思いつつ、病院を後にした。
確かに病院で過ごしても赤ちゃんがまだまだ生まれないと言うならば仕方がない。でも、陣痛が起こっている状態でイオンで遊んでいてもいいものなのだろうか?
うーんと悩むが、外は雨。流石に外を散歩する気にはなれないので、まあ何とかなるかのノリで『イ○ン』へ向かった。
着いたはいいが、陣痛が起こっている最中は、流石に歩けないぐらい傷みが走り、その都度立ち止まる事になった。まさかここで出産なんて事にはならないよねと不安がよぎるが、動かないと赤ちゃんも中々降りて来られないし、早く産んでしまうためには動くしかない。
出産したら中々来れないかもしれないしと、家電屋やペットショップなどを見ながらウロウロする。いつもなら、せっかくだから映画でもとなるのだけれど、流石に映画を見ている最中に出産になってしまったら目も当てられないので見たい映画があったが諦める。今更仕方がないかもしれないけれど、ちょっと体重増加もオーバーしているし、沢山歩けるのは丁度いいと思う事にした。
とりあえずひとしきり歩き、実家に戻った私は、体力を付けなければと夕食を食べ、のんびりパソコンを見て過ごした。陣痛の間隔をはかりつつ、風呂には先にはいておかないとなど、思ったより冷静に出産の時を待った。
丁度10時頃に、更に陣痛の間隔が狭くなってきたので、再度産婦人科に連絡をすると、来るように指示を受けた。旦那に連絡をして、両親に運転をしてもらって産婦人科へ来た私は、陣痛室に入った。ありがたいことに個室になっており、テレビと冷蔵庫、それと立ち合いの人が休めるようにソファーまで置いてあった。妊婦は至れり尽くせりである。
ありがたやーとリラックスしつつ、しばらく両親と話していると旦那がやって来た。なので眠そうにしている両親には一度帰ってもらい、生まれたら連絡すると伝えた。
「出産まで大変だから飲み物や食べ物を持ってきた方がいいけれど、あるかしら?」
えっ?
助産師さんに言われ、旦那を見るが、もちろんそんな予定はないので首を振られる。喉が渇くのでペットボトルの水は持っていたけれど、入院してしまえば三食おやつ付きだし、現在の時刻は真夜中だったのでそんな計画はまったくなかった。
「じゃあ、俺、買ってくるわ」
ならお言葉に甘えてと、雑誌でアイスを食べておいしかった談を読んだばかりだったので、おにぎりと、アイスクリームをお願いし、優雅な出産に備えた。
しかし、出産に優雅なんてありえない。悪夢はここからが始まりだった。
「……トイレ行きたいけど、痛い」
陣痛は徐々に小刻みになり、ほんの少し離れた場所にあるトイレに行くだけでも一苦労になってきていた。
時刻は午前2時をまわり、産婦人科に来てから4時間近く経っているのに、いっこうに子宮が開かない。赤ちゃんは子宮が開かない限り、外には出てこれないので、焦っても仕方がない。でも痛い。ひたすら痛い。
普段なら12時を過ぎれば眠くなるのに、痛くて寝るなんてできそうにもなかった。しかもいまだにお腹の中に居る息子が元気いっぱいなのだ。陣痛が起きている間は大人しいけれど、それが終わると途端に動き出し、ジタバタ暴れお腹を蹴りまくるのだ。止めて。お母さんのライフはもうゼロよと訴えても、ひたすら存在をアピールするかのように動く。
あれ? こんなに痛いのにまだまだ生まれないの?
誰だ、これならいける、大丈夫だなんてのんきな事を考えていた馬鹿は。
陣痛の収まっている間に、足を動かしトイレへ行った私は、便座に座りながら自分の能天気さを後悔していた。何とかトイレに着いたけれど、またベッドまで帰らなければいけないのか……。ちょっと泣きそうだ。
トイレの外で待機していてもらった旦那に支えられつつ、辛く険しくないけれど、地獄のように長く感じる廊下を必死に歩く。
まるで状態異常の起こった勇者の様に、一歩進む毎に痛みで気力が奪われる。
普通の病気だったら、薬に頼れるけれど、出産は病気ではないので気合と体力で乗り越えるしかない。うん。RPGで勇者が状態異常になったらすぐに治してやろうと妄想しながら、私は痛みに耐え足を動かした。
何とかベッドまで戻り、横になったが、相変わらず息子の蹴りは激しく、全く休めない。
「まだ子宮が1㎝ぐらいしか開いていないからいきんだら駄目よ」
ま、まだですか……。
かなり痛いので助産師さんに確認すると、まだまだだと言われ、さらにいきむなと要望される。
この状態でいきむなとか、無茶なんですけど。
そう思っても、子供のためにもいきむわけにはいかない。子宮が開かないうちにいきんでも、出口がないので、息子が苦しいだけだ。
ここからが私には、とにかく長く感じた。陣痛の痛みは間隔が狭くなり、そのわずかな陣痛が止まるタイミングを見計らって、息子がお腹を蹴りまくる。
そう。いつまで経っても息子は動き続けるのだ。お母さんはこんなにぐったりなのに、何故君はそんなに元気なんだいと聞きたくなるぐらいに動いた。普通ならそろそろ動きがなくなってきてもいいはずなのに、ひたすら自己アピールをしてくる。うん。分かった。そこにいるのは分かったから。少しお母さんを休ませて下さい。
「ま、まだですか?」
「まだ、ほとんど子宮が開いていないから、頑張って」
うぅぅぅぅぅ。どうして、子宮が開かないんだ。畜生。
痛みで、あーあーと五月蠅く唸りながら、私は一生懸命いきまないように我慢した。
あまりに痛いと気絶すると言う話も聞いた事があるけれど、どうやら私は図太いらしく、気絶できそうもない。むしろ息子の蹴りで失いかけた意識も戻ってしまう。
もう駄目だ耐えられん。
そんな思いを抱く、何度目かの陣痛の時だった。
「子宮が5㎝ぐらい開いてきたわよ」
えっ。本当に?!
勿論、5㎝じゃまだまだだけれど、ずっと1㎝だった身としては、その言葉だけでもう少しだけ頑張れる気がしてきた。しかし、痛みはさっきから尋常ではなく、今までに経験した事のない状況だ。
でもあと少し。後少しなんだ。
相変わらず、あーあー五月蠅く唸りながらも、後少しだといきみを我慢する。
「あら、もう7㎝ぐらい開いてきたわね。まだまだだと思ったけれど、貴方の方が早いかも」
この時私の両隣にも妊婦さんが入っていて、私は2番目にやってきていた。このとんでもない痛みを私より前から感じている人が居るのかと思うと、大変だなと今なら感想が言えるのだけれど、この時はそんな事より、早く産ませてという気持ちだけだった。あーあー、五月蠅くてすみませんというのも終わった後だから思えるだけで、この時は自分の事だけで精一杯で相手を思いやる余裕はなかった。
そんな地獄の1丁目の痛みを耐える事数時間。
「子宮が開ききったから、分娩室に行きましょう」
とうとう、そんな天の声が聞こえた。ああ、やっと、この腹を蹴り続けている君に会えるのねと痛みに苦しみながらも希望が灯る。
しかしこの時点で出産はまだ終ってはおらず、出産と言う名の魔王はいまだに息をひそめて待っている事を、私はまだ知らなかった。