うたうたい
■小国リェイボゥの片隅 リーラァ村近郊 とある森の中
今の状況、窮地に陥ってしまったカミュやホリィ達を一言で言い表すのなら、単純に運が悪かったといってしまえることだろう。
相手は魔物の大群とはいえ、ゴブリン程度であれば移動速度はそれほど速くはなく、またとりわけスタミナに恵まれているわけでもない。
カミュ、ジフ、ヒリシスの冒険者はもちろん、ホリィですらダンスで鍛えた体力でもって――あとは若さを武器にして――、徐々に引き離すことが可能であったはずだ。
牽制を差し挟みつつ足止めをしながら逃げれば十分に距離を取り、逃れられたはずだった。
だが、逃げた先で新手のゴブリンの集団と出くわした。その数は10に満たない。
普段であれば見逃すはずのない気配を放っていたが、必要以上に後ろを気にすることに夢中で警戒がおろそかになっていたのが状況を悪い方に転がした。
対処に時間を取られて足止めされている間にあっという間に後方のゴブリン集団からも追いつかれて、結果として前後を挟まれる格好になってしまった。
その時点では、まだ突破の可能性は残っていたのだが、いつもどおりの3人だけのパーティではなく、連携経験のない、戦闘力も未知数のホリィの存在がカミュたちの行動に枷を付ける。
何体かのゴブリンを葬ることには成功したものの、結果として逃げ道を塞がれてしまっていた。
ゴブリン達は一気に攻め立てることをせずに、円を作って一定の距離を置いている。
が、こちらが動けばあちらも動き出す。いわば膠着状態でありながらも、ひどく不安定な状況だった。
なにかの拍子に均衡が崩れれば、一気にすべてが動き出すといったような。
「ど、どうにか……」
どうにかしてくださいと言いかけてホリィは口をつぐむ。
それくらい既にカミュたちも考えているだろう。どうにかできるのであれば。
そもそも、一人では何もできなかった自分を救いだしてくれた3人だ。
結果としての今の状況。
これ以上頼るのも悪い気がするし、それこそ突破口が開けるのであればホリィが言わずともそのように動いてくれるだろう。
策があるのであれば……だが。
「最悪だな……」
吐き捨てるようにカミュが漏らす。
直後、決意を固めたように、
「ジフ、残りの魔力量は?」
「うーん、あと2~3発ってところだね」
とジフは平坦な口調で答えた。彼にとってはマイペースは己の信条。いついかなる時であっても平静を崩さないというのが持ち味であり、たまに周囲との勘違いや軋轢を生む一端でもある。
それを聞いたカミュは渋い顔をする。
自分の剣と同等、あるいはそれ以上の攻撃力を持つジフの魔法。
2~30体はいるゴブリンを葬るには、その援護にも期待したいところである。
しかし、撃てるのはたったの数発であれば、いざという時のために温存という選択肢も視野に入れなければならなくなる。
温存したとして、では使いどころは何時なのだ? と聞かれればカミュには即答はできないのだが。
カミュの頭に一瞬浮かんだ、ジフがもっと高レベルの魔法使いであれば……などという仮定は意味を為さない。
範囲攻撃魔法や集団攻撃魔法が使えれば話は違ってきたのだろうが、ジフに放てるのは単体に的を絞る初歩の魔法だけだ。
そもそもにして魔法使いという存在が希少なのである。実戦レベルでの魔法が使えるものが数十人に一人という割合。
そこからレベルを上げて中位、高位の魔法が使えるようになれる才能を持つものとなればさらに数は減る。
ジフの能力不足に責任を転嫁することはできない。
それならばカミュだって、実力不足は甚だしいのだ。
世の中には百を超える魔物と一人で戦えるだけの力を持つ剣士だっているのだから。
そんなことを考えながらも、状況を前に向けようとカミュは淡々と自分たちの現状把握に努めようとした。
「ヒリシスは?」
「少し時間が経てばもう一回くらいは……」
こちらはジフよりもさらに悪いようであった。元々魔力量の少ないヒリシスである。
ホリィを救出する前と、ホリィの救出時に使用した回復魔法で残魔力はほとんど残っていない。
そこでカミュはホリィに目を向ける。
「お嬢ちゃんは……、戦えるわけないよな?」
既に諦めムードではある。そもそも期待はしていない。
自分達よりかなり幼い奇妙な恰好の少女。
戦う力があるのなら、カミュに言われるままに逃亡したりせずに道を切り開く努力ぐらいはしていたはずだ。あるいはその片鱗ぐらいは見せていたはず。
カミュの記憶を辿る限り、そんな気配はこれっぽっちも感じられていなかった。
ホリィはカミュからの問いに対して気まずそうにうなずいた。
だが、意を決して切り出した。
「でも……、回復ならできるかも……」
「魔法が使えるの?」
聞き返したのはジフだ。
「魔法っていうか、ちゃんと試したことないけど。
あたしの歌にそんな力があるかもって」
ホリィは祠で得た知識を反芻しながら答えた。
歌による癒し。確かにそんな能力を身に着けたと記憶は語っている。
実際に一回歌ってみてなんとなくの感触は得た。
が、どれだけの効果があるのかは未知数である。
「歌による癒し……」
カミュが神妙な顔で呟いた。
「それって……」
ヒリシスが何かに思い当るような顔をする。
「嘘かほんとかわからないけど……」
「それに賭けるしかないのも事実だな」
ジフの言葉をカミュが引き取る。
「えっと、どういうことでしょうか?」
ホリィの問いに与えられた回答は至ってシンプルだった。
「カミュはともかくとして、僕らだってゴブリン程度であれば魔法無しでも倒すことも不可能じゃない。怪我をするのを躊躇しなければね。
まあ、碌な武器を持ってないからゴブリンから奪うなんて手間もいるし、精々一対一で戦うのがやっとだろうけど……」
ジフはそう言いながらヒリシスを見つめた。
「痛いのは嫌なんだけど、そうも言ってられないわよね……。
カミュだけに任せたところで切り抜けられるわけもないし」
「ジフとヒリシスは、このコを護ることに集中してくれ。
傷だけでなく体力も回復できるんなら、俺だけでもやってやれないことはないだろう。
ゴブリンの30体ぐらいであればな。
もっとも、如何に俺が奮闘したところでお前らにも魔物は向ってくるだろうが、そこはなんとかしてもらうしかない」
つまりは、ホリィの回復力に運命を委ねて一か八かの攻勢に出るということである。
「でも! あたしの歌に本当にそんな力があるのかって……」
「信じれようが、信じれまいが、結局やることは一緒さ。
じきにゴブリン達は襲い掛かってくるだろう」
「ってか来たね!」
カミュが言い終わらないうちにジフがロッドを構える。同時に「行くぞ!」と気合を入れてカミュが駆けだした。
襲いかかってくるゴブリンの一匹を一瞬で切り捨てたその剣の冴えはさすがではあるが、すぐに乱戦となり囲まれてしまう。
そうなれば、カミュごときの剣術では威力のある攻撃も繰りだせず、敵の攻撃を受けながら場当たり的に反撃を行うことしかできなくなる。そんな状態での攻撃に致命傷を与えることなど期待できない。
一気に戦闘効率が落ちるのだった。
じわじわと敵を傷つけて徐々に無力化していくが、カミュ自身も相応のダメージを負うし、一匹倒すのに相当の時間を消費してしまうことになる。
残りのゴブリンはカミュには目もくれずに、ジフ、ヒリシス、ホリィ達目がけて襲ってくる。
「ほら、歌うんだ!」
ジフに言われてはっと気づく。
力があろうとなかろうと、できることがそれしかないのならば、可能性に賭ける選択肢しかホリィには残っていないということに。
ホリィは意を決して歌うことを決意する。
その瞬間にホリィの体が淡い光を放ち、その光が上空へと昇って行く。
なにも常に歌っている必要があるわけではないようだった。
ホリィが頭の中でイントロを奏でて歌う準備をするだけでその効果が発動されるようだった。
「ほんもの……」
「……だね」
と向ってくるゴブリンの相手をしながら、ヒリシスとジフが言い合う。
ホリィから放たれた光は、そのまま円を作るように地面に降り立ち、半球状の光のドームを作り出した。その直径は5~6メートルというところか。
なんとか、ひとりで突出して戦うカミュまでも包み込む広さである。
「きゃあ!」
そうこうしているうちにも、ヒリシスが。
「ぐっ!」
ジフが、ゴブリンの攻撃により手傷を負う。それも一度だけでなく何度も何度も。
そのたびに、ドームの天井から傷口へと光の粒子が降り注いで傷を癒す。
よほどの致命傷出ない限りは一瞬で完治させるだけの回復力を備えているようだ。
「これならいけるかも!」
ジフは手ごたえを感じつつ、カミュの居る位置に目を向ける。
そこは、ジフ達とは比べ物にならないくらいに、光が続けざまに降り注いでいた。
一撃の攻撃力は低くても数の暴力によってカミュは蹂躙されかけている。
回復が途切れた時には……、ということは考えずにカミュはダメージ覚悟で剣を振るい続ける。
さして高い知能を持たないゴブリン達は弱いもの、ジフやヒリシスから狙っていくのではなく、もっとも好戦的であり、仲間の屍を累々と重ねつつあるカミュに的を絞って攻撃しているようであった。
それは、彼らにとっては救いであり幸いなことである。
それでも、常時4~5匹はジフとヒリシスで相手どらなければならない。
中には引きつけ損ねてホリィに攻撃が向くこともある。
(痛い! 痛い……けど……)
それでもホリィは歌うことをやめない。
歌い続ける。
一曲歌い終えたところで、また初めからとリピート、繰り返す。
間奏などでは休むこともできるが、それでも体はリズムを取り続け、ステップを踏み続ける。
アイドルとして、アイドル候補生として練習を積み、3~4曲ぐらいは激しいダンスと共に歌い続けることぐらいはできるようになっていたホリィではあったが、この場での歌唱はそれとは異なる精神的な疲労が蓄積していっていることを感じていた。
うまくいってあと3曲、悪ければ今歌っている分を含めて2曲。
10分に満たないほどの時間しか歌い続けることはできないだろうという予測をたてながらも歌に集中する。
多少は数が減りつつある――そのほとんどはカミュが仕留めたものだ――ゴブリン達は、大半がカミュの元へ、残りがジフ達の居る輪の中心で。
反撃を厭わずに、彼らを襲い続ける。
徐々にではあるがカミュの元を離れて、狙いやすいジフ達に標的を変更する者も出つつある。
ホリィも当然のことながら、その攻撃を喰らう。
即座に回復が発動するとはいえ、その衝撃、痛みは、今までの人生で感じたことのないようなものだ。
血が流れ、皮膚が穿たれ、肉がそがれる。
それでも。
自らも同じような傷を負いながらもホリィに攻撃を加えるゴブリンを優先して叩いてくれるジフとヒリシスの姿を見れば。
時に自らの背後を無防備にしながらも、ホリィに近づくゴブリンを食い止めようと身を挺している二人を見れば。
ホリィにはただただ歌い続けることしかできなかった。心を込めて全力で。
事実としてそれが、ホリィの歌による回復効果が戦況を崩さずになんとか維持できているということ以上に気持ちの上での問題だ。
一人突出してゴブリンを叩いていたカミュであったが徐々に押し込まれ、ホリィ達の居る輪の中心へと移動してくる。
カミュは剣を振るい、もっとも効率的にゴブリンを葬っていく。
それでも相手の数はまだまだ多い。
しかしながら、ゴブリンから受けるダメージ量よりも、ホリィの歌による回復能力がわずかばかり勝っているために、傷つきながらも傷を癒して戦い続けることができる。
やがて……。
30体は居たゴブリンが両手に収まるほどの数になる。
「もう少しだよ!」
「なんとかなりそうね」
ジフとヒリシスが期待を込めた声を上げたのと、ホリィがゆっくりと崩れ落ちたのはほとんど同時だった。
同時に彼らを包んでいた光のドームは消え失せ、うけた傷はダメージとしてそのまま残るようになってしまった。
歌に寄る癒しの効果が切れたのだ。もっとも、歌い手が気を失って歌を歌うことを辞めてしまったのだから当然だろう。
「大丈夫!?」
ヒリシスがホリィに駆け寄ろうとするが、ゴブリンに阻まれてしまい為すことができない。
「あとちょっとだって言うのに!」
ジフが悲痛な声を上げる。
「あきらめるな! ここからは回復は望めないが……」
ゴブリンをまた一体と切り捨てながら、カミュが叫ぶ。
「まだ負けると決まったわけじゃない!」