Section2 「邂逅」
『後悔は、自分が自分に下した判決である』 喜劇作家 メナンドロス
12年前のあの日、僕は初めて”彼女”と出会った。
近所に住んでいる事は知っていたけれど、実際に会うのは初めてだった。
ちょっとした事にも全力を傾ける……そんな子だった。
明るくて、周りからも好かれている。
そんな”彼女”が、僕はいつから「好き」だったのだろうか。
そんなことさえ、僕はもう思い出せないのかもしれない。
■2029年3月17日 19:00■
日本では、毎年60万件以上の交通事故が発生している。
その内、24時間以内に死亡する人は約0.005%。
つまり、1%に遥かに満たないのである。
夏雫は、この1%以下に含まれてしまった。
救急病院に搬送されて2時間、治療の甲斐なく夏雫はこの世を去った。
人の命がこんなに呆気なく失われるのか。
春一は、ただ頭を抱えるだけでこの現実を理解できなかった。
「 (夏雫が……どうして……) 」
偶然あの信号に居合わせ、その偶然に巻き込まれて夏雫は死んだ。
あと少し、時間がずれていれば結果は変わったかもしれない。
「 (俺があの時、夏雫に告白していれば……あの場所には……) 」
悔やんでも悔やみきれない後悔の波が、春一を苛んでいた。
■2029年3月21日 18:30■
4日後、夏雫の葬儀が執り行われた。
夏雫と特に仲の良かったメンバーは参列している。
春一らもお互い会話はなく、冬佳のすすり泣く声が会場に響く。
祭壇には、夏雫の満面の笑顔が飾られた。
夏雫をよく表した写真だろう。
事故の衝撃の割に、夏雫はきれいだった。
本当に、打ち所が悪かっただけだ。
目を閉じたままの夏雫と、春一は最後の対面をする。
止まっていた涙が、一筋……春一の頬に伝う。
春一の中で混濁していた思いが、やっと1つの結論に達した。
「 (僕の好きだった夏雫は……死んだんだ) 」
頭では理解しているはずだが、心がまだついて行かない。
そして、その気持ちを整理できないまま新学期を迎え、
夏雫のいない――新たな4月が始まった。
■2029年4月9日 8:50■
いつもの平日、いつもの様に学校へ向かう。
しかし、いつもいた存在が近くにいない。
その現実を、春一はまだ受け止められていなかった。
新学期になっても、クラス替えは行われない。
この学校で長く続く伝統の1つらしいが、今の春一には辛かった。
担任の先生が教卓に立ち、新学期の挨拶を始める。
「えー、皆さんに残念なお知らせをしなければなりません。
クラスメートの西寺さんが、3月に交通事故の為亡くなりました。
西寺さんの分も、皆さん一生懸命頑張っていきましょう。
それでは今日の連絡をします。この後……」
他のクラスメートからすれば、それほど重要な出来事ではないかもしれない。
しかし、春一の中には承服しがたい気持ちが渦巻いていた。
「 (夏雫が死んだのに、それだけ……なのかよ……) 」
先生にしてみれば、十分な責務は果たしているのだろう。
人が本当に死ぬ時はいつか?
それは――「みんなから忘れられた時」なのだ。
言葉にして吐き出せたらどれだけ楽だろう。
春一は、それほど器用な人間ではなかった。
気持ちとして吐き出せない思いが、吐き気として返ってくる。
朝礼が終わってから、春一は何回も吐いた。
■2029年4月9日 12:30■
春一は、帰宅しようとした所を冬佳に止められた。
連れられて向かったのは、普段は入ることのない屋上だった。
春の風が屋上を吹き抜け、桜の花が舞い散っていく。
背を向けて歩いていた冬佳は振り向くと、平手を春一の左頬に入れた。
「春一、あんた夏雫に告白したの?」
勘のいい冬佳は、気付いたのだろう。
どうして一緒に居たはずの春一が無傷で、夏雫が死んだのか。
「出来なかった……」
その返事とほぼ同時に、再び左頬に平手が入る。
「あんたが告白していればきっと――夏雫は……」
そう、あの場に居合わせなかったかもしれない。
春一も分かっている。だから、冬佳に言い返すことが出来ない。
「冬佳の言う通りだ。俺が告白していれば……」
「わかっているなら、何でしなかったのよ!!」
冬佳の行き場のない怒りが、再び春一の頬に向かう。
春一はそのままの姿勢で目を閉じた。
しかし、先程の様な衝撃が頬に来ない。
目を開くと、秋希が冬佳の手首を掴んでいた。
「もう、その辺でいいだろ。春一を責めても仕方ない」
「だけど!」
「春一だって辛いんだ。わかってやってくれ!」
普段はムードメーカーの秋希が、声を荒げた。
屋上の入口の方に目を遣ると、琴夏がこちらの方を見ている。
暫く黙って俯いていた冬佳は、顔を上げると春一を睨みつけた。
「私は絶対許さないから!!」
そう言い残すと、秋希の手を振り払って階段を駆け下りて行った。
立ち尽くしていた春一に、秋希と琴夏が声を掛ける。
「今は冬佳も整理が付かないんだ。許してやってくれ」
「私からもお願い……」
琴夏が丁寧なお辞儀をする。
「いや、俺が何かを言える立場にはないから……」
そう言うと、足元に落ちた鞄を手に取って階段を下りて行った。
屋上に取り残された秋希と琴夏。
「今度は、かなり尾を引くかもしれんな……」
「うん。冬佳も暫く引っ込みがつかないと思う……」
春の暖かい風のはずなのに、4人はとても冷たく感じた。
■2029年4月11日 17:30■
あれから2日、春一は体調を崩し学校を休んだ。
冬佳との事もあるが、体と心の限界を超えていたのだろう。
眠っていても見るのは、あの時の鮮明な光景。
悔やんでも悔やみきれない、後悔の波が引くことはない。
夕方になって、琴夏が学校のプリントを届けに来てくれた。
玄関で済ませようと思ったら、家の中まで入ってきた。
いつもはこう言った事がないので、どこか不思議な感じだ。
部屋の中に入り、春一がベッドに腰かけると琴夏が話し始めた。
「少しは整理が……付いた?
「うん、大体は」
「そう……」
プリントを受け取ると、一緒に1冊の本を渡された。
「これは?」
「それ……遺品として受け取ったの。よかったら……」
外側のカバーは何度も読み返したのか、ヨレヨレになっている。
本を開くと、見知った名前がそこにあった。
「ありがとう……」
軽く頷くと、そのまま琴夏は帰って行った。
何度も同じ本を読んだはずなのに、それは重さが違った。
「最後に読んだのは、母さんが死んで以来かな……」
春一の母「桜希」は、13歳の時に死別している。
その時の原因も交通事故だった。
桜希と春一が旅行の為に乗っていたバスが対向車と正面衝突、
桜希は即死で、春一も頭を数針縫った。
あれから4年が経ち、父は再婚した。
桜希の生前からよくしてくれた人で、再婚にも賛成した。
けれど、やはり母は母でも少し違う。
未だに「母さん」と呼べないのも、そのせいもある。
「 (結局……俺は1つも成長できていないんだな……) 」
本を枕元に置き、少し眠る事にした。
■2029年4月11日 22:30■
春一は夢を見た。
行った事はないが、春一は法廷に立っていた。
見た事もない人たちに囲まれ、何か話している。
聞き慣れない言葉でよくわからないが、春一がどうやら不利の様だ。
その時、鋭い声が法廷に響いた。
「芽桜 春一! しっかりしなさい!」
聞いたことのない声だが、その言葉に春一がハッとする。
そこから何を話したか記憶にないが、気が付くと閉廷していた。
春一がその声の主を見ようとした時、夢から覚めた。
「何だった……あの夢」
思い出そうとしても、鮮明には思い出せない。
しかし、あの声だけがとても鮮明に残っている。
「誰だったんだろう……」
もやもやした気持ちを抱えながら、再び寝付くのは少し無理だった。
春一の視界にあるのは、琴夏が置いて行ったあの本。
手に取ると、ゆっくりとした手つきでページをめくる。
『アマオト』。生前作者だった桜希の代表作だ。
雨音には、想い人を甦らせることが出来る一定の音階があり、
主人公は事故で無くした幼馴染を蘇らせようとする物語だ。
こういった話では珍しく、彼女は最終的に帰ってこなかった。
奇しくも、桜希も事故によって亡くなったのであるが。
「何か、今の俺らみたいだな……」
本の上に、1粒……2粒と水の粒が落ちる。
「あれ、どうして泣いてるんだろう……」
気が付くと、目から涙が溢れていた。
押し殺した泣き声に一層、自分の心が締め付けられた。
【どうしてそんなに後悔しているんじゃ、若者よ?】
春一は、何か変な声が聞こえた気がした。
しかし、この部屋には春一しかいないはずだ。
「誰だかわからないが、来るなら明日にしてくれ……」
何で、春一は返事をしているのかよくわからないが、
今はそうしたモノの相手をする余裕はなかった。
【わかった。なら明日、また来るからの……】
そう言い残すと、それっきり声は聞こえなかった。
「ついに幻聴まで聞こえて来たのか……寝よう」
本を閉じると、春一は再び眠りについた。
外は春風が吹き抜け、月明かりが部屋を照らす。
春一はさっきの返事が、この後の運命を左右するとは、
露にも思わず自然な返事をしたことだろう。
ここから、運命は奇しくも動かされることになるのだ。
そのことを、春一はまだ――知らない。
皆様、連日お会いできて私も幸せです。
作者のSHIRANEです。
続けて更新するのは、本当に久しぶりです(笑)
こんなに文章が書けるのも、調子がいいのか悪いのか(笑)
さて、『アマオト』は私、初めて"恋愛"色が濃い作品です。
今までが自衛隊や警察・消防を取り上げたり、
生徒会ものを書いていたので、初めての試みです。
皆さんにとってどんな作品なのか?
手探りで、不安な部分は非常に多いです。
ですので、感想とか意見とか頂けるとありがたいです。
意見や感想は、積極的に採用しようと考えています。
ぜひ、お寄せいただけますと幸いです。
さて、今後の更新ですが……わかりません(笑)
続きを書けそうなものから順番に書いていきますが、
こんなに早く書けるとは思っていませんでしたので……。
恐らく、『護衛艦奮闘記』が早いかな?
何にしても、読んで頂いる読者の皆様をお待たせして申し訳ないです。
今しばらく、お待ちいただきますよようお願いします。
毎度毎度ながながとスミマセン。
では、また次回の更新でお会いするのを楽しみにしています。
それでは……
2014年7月19日 SHIRANE