前
その日、俺はいつものように広間の掃除をしていた。
「クラン、ちょっといいか?」
おやっさんに団長室に呼ばれた。
俺なんかしたかな、と内心冷や冷やしながら団長室に入る。
机についているおやっさんの顔は、なんか厄介ごとでもあったのかずいぶんと難しい顔をしていた。
おやっさんはしわの寄ったこめかみを抑え、ためらうように口を開いた。
「お前、明日の予定は?」
明日も休みではないので、特に依頼がなければ洗濯と広間の掃除だろう。
「いつも通りですかね」
「なら、ひとつ依頼を受けてもらいたいんだが」
「へ?」
俺は思わず首をかしげた。
依頼があるなら俺の予定を聞かずに、一言仕事だって言えばいいのに。
そもそもおやっさんが俺たちの休みとか受ける依頼を決めるんだから、俺の明日の予定を聞いてくるのもおかしいんだ。
俺の疑問だらけの顔に気づいたおやっさんは、気まずそうに少しうなった。
「…個人的な依頼なんだ。……お前が嫌なら断ってくれていい……」
おやっさんがここまでためらう依頼に興味が惹かれ内容を確認した俺は、様々な人々の重い期待がかかった重役を受けることになってしまった。
それは、未だかつて誰もが成しえたとのない仕事だった。
物凄い重圧に、俺の小さな背がよけい縮むような気がした。
「……俺にできますかねぇ……」
「いや、…嫌なら受けなくていいんだ。俺も無茶な依頼ってことはわかってんだよ……。ただ…」
そう、ただ、この依頼に込められた人々の願いを無視することができるならって話だ。
団長室に俺とおやっさんのため息が重なって消えていった。
依頼の日の朝早く、俺は着替えのしやすい簡単なワンピースとズボンをはいて傭兵団の広間に行く。
仕事の前に念入りに準備をしなくてはいけないので、朝礼にも出ずに仕事に行くことになった。
団長室にいるおやっさんに声をかけ、そのまま傭兵団の前にとめられていた馬車に乗り込んだ。
「クランちゃん、今日は本当にありがとう」
馬車の中にはおやっさんの奥さんが待っていて、乗り込んだ俺を見て嬉しくてたまらないというように微笑んできた。
俺も微笑み返したが、緊張のために頬が引きつっていたのはしょうがないだろう。
やがて馬車はおやっさんちに到着し、俺と奥さんは家に入る。
そして装飾品は少ないがものすごく高価であろうドレスを着せられ、髪の毛を複雑に編み込まれる。グレンが見たら喜びそうだ。
鏡を見れば、そこにはお育ちの良さそうなお嬢さんがそこにいた。
いや、ちょっと目つきが悪いからお育ちの悪さが出てはいるが、それでもドレスと髪型でそれらしく見えるさ!
着飾った俺と奥さんは応接間に移動し、少しお茶とお菓子をつまんである人物を待った。
やがて玄関のノッカーがガツガツと音を立て、俺の仕事が始まったことを告げる。
俺と奥さんは顔を見合わせてうなずき合うと、俺は気を引き締めて一人で玄関に行きその扉を開けた。
扉の前にいる人物を瞬時に確認すると、俺はすっと息を吸い込み飛び出しながら叫んだ。
「おじいちゃま、お誕生日おめでとう!!」
「むむっ!」
俺が抱き付いたのはいつぞやの強面親父、おやっさんの親父さんだった。
強面おやじは体格がいいため、俺は脚にしがいついているような格好になる。
そのために俺からは見えないが強面親父はうろたえているようで、ただ突っ立っておたおたしている気配がする。
いい加減、死ぬほど恥ずかしいんだ、誰かこの状況をどうにかしてくれよ…。
俺がやけくそで強面親父にしがみついていると、家の中からようやく足音が近づいてきた。
「あらあらクランちゃん、おじいちゃまがびっくりしているわよ。お義父様、ようこそおいでくださいました」
奥さんがにこやかにお出迎えに出てきた。
……奥さん、あんた策士だねぇ。抱き付けっていったの奥さんじゃねえかよ……。
俺は強面親父に抱き付いたまま、無邪気に微笑む奥さんの評価を改めていた。
今回の仕事の依頼人は奥さんとおやっさんのお袋さん、依頼内容は『強面親父の孫として誕生日を祝う』というものだ。
強面親父はその厳つく恐ろしい外見と態度のせいで、孫が小さい頃は全く接することができなかったのだそうだ。
強面親父は孫と遊びたいのだが小さい子供はびびって泣いてしまう。
泣かないくらいに大きくなったころにはもう一緒に遊べるお年頃ではなくなってしまう。
そこでだ、強面親父を見ても泣かない幼女である俺が、強面親父のしたかったことを誕生日である今日一日付き合ってやるのだ。
強面親父のしたかったことはお袋さんが下調べ済みで、それに合わせてお袋さんと奥さんで今日の計画と準備をしたらしい。
何とも涙ぐましい事情じゃねえか。
そんなことを聞いては断れるわけないし、おやっさんと慕うお人の親父さんなら俺にとっての爺さんといってもいいだろう。
果たして俺が強面親父を満足させられるかはわからないが、目つきの悪さで損をしている俺としては親近感を覚えて仕方がない。
だが正直なところ、クラインとして過ごしてきた王都で幼女として誰かに甘えるのはめちゃくちゃ恥ずかしいのも事実だ。
アネスト卿のときは場所も状況も普段とは違ったからできたんだけどな…。
俺は頬をかきながら強面親父に抱っこされていた。
やがて一息ついた強面親父と抱っこされたままの俺は馬車に乗り込む。
奥さんに見送られ、御者兼従者のおっちゃんと共に出発した。
まずは……。
そこは王宮管理の見事な花畑(いや庭園っていうのか?)だった。
各花壇ごとに違う花が植えられており、目の前は違う種類の赤い花がたくさん咲いており、隣には黄色い花がたくさん咲いている。
ちょっと向こうには色んな色が混じった花壇があり、他には花で国の紋章を描いている花壇まである。
そこを強面親父と手をつないで歩く。
「うわぁ、綺麗…」
花を愛でるような優雅な感性なんてない俺でも、素直に綺麗といえるくらいそこは凄かった。
「この花はなんだか豪華だね」
俺の目を引いたのは、バラなんだろうが真紅の花びらが何重にもなって大きく、顔を近づければ匂いもけっこうした。
その花を指さして強面親父を見上げる。
花と強面親父か……。うん、何も言うまい。
「 植物界 、被子植物門 、双子葉植物綱 、バラ目、バラ科 、バラ属 、名前は貴婦人の情熱。ユーベルト・ロイス殿の作品だそうだ。」
「……お、おぉう…」
強面親父はとつぜん呪文を唱えた!
クランはこんらんした!