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1.『Encounter1』

 ――神様から見放されたこの世界に、唯一つ救いがあるとするなら。それはこの空の美しさだろう。

 遮るものの無い天空は、数多の小さな輝きを通す。

 手を伸ばせば届きそうな光。それが届かない夢だとしても、終わってしまったこの世界で、夢ほど大事なものは無い。

 空を見上げている時。夢を見ている時だけは、過酷な現実を忘れることが出来るから。

 さて……と、軽く息を吐いて、視線を落とす。

 前面に広がるのは、荒廃した砂の大地。

 繁栄を誇った文明と、英知を極めた人間の技術を、丸ごと飲み込んでしまった砂漠。

 それが現実。俺が生きる、今と言う地獄。

 砂漠の風は冷たい。黒い外套のフードを目元まで深く被る。そうすることで、完全に風景と同化する。姿を消し、気配を殺す。曖昧になる自己の中、煌くは唯一閃、右手に握る剥き出しの刃。

 前方から聞こえる粗野な話し声に、精神を集中させる。足音や話し声から、『新人』の男が約五人。加えて数体の家畜と、馬車が一輌。

 心の中で一度頷き、刃を握る手に力を込める。無駄な思考や精神を断絶し、残された自我を軒並み刃に叩き込む。

 ――さあ、今日もまた、生き残るために人を殺そう。この現実を生き延びて、再び空を見上げよう。


 ……ところで、俺にはどうにも、納得のいかないことがある。

 古人曰く――空は、青いものらしい。

 これだけは、どれだけ考えても、思考を巡らしても、理解も納得も出来はしない。

 だって、俺が見上げるこの空は。

 俺たちが生きるこの空は、どこまでも黒く、暗いものなのだから。


1. 『Encounter』


 少女は震えていた。

 それもそうだろう。幌を被せただけの薄い馬車の中で、砂漠の夜の寒さに対して毛布すら与えられず、肌着と言っても差し支えない服装で過ごす彼女が、その寒さに震えることは、何一つ不思議は無い。

 しかし、それ以上に彼女は、内からあふれ出す恐怖に震えていた。

 街と呼べるかも疑わしい、暴力と略奪に溢れる集落の一角で蹲っていた少女が拾われ、馬車に積まれたのが、一ヶ月近く前の話。その時、馬車の中には彼女を含めて、四人の少女が居た。歳は皆、十歳強と言ったところ。彼女達は、肌の色や髪の色、瞳の色は違えども、皆同じ境遇だった。

 すなわち、『商品』としての境遇。彼女達を売るのも買うのも、彼女達とは縁も所縁も、果ては『種族』さえ違う、別個の存在。

 『新人』と呼ばれる、人類の文明が滅び荒廃した地上に適応した新たな生物と人間の関係は、大方何処に行ってもそのようなもので。

 主人と奴隷。飼い主と家畜。形は多々あれど、本質は何処までもシンプルな、要するに『人類』と『動物』という形。既に旧人類達は世界の支配者の玉座を奪われ、『動物』に成り下がっている。

 馬車に積み込まれた少女達は、日に日にその姿を減らしていった。

 誰かに買われたのかもしれない。逃げたのかもしれない。売れない腹いせに殺されたのかもしれない。唯一つ共通することは、消えていった少女達は皆、少女を売る側の男達によって、毎夜強姦されていたという事実である。

 それは、彼女がこの馬車に載せられてからほぼ毎日続き、毎日、夜になると、一人。或いは、彼女を除いた三人同時に、男達の欲望の捌け口として使われたこともある。少女だけは、『高値』で売れるということから、手を出されることは無かったが、それがより、彼女の恐怖に拍車を掛けた。毎夜馬車の外から聞こえてくる少女の悲鳴、男の嘲笑。時に聞こえる鈍い打撲音。それら全てが、蹲る少女の恐怖を煽る。新人と旧人同士は子を生さないという事実もまた、男達の行動に拍車を掛けた。

 或いは、早くに売られた方が幸せだったのかもしれない。『商品』として運ばれている少女達は、日が経つに連れて、一人、二人と姿を消して行き、男達は欲望の捌け口を失い始める。

 ……そして、今日。少女以外の三人の内、最後の一人が売られていき、今、この馬車に乗っているのは、彼女一人である。

 ……故に、少女は震えている。

 男達は、少女を『高値』で売れるとして、犯すことをしなかった。しかし、それはつまり、少女がそれだけ魅力的ということであり。既に他の少女達が売れて行ってしまった今、男達はその欲望に耐えることが出来るだろうか……?

「…………」

 恐らくは次に馬車が止まった時、彼女の純潔は散ることになる。少女は膝を抱えて、幌の隅に蹲って気配を殺していた。隠れても意味は無い。そんなことは分かっている。それでも、そうしなければ……少しでも抵抗しなければ、頭がどうにかなりそうだった。

「…………」

 蹲りながら、ただひたすらに、少女は祈る。何に祈っているのかも分からない。神は死んだと言われているが、この境遇に居る少女が、神と言う概念を知っているとも思えない。

 それでも、少女は祈った。

 誰か。

 誰か。

 誰か私を。

 

 ――誰でも良いから、助けてください。


 一際大きな揺れと共に、馬車が止まる。それと共に、少女の顔も絶望に染まる。

 ……だが、外から聞こえてきたのは、少女が予想していたものとは違う、男達の悲鳴だった。



 影が揺れた。と、男は思った。次の瞬間には、地面に落ちた視界が、首の無い自分の身体を見上げていた。


「――うわぁあああああああ!!!?」

 情けない悲鳴を上げたのは首を断たれた男とは別の男である。当たり前だ。首と胴体が離れてしまえば声を上げることも出来ない。そもそも、男は既に絶命している。

 呆気に取られたように立ち尽くす残る四人の男。少し遅れて、首無しの肉体が崩れ落ちる。鮮血を撒き散らしながら倒れる死体。その先から現れたのは――果たして、影絵のような青年だった。

 纏う外套は漆黒。フードの下から覗く瞳や髪の色もまた、漆黒。闇に溶け、輪郭を曖昧にする青年に対して、右手に握られる片刃の刀だけが、月光を受けて鈍く輝いている。

 まるで、男は唯の付属品であり、その刃こそ、本体であるとでも言うかのように。

 思わぬ敵との遭遇に身を固める男たちに対し、青年は即座に状況を確認すると、もっとも近い位置に居る男を、一太刀で両断した。

「……っ!! テメェエエ!!」

 仲間を二人も失ったところで、男たちはようやく動き始める。

 まず叫んだ男が、腰にぶら下げた山刀を抜いた。だが、それも遅い。青年は即座に踏み込み、斬り上げる動作で得物を手にした右腕を切り落とす。

「あ……」

 男が何かを言う前に、返す刃で頭を叩き割る。残り二人。流石に過半数以上も殺されるとかえって冷静になるのか、先ほどまでの愚は犯さぬと、一人の男が青年の後ろに回りこみ、正体不明の青年を挟み込んだ。

「お前、何もんだ……?」

 二人の内、恐らくはリーダー格と思われる男が、青年に問う。唯の盗賊ならば良い。それならば、言い訳する暇も無く惨殺してやろう。しかし、目の前の黒い男は何かが違う。唯の盗賊が、これほどの戦闘技術を持つ筈が無い。

「答えろ。お前は何もんだ」

「…………」

 男の問いに、青年は沈黙で答える。その様子に、男達に対する恐怖はまるで見えない。

「っ……! 答えろって言ってんだよ! テメェ、あんまりなめてるとバラすぞ!!」

 むしろ、何処か退屈そうにすら見える青年の様子に、男はドスを聞かせた声で叫ぶと、手にした山刀を青年に突きつけた。

「テメェ如きには分からねえかも知れねえが、こいつをあんまり甘く見んなよ? いいか、こいつは鉄器だ。そこらに広まってる青銅器とは格が違う。テメェのそのひょろっちい得物なんざ、あっという間に叩き割れるんだよ!! 」

「…………くっ」

 男の口上に、青年は初めて表情を変える。だがそれは、男達の望むようなものではなく、むしろ、彼らを心底嘲り笑うような暗い笑顔。

「なら、試してみるか?」

「……あ?」

 青年は、笑顔を携えて、男に視線を向ける。

「お前のなまくらが、本当に俺の刃を折れるか否か――試してみるかと聞いているんだ。でくの坊」

「て……てめぇええええぁあああああああ!!」

 咆哮。地を揺らすかのような叫びと共に男は分厚い鉄の山刀を振りかぶった。対する青年は、刀を顔の前で構える。

「るぅううううあああぁああああああああ!!!!!」

 渾身の力を込めて山刀を振り下ろす男。それは、『新人』特有の肥大化した筋繊維の力と共に、刀どころか青年自体を両断しかねない威力を持って彼に迫る。

「…………」

 それを、

「……は?」

 ――鈴。という音とともに、青年の刀が両断した。

「な……っ」

 に。という前に、返す刀が男の喉に深く突き刺さる。そのまま横に流して喉を裂きながら、青年は右足を軸に間髪居れずに振り返ると、間直に迫り山刀を振り上げていた背後の男の首下に、切っ先を突きつけた。

「…………」

 ごくり。と、分かりやすく男が唾を飲む。青年の背後で、彼らのリーダーだった男の肉体が、血を噴出しながら倒れた。

「……助けてくれ」

 正真正銘、最後の一人となった男が、手に持った山刀を捨て去り、両手を上げながら呟く。

「助けてくれ。俺は、お前に抵抗しない……」

「…………」

 沈黙。青年の反応はない。これではまずい。と男は思った。このままでは間違いなく殺される。

「金ならやる」

「…………」

 沈黙。

「何が欲しい? お前が望むものを、用意してやる」

「…………」

 沈黙。青年は男の喉下に切っ先を突きつけたまま、動く様子がない。

「なんだ、何が望みだ。欲しいものを言え。直ぐに用意してやる。奴隷が欲しいなら俺がなろう」

「…………」

 沈黙。青年の瞳は、退屈そうに男を見つめている。

「それと……その……」

「…………」

 沈黙。遂に言うことが無くなった男は、口を閉ざし、瞳を下に向ける。

「助けて……くれ……」

「……ああ、もう話は終わりか?」

 首に小さな痛みが走ったかと思えば、青年が刀の切っ先を首筋に押し当てていた。

「い、いや! まて! 未だだ! 未だ話はある……!」

 男は慌てて首を横に振った。その所為で喉に傷が出来てしまったが、構うものか。少なくともこの場で死んでしまうよりはずっと良い。とにかく話だ。話題を繋げ。話続けろ。そうすれば、生きていられる。どうにか逃げる算段が付くかもしれない。

 男は首筋に切っ先を突きつけられつつも、とにかく話し続けた。途中、何度も恐怖で舌をもつらせ。中には内容が支離滅裂なものもあったが、それでも自身の今までの経験や知識を全力で掻き出して話し続けた。ああ、あの時には無駄だと思った知識は、今ここで使われるためにあったのか。等と、下らないことを思いもした。

 そうして、何時間も話し続け、男が自らの生涯の半分までを語ったところで、男はついに口を噤む。

「…………っ」

 無駄だ。こいつは、どうあっても自分を逃がしはしない。仮に男がその生涯全てを語り終えても、青年は何の感慨も抱かないだろう。故に、無駄だと。ようやく男は悟り、絶望した瞳を青年に向けた。

 青年は、相変わらず、退屈そうな瞳のままで。

「……ああ、ようやく終わりか」

 それじゃあ殺すと、刃を煌かせ――

「……待て」

 それを、最後に男が止める。

「なんだ、未だあるのか」

 いい加減うんざりしたような表情の青年に対し、男は強張った表情のままで問う。

「お前は――何者だ」

 それは、彼らのリーダーがはじめに青年に聞き、徹底的に無視された質問。

 答えを期待したわけじゃない。

 それでも聞きたかった。

 鉄器を切り落とす刃を持ち。一息で五人を惨殺する実力を持ち。それだけの特徴を有しておきながら、旅商人として世界を巡っている彼らですら、皆目検討が付かない正体不明の男。

 この男は、何者だ?

 一体自分達は、何と出逢ってしまったのだ……?

「…………」

 男の最後の質問故か、それとも単なる気まぐれか。青年は少しだけ沈黙して、


「――吸血鬼」


 答えと共に、刃を振った。

 男の視界が一瞬、赤く染まる。熱い。と思った。喉が焼けるように熱いと思えば、次に息苦しさを感じた。呼吸をしようにも、呼吸が出来ない。一瞬で体中の力が抜け、砂の上に倒れる。もう立ち上がることは出来ないだろう。

 狭まっていく視界の中、男は青年を見上げる。月光を背に立つ青年が、その手をフードに掛ける。ああ、遂に、この男の正体が知れる……朦朧とする意識で、彼はそんなことを考え――絶句した。

 硬質化していない柔らかな頭髪に、鱗化していない、木目の細かい肌。よく見れば、黒い外套の下の肉体も細く締まっていて、新人の肉体のように、肥大化した筋肉や、恐らくは硬くなった外皮等も存在しないだろう。死の淵に立つ男は、更に絶望する。彼を、そして彼の仲間たちを一瞬で惨殺した青年は、どこからみても……彼らが動物と蔑み、すでに滅びと共にある、旧人のモノだった。

「…………ぁ」

 ……吸血鬼。

 男は、自らを吸血鬼と言った。成るほど、言いえて妙だ。旧人共の伝承に残る吸血鬼は、人の血を吸い、不死であり、太陽を嫌う。青年は血を吸うことも無ければ、おそらく不死でも無いだろう。しかし唯一、当てはまる箇所がある。


 ――旧人は、太陽の下では生きられない。


 この時代。既に太陽光線は、人の肌を焼き、遺伝子を破壊する無差別兵器と化している。逆を言えば、太陽を克服し、日の下で生きることが出来るようになったのが現在の新人である。変わりに大抵の新人の容姿は醜く変貌し、故に生物として劣る筈の旧人を、愛玩用・観賞用として用いる権力者が存在するのだが。

 意識が消滅する直前、男ははじめて納得する。人が羨む美貌を持ち、人を超える強さで殺し。……しかし朝と昼を知らず、夜しか生きられない。何処までも不安定で儚い存在。

 嗚呼――月光を背に立つ、黒い青年の姿は正に――



 沈黙。心底どうでもいい事柄を延々と喋り続けていた男は、喉を裂かれて地に伏した。これでは例え生きていたとしても、二度と声を発することなど出来ないだろう。

「…………」

 男が絶命したのを見届けてから、黒い青年は刀を納めて周囲を見渡す。他の男たちもとうに死亡し、この場で生きているのは青年のみだ。

 それを確かめると、青年は普段どおり、男たちが持っていた荷物を漁り始める。中でも、男達が振るっていた山刀は新人共にとっては珍しい鉄器だ。持ち帰れば高く売れるかもしれない。

 青年はそう思考し、自ら切り落とした一本を除く三本の山刀を担ぎ上げようとするが、あまりの重さに挫折する。何しろ強靭な肉体を持つ新人の為に鍛え上げられた山刀だ。その重さは尋常ではない。一本でも、両腕で支えてようやく持ち上げられるかどうかと言った所。

 青年は舌打ちすると、山刀を捨て置いて男たちの死体から高く売れそうなものを漁る。しかし青年の予想に反し、男たちは大した装飾品も持っては居なかった。

 軽く首を振って立ち上がると、青年は家畜に乗せられた荷物を漁った。それでも目ぼしいものは見当たらず、代わりに大量の食料が積まれていることに気付く。それも売り物になるような珍しい物ではなく、何処でも手に入るような保存食ばかり。

「……奴隷商、か?」

 男たちの姿から、商人であることは間違いないだろう。しかし、宝石や物珍しい古代の遺産を積まず、変わりに人数相当以上の食料を積んでいることから、彼らが売るのは生物……それも、自分たちと同等の生き物だと思われる。となると、奴隷商か、旧人を売る商人だろう。

「『商品』は……馬車の中か。それとも既に売れた後か」

 可能性としては、後者が高い。これだけの騒ぎを起こしても、まるで気配が無いからだ。

「…………」

 奴隷はともかく、旧人はかなり高値で売れる。売却済みなら、それなりに金銭を有しているだろう。食料は確かに必要だが、独りきりの青年にとっては食べきれない量の保存食より、安定性と万能性のある金が必要だ。青年はそう思考し、馬車に足を向けた。

 幌をめくる。大きな馬車の中は、乱雑に荷物が積まれていることを除けば、予想していたよりも清潔感が保たれていた。青年の予想通り既に商品は居なかったが、おそらく、この商人たちが売っていたのは旧人だったのだろう。

 労働力として運ばれる新人の奴隷に対して、旧人たちは観賞用、愛玩用として扱われるので、外見もそれなりに整えられる。……もっとも、だからといって、必ずしも待遇が良いとは限らないが。

 青年は一度頷くと、馬車の中に足を踏み入れた。モノが旧人なら、儲けは相当なものだろう。同属が売られた金を奪うというのも、妙に心苦しいものではあるが、それでもこの男たちに使われるよりは、売られた者たちも本望ではないだろうかと、青年は思った。

 気を取り直して、荷物を漁る。目当てのものはすぐに見つかった。両手で掴めるほどの袋の中に、銀貨がパンパンに詰められている。これだけあれば、当分は困ることも無いだろう。

 彼は袋を外套の下のベルトに引っ掛けると、他には無いかと馬車の奥へと向かい――角に、不自然に高く詰まれた木箱を発見した。

 青年は訝しそうに眉を顰めると、詰まれた荷物に手を掛ける。荷物の中身は抜かれていて、容易に持ち上がった。幾つか投げ捨てると、木箱と木箱の合間に不自然な隙間があるのが分かる。

「……何か、あるのか?」

 青年は、次々に木箱を投げ捨てていく。そのどれもが空箱で、投げ捨てるのは簡単だった。

 そして、その隙間にたどり着き、現れたのは……。


「――――」


 ――白い。

 それが、青年の第一印象だった。

 現れたのは、旧人の少女。腰ほどもある純白の髪と、同色の肌。容姿にあわせたかの様な白いワンピースを着た少女は、馬車の隅で小さく蹲って震えている。

 恐らく、青年が商人たちを襲撃したときからそうしていたのだろう。隠れていたのか。それが何からかは青年には分からないが、少女はずっとそうしながら、恐怖に耐え続けていた。

「……おい」

 少し躊躇った末、青年は少女に声を掛けた。少女は一際大きく身体を震わせると、ゆっくりと顔を上げる。

「…………」

 再び沈黙。少女の容姿に青年は言葉を詰まらせる。

 基本、売られていく旧人は女性や、年端も行かない少年少女が大半を占める。それは旧人の『用途』からすれば当然ともいえるが、実は、容姿はあまり問題にならない。新人たちと比べれば、大抵の旧人は美しいものであるからだ。

 しかし、目の前の少女は、同じ旧人である青年の眼から見ても思わず目を見張るほどの美少女だった。

 細い顎。小さな鼻。薄い唇。小さな少女の容貌を整える眉や睫は髪と同じく純白。怯えたように青年を見上げる大きな瞳は、透き通るように深い青。

 新人共を惨殺する時には一切の感情を見せなかった青年が、初めて瞳に動揺を見せる。

 ――有体に言ってしまえば、彼は見惚れていたのだ。目の前の、白い少女に。

「…………いや」

 青年は一言否定を口に出すと、軽く首振って心を静めた。これは必要の無いものだ。同属……しかも年端もいかない少女を売りに出せるほど、青年は冷酷でも冷徹でもないが、だからといって無関係な少女に救いの手を差し出すほど、善人というわけでもなかった。

「…………」

 少し悩んだ末に、青年は先ほど手に入れた袋から十数枚の銀貨を取り出すと、少女の前に落とす。それが、今の青年から少女に与えられる最大限の救いだった。

「服は……そこらの荷物か、外に転がっている男から奪うと良い。食料も山ほどある。好きなだけ持っていけ」

 呆気に取られた様に青年を見上げる少女の、自分を見つめてくる青い瞳を無視して、青年は言葉を続ける。

「それと、西のほうには行くな。あちらは新人どもの領土だ。お前が行ったところで再び蹂躙されるのがオチだろう」

 自分ひとりでも手一杯だというのに、更に少女まで養う余裕は、青年には無い。しかし、結果的にとは言え、彼女の人生を捻じ曲げたのは青年だ。その責任だけは取らなければならない。

 ……我ながら中途半端なものだと、青年は心の中で苦笑する。

「じゃあな。縁があってお互いに生きていたら、また会おう」

 そう言い残して、青年は踵を返す。少女の青い瞳が、何か言いたげに見つめていたが、これ以上の感情移入は得策ではない。

 馬車から降りた青年は、少女の事を頭から振り払い、三頭いるラクダの内の一頭に歩み寄ると、手に入れた荷物をその背に載せた。運ぶなら、この方が良い。ついでに家畜として売りにも出せるので、一石二鳥だ。

「……さて」

 一度息を吐くと、青年は夜闇に混じるように再びフードを被る。気を抜くには、未だ早い。夜が明けるよりも前に、急いで街に帰らなければ。



 日干し煉瓦で造られた建物が乱雑に立ち並ぶ街は、ここ一体の集落では唯一、旧人にも人権が認められている街だ。

 この街の住民は皆、難民や脱走した奴隷。犯罪者や旧人など、世間から迫害された者達ばかりである。そうしたはぐれ者達が出会い、自衛の為に集まって作り出したのが、この街の発端であり、故にこの街では、全ての住民が対等な権利を持っている。

 通称、城壁の街。そして、青年もまた、この街の住民だった。

「よお、『夜』……っ!?」

 土作りの建物に青年は足を踏み入れる。客の居ないテーブルがそこらに乱立する中、カウンターの奥に立つ新人の男が、入ってきた青年に声を掛けるが、不自然に息を詰まらせた。

「……どうした?」

「あ、ああ……いや。なんでもない。どうだ、今日の仕事は順調だったか?」

 男は、暫く呆気に取られたように口を開いていたが、直ぐに気を取り直して、青年に笑顔を見せた。

「アンタの仕事は、あまり順調じゃないらしいな」

「言うねえ。これでも昼間は、それなりに繁盛しているんだけどな」

 入って早々悪態を吐く青年に、店主は肩を竦めて答える。

「昼間のほうが繁盛している酒場というのも、どうなんだか」

 青年はカウンター席に座りながら、軽くため息を吐きながら答える。店主は何も言わず、苦笑するだけだった。

「……それで、今日も何時もどおりで構わないな?」

「…………」

 青年の沈黙を、男は肯定と取ると、奥にある棚から二本のボトルを取り出す。その内の片方に入った液体を、グラスに十分の一ほど注ぐと、もう片方のボトルの液体を注いだ。

「はいよ。何時もどおりだ」

「……ああ」

 軽い音を立ててカウンターに置かれるグラスを、青年は手に取ると、少しだけ口を付ける。店主はその様子を見ながら、太い腕を組んで神妙な顔で頷く。

「水も十分にろ過しなきゃ飲めない。酒もそうとう薄めないと直ぐに回っちまう。……旧人ってのは、厄介なもんだよな」

「……そうだな。だから俺達はこうして滅びかけているわけだ。……脆い生き物さ」

「お前がそれを言っても皮肉にしか聞こえないけどな。悪名高い『黒閃』さんよ。新人の街じゃすっかり噂だぜ? 『出会えば死ぬ』、夜の砂漠に現れる正体不明の吸血鬼ってな」

 青年の呟きに、店主は軽快に笑いながら答えた。

 『夜』。『黒閃』。『吸血鬼』。多様な名前を持つ青年だが、その本名を知る者は居ない。街の住民には『黒閃』と、新人達を恐怖に貶めている噂では、『吸血鬼』と。

 そして、ある程度身近な者には、『夜』、と呼ばれている。

「まあ、アンタみたいな奴が居るからこそ、この街は安泰なんだけどな」

 そう言って、店主は肩を竦めると、幾分真面目な顔をして青年に向き直った。

「……なんでも、西の自治都市が『帝国』に占拠されたらしい。暫くは難民共が流れてくるぞ」

 旧人もな。と言って言葉を切る店主に、青年は軽く顔を顰めた。

 『帝国』。大陸の西に作られた巨大な新人達の共同体は、その屈強な力を使って領土を広げていき、唯でさえ新人の権利が強い世情の中、旧人の人間としての権利を、こぞって剥奪していった。

「これでまた、旧人の生きていける場所が減ったわけだが……。何か思うところは?」

「……別に、何も」

 青年は、店主から瞳を逸らしながら、酒に口を付ける。実際、大して興味も無かった。自分が迫害される側の人種だということは分かってはいるが、新人が旧人を犯し、殺すとしても、彼もまた、数多の新人を殺戮している。だからといって許されることとは思わないが、自分に口を出す権利は無いだろう。と、彼は思っていた。

「それにこの街は、新人も旧人も関係ないからな。実感が沸かないということもある」

 そういう意味でこの街は、奇跡のような街だろう。新人と旧人。その両方が、ギリギリのバランスで成立している。

 青年の言葉に、男は一度頷くと、口を開いた。

「そうだな……だからこの街はこうして成立している。ひ弱な旧人だけじゃあ即座に滅ぼされていただろうし、愚鈍な新人どもだけじゃ、さっさと帝国に組み込まれていただろう。それに、旧人達が持っている知識や技術も、新人には無いものだ」

「俺たちのってわけじゃない。古人の残したものを再活用しているだけだ」

「それだってあんた等の祖先が積み上げてきたモンだろう? だったらあんたらのモノと言っても過言じゃあ無いだろう。あんた等の持つモンは、俺たちではどう足掻いても理解できないからな。まるで魔法か何かだ。それが、愚かな帝国の連中には分からないのさ」

 やれやれと肩を竦める店主に、青年は息を吐く。魔法のよう、というのも大げさな話だが、実際、新人達が持つ文明と、旧人の文明では、技術に大きな開きがある。

 一から組み上げるが、元からあったものを利用するかの違いだが、それが果たして何だというのだろう。旧人の技術は長い年月の末に磨耗して、殆ど忘れ去られている。砂に埋もれた遺跡から発掘したものを、過去の文献や残された知識からどうにか再現しているに過ぎない。それも原始的なもので、中にはどうやって製作したのかも。そもそも何の用途に使われていたのかも、理解できないものの方が多い。

「それに、それでも俺達は、自身の滅びの運命を止めることは出来なかったんだ。そんな技術が何の役に立つっていうんだ。結局俺達は、世界の敗者なんだよ。その程度で、あんた等に敵うとは思わない」

 どれだけの技術や知識を有しようと、旧人は生物として新人に劣っている。水も飲めず、日光を浴びただけで肉が爛れるような生物は、既に滅んでいると言っても過言ではない。

 ……それでも彼らが絶滅していないのは、このように新人と旧人が共存できる街が、少なからずあることや、他ならぬ新人達による、旧人を飼う風習によるものでもある。

「なまじ生き物として近いところがある分、どうしても躊躇いが生じてしまうんだろうな。言葉も通じるし。ったく、厄介なもんだよな」

 いっその事、全く違う生き物だったら良かったのに。と、店主は言った。

 それだったら、お互い、遠慮することも無かったろうに……と。

「……もしそうなら、俺はアンタを一番に殺しているよ」

「はは。そいつは勘弁だ。言葉が通じてよかったよ。平和的な解決が出来る」

 笑う店主に、青年は黙る。言葉が通じるだけで平和的な解決が出来るなら、世界はこうも過酷じゃない。そう思っても、口にはしなかった。この気楽な酒場の店主だって、この街に流れてきている以上、それなりの地獄を見てきた筈だ。

 それでも、こうして笑えているのは、それが彼の強さであり。その強さは、青年には無いものだった。

「さて」

 一通り笑ったところで、店主は再び青年に目を向けた。既に先ほどまでの楽観的な雰囲気は消え、店主は鋭い眼光で男を見つめた。

「それで、今日の稼ぎは?」

「……売れるようなものは、何も」

 男の問いに、青年は肩を竦めて答える。

「不調だったってことか?」

「いや。とっくに売り払った後だったのさ。金と食料は手に入ったが、アンタが欲しがるような珍しいものは無い」

 これが、青年の仕事だった。青年は近くを通る行商人を襲い、その荷物を強奪する。そしてそれを、酒場の店主に売る。店主はそれを、誰か欲しがる人物に売買する、仲介人のような仕事も兼ねていた。

「そうか……。お前は失敗することが少ないから期待していたんだけどな。……それじゃあ俺の稼ぎは無しか」

 青年の答えに、店主はがっくりと肩を落とした。店主は仲介人であるので、青年が個人で金を稼いでも、彼の利益にはならない。精々、青年の財布の紐が緩くなるのを期待するくらいだ。

「ああ……そうだ」

 青年は落ち込む男の姿を見ながら酒を啜っていたが、ふと、食料を持ち帰るのに使ったラクダを、店の外に繋いでいたのを思い出す。

「家畜を一頭手に入れた。欲しければやるよ」

「家畜……ああ……」

 顔を上げた店主は、一瞬首を傾げるが、直ぐに納得したように頷いた。

「お前が何も言わないから、一体なんだと思っていたが、成るほどそういうことか」

「…………?」

 店主の言動に青年は眉を顰める。ラクダは店の外に繋いでいて、ここからでは見えないはずだが……。

「わかった。そういうことなら取り合おう。それだけの上物なら、何処か他所の街に行けば高値で買い取ってもらえるだろうしな。……しかし、お前もえぐい事をするな。よりにもよってこの街で、か」

「……待て、何を言っている?」

 饒舌に語る店主の言葉を遮る。上物も何も、ただのラクダだ。言うほど高価なものでもあるまい。何より、えぐいとはどういうことだろう。

「何を言ってるって、商売の話だろう? そこの……」

 店主は、きょとんとした様子で答えると、その指を青年の背後に、

「お前が連れてきた、お嬢ちゃんの話だよ」

 ――正確には、彼の背後に立つ、白髪の美少女に向けた。

「…………っ!?」

 後ろを振り向いた青年は、椅子から転げ落ちそうになるのをどうにか堪える。

「お前……っ!?」

 そこに居たのは、確かにあの場に居た白い少女だった。

「……着いてきたのか?」

「…………」

 青年の問いに少女は答えず、ワンピースの裾を握り締めて俯く。

「何だ、商品じゃないのか?」

「ああ……こいつは」

 商人達が売っていたモノだと言おうとして、青年は口を噤む。そうだ、この街は、そういった者たちをこそ受け入れる場所ではなかったか。

「いや……こいつは、新しい住民だ。今日、俺が襲った商人たちが売っていた」

「成るほど」

 青年の言葉に、店主は一度、納得したように頷く。

「だが、そんな小さな子が一人で一体何が出来る?」

「それは……」

 青年は、少女に向けていた視線を店主に戻す。この街は誰もが対等であるが、それ故にシビアだ。種族でも権力でもなく、単純に力や知識、技術のある者達が、互いに認め合っているからこそ、成立しているといえる。故に、何の力も無い、しかも一日の半分しか外出できない旧人の少女が、一人で生きていけるかと言えば、否である。

「…………」

 言葉に詰まる青年は、再び不安げな表情の少女に目を向けた。下手に関わらないほうが良いと、心の中の冷静な自分が言うが、しかしここまで来てしまったなら一緒かと、青年は小さく首を振る。

 そもそも、中途半端に手を差し出したのは、自分の方では無かったか。

 ならば、その責任を取るのは自分である。

「……おい、こいつにあう服を一式、一週間後までに用意しろ」

「はいよ。お代は如何ほど?」

 青年は外套の下から銀貨の入った袋を出すと、その中身を全てカウンターにぶちまけた。

「ふうん……ま、これくらいだな」

 店主は、カウンターに詰まれた銀貨の山から、半分ほど自分の側に寄せる。

「まいどあり。お得意さんの頼みだからな。しっかり用意してやるぜ。それに、この街で、薄着に裸足はキツいだろうしな」

 そう言って笑う店主に、青年は残された銀貨の山を再び袋に詰めると、無言のまま立ち上がった。

「なんだ。もう帰るのか」

「ああ。色々とやらなければいけないことも出来たからな」

 店主に告げて、青年は踵を返す。後ろで立ち竦む少女が、びくりと身体を震わせた。

「……行くぞ。未だ生きていたいというなら、俺に付いて来い」

 少女に黒い瞳を向けて、無愛想に呟くと、青年は酒場を後にする。

「…………」

 残された少女は、青年が出て行った出入り口と、苦笑して肩を竦める店主を交互に見つめるが、すぐに青年の後を追った。


 橙色の街灯が照らす、夜の街を歩く。この街灯も旧人の技術によるものであり、日の光を浴びることが出来ない旧人達にとっては特に必要なものだった。

「…………」

 先導する青年の後を、裸足の少女がぺたぺたと、少し駆け足に着いてくる。黒と白。対照的な二人の姿は、他の住民たちの目には、一体どう映るのだろうか。

 ……いや、その前に。裸足で、肌着とも取れるワンピース一枚しか着ていない少女を無言で連れまわす青年。という構図は、どういったものなのやら。

「……はあ」

 ため息を吐いて、青年は黒い外套を脱ぐと、おもむろに後ろを歩く少女の頭に被せた。

「……? ……?」

「着ていろ。寒いだろう」

 困惑した様子で見上げる少女に、青年はぶっきらぼうに呟くと、再び前を向く。身体を冷たい風が抜けていくが、仕方あるまい。

 この街の夜は――当然といえば当然だが――特に旧人が多く、また彼らは経緯が経緯だけに、そういったものを嫌悪する。これからずっと、冷ややかな視線に晒されて過ごすよりは、一時の物理的な寒さなど、我慢できないものでもない。青年は、外套に合わせた黒い上着の襟を立てると、夜道を急いだ。



 城壁とその内側に沿うように立てられた建物は、他の建物とはその様式を異とする。街の内側に乱立するような、日干し煉瓦で造られたものではなく、灰褐色の人造石で作られた城壁や建物もまた、旧人の技術によるものである。

 その為、旧人の居住は特に郊外に集中していた。帝国の征服行為による難民の増加から、街は増築を余儀なくされている。新たな城壁を生み出していくのに、技術者が近くに住んでいたほうが何かと都合が良いからだ。

 もちろん、城壁に住むのは旧人達だけではない。何時攻め込まれても良いよう、また、この街の発展に必要不可欠な旧人を保護するため、新人の自衛兵達も駐在している。

 ……そして、青年は旧人でありながら、技術者ではなく傭兵として、城壁の中に居を構えていた。

「よう『夜』。今日は随分と早いんだな」

 門の前に立つ、新人の大男が青年に友好的な笑顔を見せる。

「ああ。少し込み入った用が出来てな。明日から少し騒がしくなるかもしれない」

「騒がしくって……お前が声を上げる様子なんて、想像も出来ねえよ」

 青年の表情は、憮然として変わることがない。それでも若干口数が増えているのは、彼がその新人に対して多少なりとも心を開いているからであり、そんな青年の些細な感情の機微が理解できる程度には、男も青年のことを知っていた。

「俺じゃない。とにかく、これから忙しくなる。もしかしたら仕事の数を増やすかもしれないが、俺の問題だから、アンタに迷惑は掛けない。ヴィルには伝えておいたほうが良いかと思った」

「あ? ……ああ、それなら別に良いけどよ、俺じゃないってのは、どういうことだ?」

 ヴィルと呼ばれた男は、青年の言い回しに顔を顰めた。

 もしや、青年が友人でも連れ帰ったのだろうか。それならそれで、彼がこの街に来たときから面識のあるヴィルにとっては、寧ろ祝うべきことだ。

 無口で無表情な青年は、積極的に人に関わるということをせず、友人と呼べるのも彼を含めて城壁に住む数人だけである。その彼が、自分から他人を連れ込むということがあるなら、祝うことこそすれ迷惑などとは毛頭思わない。

「ふうん。それで、お連れさんはどちらに?」

「ああ……」

 ヴィルの言葉に青年は後ろを振り向くが、その背後には誰も居ない。首を傾げて青年の瞳が見つめる先を追うと、二十メートルほど向かいに、おぼろげに動く黒い影があった。

「……なんだありゃ」

 暗がりに目を凝らしてよく見ると、それが、青年が何時も着ている黒い外套だということに気付く。しかし、本体がとにかく小さい。もしかしたら自分の半分しかないのではないか。それは流石に冗談だとしても、二メートルを超えるヴィルと比べれば、腰ほどにも満たないだろう。それ故、容姿は外套に埋もれていて、ここからうかがい知ることは出来ない。どうにか確認できる口元や体格から、それが旧人であろうことは認識できるが……。 

 黒い外套はふらふらとよたつきながら、どうにか青年の背後までたどり着くと、そこで止まった。

「『夜』……こいつは……?」

「ああ。しばらく、俺の部屋に泊めることになる」

 説明しながら、青年は、背後に立つ旧人のフードに手を掛ける。それは一瞬、怯えたように身体を震わせたが、青年は気にする事無く、フードを払った。

「…………」

 フードから、白い長髪がはらりと揺れる。大きすぎる外套の下から現れたのは、あまりにも美しすぎる、旧人の少女だった。

「ええ……と」

 少女と青年を交互に見渡して、ヴィルは頬の鱗を掻いた。

 彼は、青年が友人を連れて来るようなことがあれば、それは喜ばしいことだと思っている。女であったなら尚更だ。もしそんなことがあれば、城壁を上げての祝杯にしてやろうとすら考えていた。

 ……しかし。出てきたのは、女は女でも、どう見ても年端も行かない少女である。

「あっと……そのだな、『夜』よ。俺みたいな新人が、旧人であるお前の趣味に口出すのは、おかしな話かもしれんが」

「なんだ?」

 何がおかしい、とでも言わんばかりの態度の青年に、ヴィルは言葉に詰まる。しかし、例え種族の違いがあっても、種差を越えた友人として、忠告しなければならないことだってある。と、彼は自分の中で決意を固め、再び口を開いた。

「その……な。確かにその、可愛い少女だとは思うが……なんだ、流石に幼すぎやしないか? いや、この街でそんなことを言うのも変な話かもしれんが、それは道徳的に……」

「…………はあ」

 ヴィルの、出来るだけ優しくオブラートに包んだ忠告に、青年は大きく肩を落とす。

「……こいつは、今日襲った商隊で売られていた元商品だ。結果として俺が解放して、今日ここに連れて来た。しばらくは俺が面倒を見ることになる。……それだけだ」

「あ……ああ、なるほどな」

 妙な妄想をした気恥ずかしさと、青年の性癖が異常でなかったことへの奇妙な安堵から、愛想笑いにも似た笑みを見せるヴィルを、青年は責めるような顔で見上げる。

「そんな睨むなよ……うん? でも待てよ。お前、もう一人養えるような余裕があるのか?」

「…………」

「……お前、案外お人良しだったんだな」

 閉口して瞳を逸らす青年に、ヴィルは一度、納得したように頷くと、呆れたように呟いた。青年は、「そんなんじゃない」と小さく反論するが、それ以上言い換えそうとはせず、ただ眉を顰めるだけだ。本人も自覚しているらしい。

「なるほど。忙しくなるってのはそういう意味か」

 要するにこの青年は、少女の為に自分を犠牲にしようというのだ。呆れを通り越して笑ってしまう。他人を助け、支えあうことはあっても、その根底はギブアンドテイクが原則だ。自分を犠牲にしてまで他人のために行動するようなことは、この街の住民はしない。

 だが、青年のことを良く知るヴィルは、今回の彼の行動を悪いことではないと考える。今までの彼は、あまりにも他人に興味を示さなさ過ぎた。何を言っても、共に生きるならば情が移るのが人間だ。

 故に彼らは、シビアな原則を置きつつもそれなりの友好関係を作っていた。その関係は、戦場を共にし、時に切り捨てる。それでも生きているのならばお互いに笑い会えるような、戦友のそれに近い。

 ……だが。青年は、他人に殆ど関わろうとせず、自分の内側を見せようとしない。それは、それなりに深い親交のあるヴィルが相手でも、同じことで。

「……分かった。お前が忙しいときは、出来るだけ俺が面倒を見よう。それで良いな?」

「……良いのか?」

 ヴィルの言葉に、青年は瞳を丸くする。彼のそんな表情を初めて見たと思いながら、ヴィルは苦笑して言葉を続ける。

「良いさ。世の中ギブアンドテイクだ」

 少女の存在が、青年に良い影響を与えるなら、ヴィルにとっては歓迎すべきことだろう。

「……すまない。恩に着る」

 そう言って頭を下げる青年の姿もまた、ヴィルがはじめて見る姿だ。もしかしたら、既に影響は出始めているのかもしれない。

「ははっ。というわけでよろしくな。お穣ちゃん」

 ヴィルは微笑しながら、角ばった指を少女の頭に伸ばす。

「……っ!」

 少女はびくりと身体を震わせると、ヴィルから一歩後ずさって、再びフードを被る。

「…………」

 ヴィルは無言で、伸ばした手を、引きつった笑みを浮かべる頬へと戻した。

「えっと……なんだ、やっぱり新人が怖いのかね」

「単にお前の顔が怖いだけだろう。デカブツ」

 青年の毒舌に、ヴィルはがっくりと肩を落とす。旧人よりも体格の大きい新人の中でも、一際長身のヴィルが落ち込む姿はそれなりに愛嬌があるが、それも少女には関係ないらしい。

「その心を抉る台詞……やっぱりお前はお前だな。せめてこれから改善されると良いんだが……」

「何言ってる。……おい、お前もだ。何時までもフードを被っているな。いい加減中に入るぞ」

 言いながら、青年は少女に手を伸ばすが、少女は先のヴィルの時と同じように身体を震わせると、一歩下がって間合いを取った。

「…………」

「…………」

 無表情のままで固まる青年と、小動物さながらの警戒を見せる少女に、ヴィルは必死に笑いを堪えていた。



 部屋に着く。青年は手探りで電灯のスイッチを入れると、ベルトポーチを外してソファの上に投げた。次に吊り下げていた刀を外し、壁に立てかけると、後ろを振り向く。

 外套を頭から羽織り、姿を隠す少女に、青年は今日何度目かも分からぬため息を吐くと、上から外套を掴み、剥いだ。

「……っ! ……っ!」

 小さく抵抗する少女を無視して、青年は外套をポールハンガーに掛け、奥へと進む。その後ろを、白い肌をむき出しにした少女が、怯えながらも着いていく。

「そんなに何かを羽織っていたいなら、これでも被っていろ」

 そう言って、青年はベッドから毛布を取ると、少女に投げ渡した。外套の時と同じく、頭から受け取った少女は、すぐに身体に巻きつける。

「……はあ」

 肩を落としながらベッドに腰を下ろす。と、立ち尽くしたままの少女が、毛布から顔だけ出して、不安気な表情でこちらを見ていた。

「……とりあえず扉を閉めてくれ」

「…………」

 少女は小さく首を縦に振ると、毛布を引きずりながら扉に向かう。

「……どうしたものか」

 毛布に包まる少女を見ながら、青年は頭を抱えた。ヴィルや、店の店主に宣言したは良いものの、子供のお守りなどしたことが無い。そもそも人生の中で、人間関係に重きを置いてこなかった。そんな自分が、よりにもよって子供と生活など出来るだろうか。

 あまりにも先行きが不安すぎる。

「…………」

 ふと顔を上げると、目の前に少女が立っていた。扉を閉めてから何をすれば良いのか分からなくなり、青年の前に立ち尽くしていたようだ。

「…………」

 自分だけ座っているのも、と思い、ベッドの横をぽんぽんと叩く。ここに座れという意思表示だったが、少女は未だ警戒しているらしく、軽く後ずさった。

「……わかった。そこに座れ」

 軽く肩を落として、青年は立ち上がりながら向かいに置いたソファを指差した。少女は、軽く躊躇った末、結局ソファに腰を下ろす。

「紅茶でも入れるか……おい、お前も飲むか?」

「…………?」

 ぽかんとした表情で、首を傾げる少女。

「……紅茶が何か、分からないってことか?」

 こくり。小さく頷く少女に、青年は困ったように眉を顰めると、わかった。と小さく呟く。そういえば、水や茶葉はともかく、この部屋にはカップが一つしかない。それなら、優先する方は決まっていた。


 ソファに座る少女は、カップに注いだ紅茶をちびちびと飲んでいく。少しは慣れてきたのだろうかと、青年が少女に手を伸ばすと、やはり少女はびくりと震えて身体を逸らした。

「…………」

 あまり人目を気にする方ではない青年も、ここまで拒絶されると流石に思うところがある。それとも、やはり自分の無愛想な顔が悪いのだろうか。子供と接するときは笑顔が基本だと誰かが言っていた気もする。青年は、軽く頬に指を添えて唇を吊り上げるが、部屋の隅に置いた鏡に映ったのは、あまりにも不恰好すぎる笑顔だった。

「…………」

 無言で指を頬から離す。やらなければ良かったという後悔の念が心を過ぎる。視線を落とすと、少女が興味深そうな目で青年を見ていたが、瞳を逸らしたのは青年の方だった。

「……まあ、いい。そろそろ話を纏めよう」

 青年は、仕切りなおすように一度咳をすると、少女と向かい合うようにベッドに腰掛ける。少女も青年の意図を察したのか、カップから口を離して、怯えながらも青年に向き直った。

「まず、お前の名前は?」

「…………」

 沈黙。少女は青い瞳を伏せる。

「……名前が無いのか」

 少女が首を縦に振って、肯定を示す。

「一応聞いておくが、故郷は? 帰る場所はあるか?」

「…………」

 今度は、首を横に数回振る少女。不安げな瞳の少女に対し、青年は口元に手を当てる。

「……もしかしてお前、声が出ないのか?」

「…………」

 少女は一度、その青い瞳を大きく見開くと、困ったように瞳を伏せ、小さく頷いた。

「……そうか。やはりな」

 納得がいったというように、青年が数度頷く。

「言葉は分かるな?」

 こくりと肯定。

「文字は? 書けるか?」

「…………」

 沈黙。やがて少女は、力なく首を横に振った。

「そうか」

 まあそうだろうな。と、青年は呟いた。今の時分、商品として売買される旧人に文字を教えることなど殆ど無い。ここに居る旧人達も、大抵がこの街に来てから文字を覚えた者ばかりだ。

 そこで質問を終え、再び青年は思考に戻る。言葉が分かるなら、声が出ないことなどさして問題ではない。しかし、意思疎通の方法は必要だ。今後の課題として、文字は教えておくべきだろう。

「わかった。……これからのことは追々考えるとして……」

 そう結論付けて、青年は立ち上がる。

「…………?」

 青年が近寄ると、少女は不安げな表情で見上げてくる。その顔には、やはり青年への恐怖が、多少なりとも含まれていた。出会ってから半日と経っていない男を容易く信用しろという方が、無理な話なのだろうが。

「…………」

 見上げる青い瞳は、深く澄んでいる。青色の宝石なら青年もいくつか知っているが、少女の瞳の色はそれとはまた違う色合いをしている。混じり気の無い、圧倒的な青。それが何に似ているのか……少なくとも、青年の知識の中には見当たらなかった。

「…………?」

 怯え気味の少女の頭を、青年は撫でた。もっとも、力加減など知りようも無いので、無造作で乱雑な撫で方ではあったが。

「……? ……?」

 少女が、酷く困惑した顔で見上げてくるので、青年は撫でるのを止めた。柔らかい白髪から手を離すのは少し名残惜しくもあったが、そうも言ってはいられない。

「……少し、出てくる。それを飲み終えたら、寝ろ。もう夜が明ける」

 そう言い残すと、青年は踵を返して扉に向かう。それは、彼なりの不器用な配慮だったのだが、その意図を掴めなかった少女は、その前の青年の行動も含めて、不思議そうに青年を見送った。


 一時間ほど部屋の外で過ごした青年が部屋に戻ると、既に少女はソファの上で眠り込んでいた。

「寝たか……やれやれ」

 今まで安心して満足に眠る事など殆ど出来なかったのだろう。少女の眠りは深く、そうそう起きることは無さそうだ。毛布に包まるその姿は、儚げな小動物を青年に連想させ、珍しくその頬を緩ませる。

「さて……よっと」

 青年は、少女を毛布に包んだまま、起こさないようゆっくりと抱え上げると、そのまま静かに、ベッドに運んだ。

「どうせ眠るなら、ゆっくり眠れるほうが良いだろう」

 少女に問うも返答は無い。当然だ。起きられては困る。そんなことより、問いかけた自分の声色の柔らかさに、青年自身驚いた。

「…………」

 再びベッドに横たわる少女の髪に手を伸ばす。怯えられることも、困惑した瞳で見つめられることも無い。白い髪は柔らかく、掬った先からさらさらと零れ落ちていく。青い瞳は目蓋に隠れて見えない。

 彼女が背負ってきた過酷は、今時珍しいものではない。むしろ彼女は、傷を付けられるより前に救いが現れたのだから、相当運が良い方だろう。

 ……それでも。

 なぜだろう。


 この少女が傷つく姿は、どうしてか、見たくなかった。



次回更新は10月1日20時予定

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