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VS. バレンタイン (6)

 沙紀の家は、どちらかというと豪邸の部類に入る。大きな花壇に植えられた四季の花たちが見る人を楽しませ、一年中緑を失わない西洋芝が広い庭を覆う。芝の手入れのために電動の大型芝刈り機を持っている家など、この近辺だけでなくともそうそうあるものではない。

 その豪邸の一室……東南角の二階が沙紀の私室だ。一人で寝るには少々大きめのベッドの他、枕カバーやカーテン、至るは椅子の背もたれカバーまで、部屋の中は上品なピンク色で統一されている。別に沙紀はピンクが好きというわけでもないので、沙紀の趣味というよりも母親の趣味が色濃く現れた部屋なのだろう。意外なほど整理整頓された机の棚に、可愛いのか可愛くないか判断のつきかねる犬のぬいぐるみがドッカリと場所をとっている。

 沙紀は、その机の上で頬杖を突きながら座っていた。ため息は、何度でも止め処なくもれてくる。とはいえ、原因は相手の東条の方ではなく、そんな男に惹かれてしまった自分自身……自己嫌悪という言葉がピッタリだった。

 何度目かのため息をついた時、何か小さく固いものが窓ガラスを叩く音がした。音のした窓ガラスを見返すも、何の音かがわからない。気のせいかと思い、沙紀は再び机の上で頬杖をついた。だが、気のせいではなかった。その音は、何度も断続的に聞こえてきたからだ。

 沙紀は、首を傾げながら、大きな窓を開けた。


「や、山崎……!」


 沙紀の部屋から、山崎の立っている門前までは約二十メートル。その間には広大な庭があるだけだ。持ち前の抜群の視力で山崎の姿を確認した沙紀は、驚きの声とともに言葉を失った。子どもの頃、山崎はこうして沙紀の部屋の窓に小さな石つぶを投げつけたものだ。迎えに来たことを沙紀に知らせるために。その時の記憶が、一瞬沙紀の脳裏に蘇った。沙紀は、急いでジャンバーを羽織り、部屋の外に飛び出した。

 門前まで駆けつけると、山崎の姿はもうなかった。だが、沙紀は迷うことなく近くの公園に足を向けた。かつて飽きるほど遊んだ、子どもの頃の沙紀たちの定位置といって差し支えのない公園だ。当時と違い、むき出しだった土の地面には鮮やかな緑の芝生が植えられ、近隣住民の憩いの場になっている。その芝生に寝そべっている山崎の姿を、沙紀は見つけた。


「おう、来たな」

「何よ、突然……」


 山崎がこうして沙紀の家を訪ねてきたのは、一体いつ以来であろうか。もう思い出すことが出来ないほど昔の話。二人は、成長するにつれ、こうして会うこともなくなってしまった。昔は、お互いの家を行き来するのに理由など必要なかったのに。

 沙紀は、山崎との距離を少し開けて隣に腰掛けた。


(昔は、もっと近くに座ってたような気がするけどな……)


 そんなことを思いながら、山崎は怪訝な顔をする沙紀の鼻先に例のチョコを突きつけた。


「これ……」

「な……! それ、なんでアンタが持って……っ!?」


 憧れの先輩(東条)に渡すために、可愛らしいラッピングが施されたチョコレート。もちろん、それをラッピングしたのは沙紀自身だ。


「これ、俺が食っていいか?」

「はぁ?」


 犬の散歩をしている老夫婦が、沙紀の素っ頓狂な声に驚いて振り向く。沙紀は、首をすくめてやり過ごし、改めて山崎に言った。


「アンタ、何言ってんのよ。それは……」


 それはゴミ箱に捨てられていたのよ……と言おうとして、沙紀はハタと口の動きを止めた。なぜそれを山崎が持っている……? そんな疑問が浮かんだ時、その答えも同時に頭に浮かんだからだ。


「東子……と、りんでしょ? あの二人の差し金ね?」

「……」

「もう! 全くお節介なんだから……」


 沙紀は、プンと頬を膨らませた。とはいっても、本気で怒っているわけではないのは明らかだった。

 山崎も沙紀も、そこで黙ってしまった。公園で遊ぶ子どもたちの屈託のない声が辺りを飛び交う。山崎も沙紀も、まるでタイムスリップしたような錯覚に陥りそうになった。息を切らしながら、夢中になって遊んだ……ひたすら無邪気だったあの頃に。


「なんで私ってこうなのかしらね……」

「あん……?」

「もっと背が低くて、可愛げのある顔で……もっとおしとやかだったら良かったのに……」


 沙紀の身長は百七十センチで、女子としてはかなり背の高い部類に入る。ほぼ男子並みの身長と迫力ある切れ長の目つきが災いして、男子に“可愛い”と言ってもらったことなど一度もない。それどころか、女子とは思えない握力で放つアイアンクローは、男子にすら怖がられている始末だ。沙紀にとっては、ちょっとした劣等感コンプレックスだった。

 沙紀の瞳が、心持ち弱気な光を放つ。だが、山崎は力強く言い放った。


「いいんだよ、そのままで」

「……えっ?」

「そのままのお前がいいってヤツだってどっかにいるだろ」


 沙紀が、目を丸くして山崎の顔を見る。


「熱でもあるワケ?」

「うるせぇ! それより食っていいのか? ダメなのか?」

「べ、別に……いいけど……」

「そうか」


 山崎は、ラッピングを外して、箱の中から一口大のチョコを一つ口に運んだ。


「ど、どう……?」


 口をモゴモゴと動かす山崎に、恐る恐る沙紀が尋ねる。山崎は、口の中のチョコがなくなってから答えた。


「旨い……」


 沙紀の絶望的な料理下手を知っているだけに、“チョコじゃない何かの味”を覚悟していた山崎にとっては、逆の意味で衝撃だった。


「ほ、ほんと?」

「あ、ああ……。俺、てっきりしょう油とかケチャップとか入ってると思ってたんだが……」

「……」

「いくらお前でもそこまでヘタクソじゃねぇよな」


 山崎の爽やかな笑顔と無神経さに沙紀の切れ長の目が光った。


「悪かったわね! どうせ私はヘタクソよっ!」

「イダダダダダダダッ!」


 どうして、この男はいつも一言多いのだろう……そんなことを肌で感じながら、沙紀は必殺のアイアンクローを炸裂させた。

 道行く人々が、少々荒々しくじゃれ合う二人に好奇の目を向けては通り過ぎていく。いくつもの好奇な視線を背中に感じた沙紀は、振り向くと同時に妙な注目を浴びていることに気付き、慌てて居住まいを正して取り繕った。

 なにせ、女子高生が男子にアイアンクローをかけている図である。野次馬を集めるのも無理はない。沙紀の顔は、今にも燃え上がりそうなほど真っ赤になっていた。


「ご、ごめん……、ついいつもの調子で……」


 ようやく激痛から開放された山崎は、おお、いてぇ……と呟きながら、ホッとした吐息をもらした。だが、小さい頃から沙紀のアイアンクローを受け続けている山崎の年季は、やはり格が違った。


「大したことねぇよ、今に始まったことじゃねぇし」


 もう何事もなかったかのように、苦笑いを返す。とはいえ、まだ残る痛み打ち消すようにこめかみをさすりながら、山崎は言葉を続けた。


「それに……」

「……?」

「そのままでいいって言っただろ?」


 そう言って、照れ隠しをするように芝生の上にドサリと寝そべった山崎は目を閉じた。芝生を舐める冬の風が、火照った山崎の頬を撫でていく。

 それから暫く、二人の間には沈黙の時間が続いた。


「山崎……」


 太陽がゆっくりと地平線の向こう側に沈んでいく夕暮れ時、沙紀の声が公園の賑やかさに溶けるように響く。そして沙紀は、一言だけ、恥ずかしそうに……でも、口元を少しだけ綻ばせながら呟いた。


 ありがと――。






 ――To Be Continued

 これで、沙紀と山崎のお話は終わりです。

 次話は、今エピソードの番外編になります。

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