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VS. バレンタイン (2)

 バレンタインデーである二月十四日の教室は、どことなく空々しい空気が流れていた。なんとなく手持ち無沙汰にソワソワする男子たちと、渡すタイミングをうかがう女子たち。マンガのようにわかりやすい素振りを見せる者はさすがにいなかったが、“男”である和宏の目からすれば、男子たちがなんとなく浮き足立っている様は手に取るようにわかった。

 本来であれば“もらう側”である和宏も、りんとなっている現在いまは“あげる側”だ。そのために、わざわざチョコを作った……何の飾り気のないチョコボールではあるが。相手は、チームメイトである野球部のメンバーたちである。となれば、部活動のある放課後まではそういった浮かれた空気からは無縁でいられると思ったのが運のつき……“りん”の周りは、朝からこれでもかというほど賑やかだった。


「りん姉さま! 心を込めてチョコを作ってまいりました!」


 一年生の間に存在するという“りん”のファンクラブの会長……村野むらの紗耶香さやかが、わざわざ二年生の教室まで直々のチョコを持ってやってきた。普段は“りん”を静かに見守るのが職務?という彼女たちにとって、バレンタインデーは数少ない“りん”への接触機会である。

 心なしか鼻息荒く“りん”に駆け寄ってきた紗耶香は、何もないところで突然つまづいた。


「きゃっ♪」


 妙に可愛らしい悲鳴とともにつんのめった紗耶香の身体が、“りん”に体当たりをかますかのように投げ出される。“りん”は、とっさに紗耶香の両肩を掴んで受け止めた。


「だ、だいじょう……ぶ?」


 心配そうに覗き込む“りん”の顔を見て、紗耶香の表情が喜面に染まる。


「りん姉さま! 嬉しゅうございます! おかげで大ケガをせずに済みましたもの!」

「大ケガって……大げさな……」

「いいえ! りん姉さまは命の恩人です!」


 そう言いながら、紗耶香は力一杯抱きついて、“りん”の胸に埋めた顔を愛おしそうに摺り寄せた。


(あわわ……)


 “男”である和宏にとって、たとえ身体がりんであろうとも、女子に抱きつかれるのはそれなりに嬉しいはずなのだが、なぜか紗耶香の場合に限っては、和宏の背筋に寒気が走った。


「あ、あの……、ここ教室だからね……」


 あまりベタベタしない方が……と、優しく諭しつつ紗耶香を引き剥がそうとする“りん”を、クラスメイトの上野たちがここぞとばかりにはやし立てる。


「りんってば、固いこと言わないの!」

(そういう問題じゃねぇ!)

「二人とも、もう結婚しちゃったらっ?」

(ムチャ言うな!)

「ダメ……汁出ちゃいそう……」

(何の!?)


 まさに好き勝手の言いたい放題……律儀に突っ込んでいてはやっていられないほどだった。そうしているうちに始業のチャイムが鳴った。“りん”に抱きついていた紗耶香も、さすがに離れざるを得なかった。


「それでは私は教室に戻ります。そのチョコ……ぜひお召し上がりくださいね!」

「あ……ありがと……」


 そう言って、紗耶香は満足げに去っていった。相変わらず圧倒的な紗耶香の勢いであった。

 “りん”は、受け取ったチョコを鞄の中に仕舞い込んだ。といっても、鞄の中は朝っぱらから下足箱に入っていたチョコなどでもう入りきれないほどパンパンだった。いうまでもなく、男《和宏》の時よりもりんの時の方がもらうチョコの数が圧倒的に多いという異常事態だ。和宏には、何かが間違っているとしか思えなかった。


「まいったな、チョコってあんまり好きじゃないんだけど……」


 苦笑しながら漏らした“りん”の言葉を、二列後ろの席に座っていた東子が目ざとく聞きつける。


「え? じゃあ、アタシが食べたげるっ♪」


 東子のタレ目は、爛々と輝いていた。今さらながらであるが、なんという食いしん坊キャラだろうか。


「い、いいよ。もらったものだから、ちゃんと自分で食べるよ……」

「え~! ずる~い! 太るよ~っ!」


 お前が言うなっ……と思いながら、和宏は東子の要求をキッパリと断った。そんな他愛のないことを東子としゃべりながら、いつもの会話と何かが違うような気がして“りん”は思わず首をかしげた……が、その理由はすぐに見つかった。会話に沙紀が絡んできていないからだ。

 何気なく沙紀の座席のある教室の廊下側を見つめる。そこには、心なしか表情を固くさせたまま、緊張の面持ちすら見せながら座っている沙紀がいた。


(アイツなりに緊張してんだろうな……)


 そう思った和宏は、もう沙紀のことを冷やかす気にはなれなかった。


◇◆◇


 まるで狂想曲のような一日――いや、土曜日だから半日か――が終わろうとしていた。もともとバレンタインデーとは女子が男子にチョコを渡すイベントだったはずだが、最近では女子同士でチョコをやり取りするパターンも一般化されてきたようだ。“りん”にチョコが集まってきたのも、そういう傾向の表れだといえるだろう。あまりチョコが好きではない和宏にとっては、あまり歓迎できる事態ではなかったが。

 半日だけの授業が終わり、あとは掃除当番の務めさえ果たせば、土曜日特有の長い放課後タイムに突入する。もちろん、そのうちの何時間かは野球部の練習に費やされるのだが、和宏にとっては特に苦になる話でもない……むしろ望むところだ。

 二年A組の教室の掃除当番である“りん”は、ゴミ箱を持ってゴミの収集庫へ向かっていた。お付き合いで沙紀も東子も一緒だった。


「で、その東条先輩とやらにはチョコ渡せたのか?」

「わ、渡すだけね……。一応受け取ってくれたし……とりあえずスッキリしたわ」

「沙紀ってば、一人で渡しに行っちゃうんだもん! アタシも一緒に行きたかったのにぃ!」


 東子が、ただでさえ丸っこい顔の頬を膨らませながら不満をこぼす。沙紀は、苦笑を交えつつ肩をすくめた。


「悪かったわよ。でも、照れくさかったんだもの」


 和宏は、クスリと笑った。チョコを渡すだけでも友だち連れで行く女子が多い中、剛毅な沙紀らしいエピソードだったからだ。


「ところで、どんな先輩なんだ? その東条って人」

「普通……だと思うけど」

「え~! ウソウソ! 背が高くて、ものすごくかっこいいんだから♪」


 大げさな身振り手振りで、東子が東条先輩のイケメンぶりを訴えた。細かい話はともかく、とにかくイケメンなのは存分に伝わってきた。


「部活の時だっけ? 沙紀、頭を撫でてもらって、顔真っ赤にしてたよねっ♪」

「ああんもう! 覚えてないわよ、そんなこと!」


 一瞬で真っ赤になった両耳に手を当てて、聞こえない振りをする沙紀。身長が百七十センチ……女子として人一倍背が高い上に、切れ長で鋭い目つきが災いして女の子扱いしてもらえることが少なかった沙紀にとっては、それだけでも衝撃的な出来事だったのだろう。なかなか興味深い馴れ初めだった。


「これから付き合ったりすんの?」

「ま、まさか! 好きとかそんなんじゃないし! 第一、先輩はもうすぐ大学受験だし、そんなヒマあるはずないし……」


 ますます真っ赤になった頬を隠すように両手で覆いながら口を尖らせる沙紀を見て、どっちなんだよ……と和宏は苦笑した。


「わかるわかるっ♪ 女心ってヤツだよね~♪」


 妙に嬉しそうに納得した東子は、“りん”にも同意を求めるように何度も頷いた。しかし、女心などわかるはずもない和宏は、適当に頷き返すだけで精一杯だった。


「ただチョコを渡すだけでいいのよ。こんな女の子もいたな……って覚えてくれれば……」


 あまり沙紀らしくない、いじらしい台詞は少々意外な感じがしたが、その瞳からは冗談の類は感じられなかった。


(ま、応援してやるか……)


 そう思いながら、“りん”は手に掴んでいたゴミ箱をもう一度持ち直した。

 各階の各教室のゴミは、清掃当番の手によって管理棟の隅にある収集庫に集められることになっている。集まったゴミは、年配の用務員の手によって焼却炉で順次焼却されていくのだが、今日はまだ焼却作業が始まっていないらしく、収集庫の中には各教室から出たゴミがこんもりと積み上げられていた。

 “りん”たちは、持ってきたゴミを収集庫の中に勢いよくぶちまけた。ゴミ箱が空になったのを確認して、“りん”は「これでよし」と呟いた。これで清掃当番の責務は完了である。早速教室に引き返そうとした和宏の視線が、何気なしに見た収集庫のゴミの山の一点で止まった。


「あれ……?」


 無造作に投げ捨てられたゴミの中に、和宏は見覚えのあるものを見つけて首を傾げた。収集庫の縁に手をついて身を乗り出し、目一杯手を伸ばしてそれを手に取った。


「ちょっとりん! 何やってんのよ!」

「そうそう! ゴミの中に落っこちちゃうよっ!」


 沙紀と東子が、突然の“りん”の奇行を慌てて咎めた。万が一収集庫の中に落ちようものなら、全身がゴミまみれになること請け合いだ。だが、和宏は至って平然と言い放った。


「いや……これ……」


 そう言って、収集庫から摘み上げたものを沙紀と東子の眼前に晒す。それは、昨日、沙紀が悪戦苦闘して作り上げたチョコを入れた箱だった。どこにでもある箱だったが、その包み紙は沙紀が自分で選んで買ってきたもので、“頑張ってください”という手書きのメッセージを記したカードが包装の隙間から覗いている。間違いなく、沙紀が今日、東条に手渡ししたものだった。

 箱を受け取った沙紀の手がかすかに震えている。もちろん中身は減ってはいない。食べることなく……いや、包装を解くことすらなく捨てられたのは明らかだった。


「せ、先輩……チョコ嫌いだったのかしらね……?」


 痛々しいほどぎこちない笑顔を浮かべながら、チョコの箱を“りん”に突き返した沙紀は、踵を返して走り去っていった。その瞳には涙が浮かんでいたことを、和宏も東子も見逃さなかった。



 ――To Be Continued

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