White Wedding (4)
新郎役を“りん”に、新婦役をのどかに。それが、茂手木が出した臨機応変の対応策だった。理由としては大した意味はない。百六十二センチの“りん”と百四十六センチののどか……身長差が最もそれらしかったというだけの話である。
「一体、なんでそんな聞き違いを……?」
普通に考えれば、間違う方がどうかしている。茂手木と“りん”以外、誰もいなくなった新婦控え室前の廊下で、和宏はもっともな疑問を口にした。茂手木は、またもや恐縮そうに答えた。
「だって……先生の英語って訛りが酷くて……。トゥデイがトゥダイだし……」
いわゆるオーストラリア訛りというヤツだ。そのせいで、茂手木はアリスの英語をキッチリ聞き取れなかったのである。
和宏は、先生とアシスタントいう関係であるにもかかわらず、ここまで意思疎通が上手く出来ていなくて大丈夫なのか……? と、思った。しかも、茂手木の口ぶりからは、そんな行き違いは日常茶飯事……のような感じすら伝わってくる。だが、それでもクビにならずに一緒に仕事をしているということは、何かお互いに惹き合うことがあるのだろう。和宏は、この際気にしないことにした。
「それにしても……驚くほどタキシードが似合ってるわね、貴女」
すでに、“りん”はウェディングドレスを脱いでタキシードを着ていた。薄くシルバーがかった、今風のショートロングタキシードである。これはこれで男性のフォーマルフォームにあたるが、ウェディングドレスの窮屈さに比べれば雲泥の差だ。新郎控え室で着替えを終えた和宏は、廊下出てソファに腰掛けながら、ようやく一息をついたところであった。
“りん”の中身は“男”である和宏……ということもあり、男装が抜群に似合うことは学園祭の時にわかっている。新郎姿をさせるために“りん”をチョイスしたのなら、確かに良い選択だった。
「ところで、他のみんなはどこに……?」
「あの娘たちなら、撮影の準備に協力してもらっているのよ」
「撮影の準備?」
「そう。なんだか、えらく張り切ってくれてたわよ」
「……」
新婦役に選ばれ、着替えの真っ最中で忙しいのはのどかである。沙紀たちといえば、特に何もすることがないはずなのだ。撮影の準備といわれても
(また何かやらかす気じゃないだろうな……)
と思うしかない。和宏は、沙紀と東子の悪巧みの顔を思い浮かべながら苦笑した。
「先生の機材の準備も終わってるから、あとは被写体の準備だけね」
「被写体……?」
「そう。貴女と……貴女の相手《お嫁さん》の方の、ね」
そう言いながら、茂手木がイタズラっぽくウィンクした時、新婦控え室の両開きのドアが重々しく開いた。王女にかしずく侍女のようにドアを開いたのは、先ほど“りん”の着替えを手伝っていた二人の仲居さんだ。そして、姿を現したのは一人の花嫁……のどかだった。
(……っ)
うっすらと施された化粧によって、元々きめ細やかな白い肌が、いっそう透明感高く澄んで見える。少し赤の強い口紅が際立たせる形の良いのどかの唇に、和宏は無意識に唾を飲み込んでいた。
静かに歩き出したのどかが、俯きながら、少しずつ“りん”の元に近づいていく。そして、縮まる距離に反比例して、和宏の心臓の鼓動が強くなっていく。“りん”の目の前まで来て立ち止まったのどかは、その大きな瞳で恥ずかしそうに“りん”の顔を覗き込んだ。
(はっ、反則だろっ!)
潤む瞳からは、のどかの恥じらいが透けて見える。化粧をしたのどかを初めて見た和宏の心臓の高鳴りは、今まさに自己最高を記録していた。
「やっぱり……ヘンかな……?」
「へ?」
唇に見とれていた和宏は、気の抜けた自分の声とともに我に返った。メイクで形を整えられた眉毛が、これまた綺麗にハの字を描いている。ただでさえ小さい身体をさらに縮こまらせるのどかを見て、和宏は辛うじて声を出した。
「へ、変じゃ……なぃょ……」
変ではない。それどころか……そう思いながら、首をぶるぶると横に振る。少しだけホッとしたのどかの頬が、わずかにピンク色に染まった。
「やだぁ……。なんか私、ダイヤの原石を見つけちゃった感じ?」
想像以上の大変身を遂げたのどかを眩しそうに見た茂手木は、手を叩きながら大喜びではしゃいだ。まるで、さっきのチョンボはこれで帳消しと言わんばかりの勢いに、和宏は思わず苦笑したが、ダイヤの原石という単語には和宏も同意だった。のどかの美しい変身ぶりを見れば、そう思うしかなかった。
その時、茂手木の携帯がワンコールだけ鳴った。携帯の画面をチラリと一瞥した茂手木は、
「さぁ、外の準備も出来たみたいだから、早速始めましょうか!」
と言って、“りん”たちについておいで……と促した。携帯のワンコールは、撮影の準備が完了したという合図だったのだろう。茂手木は、さっきのどかが出てきた新婦の控え室のドアから廊下を挟んで向かい側にある、これまた大きな両開きのドアを開けた。
ドアの向こうは、祭壇とパイプオルガンが備え付けられた本格的なチャペルだった。高い天井を見上げれば、荘厳なステンドグラスが見える。薄暗く、ズラリと並ぶ座席には誰も座っていなかったが、それが大聖堂のような厳かな雰囲気を助長していた。
和宏とのどかは、自分たちの靴の音を鳴らすことさえはばかられるような面持ちで、恐る恐るチャペルの中に足を踏み入れた。
「撮影は、チャペルの外でするの。外に出たらすぐに階段になっているから、貴女たちは特別なことは何も考えずにゆっくりと階段を降りて」
増してきた緊張感で上手く返事が出来ずにうなづく“りん”とのどか。そんな二人を先導するように茂手木は、大理石で出来たバージンロードを本来とは反対方向に歩いていった。
「そうそう! 一つだけ……言い忘れてたわ」
「……?」
「外に出たら、サクラの皆さんが祝福してくれるから、笑顔を忘れないように」
茂手木は、チャペルのドアに手を掛けながら、最後の注意を口にした。
「サクラ……?」
「笑顔……?」
“りん”とのどかが、怪訝な表情を浮かべて聞き返す。そんな二人を見てクスリと笑った茂手木は、構うことなくチャペルのドアを開けた。
チャペルの中の薄暗さに慣れていた“りん”とのどかの目に、外の光が直接差し込んだ。手をかざして眩しさをやり過ごした“りん”は、次第に慣れてきた目で辺りを見渡した。
「うおお! いい感じーっ!」
「萱坂さん、りりしぃー!」
「のんちゃん、すっごい可愛いですっ!」
茂手木のいうとおり、ドアの外にはちょっとした踊り場から下り階段が伸びていた。その階下の周りには沙紀たちの姿。沙紀たちだけではなく、大村も山崎ら野球部の連中も、A組のクラスメイトたちも。和宏とのどかの見知った顔が一同に終結していた。
「な、なななっ?」
今、和宏はようやく理解した。沙紀たちの姿が見えなかったのは、このメンバーをかき集めていたのだ、と。
それにしても、よくこれだけの人数を集めたものだと、和宏は半分呆れ、半分感心していた。“りん”をおもちゃにする時の沙紀と東子の行動力は、常軌を逸しているとしか言いようがなかったからだ。
そんな“りん”の呆れ顔もお構いなしに、沙紀たちは用意していた祝福の花びらを一斉に撒き始めた。それは、冬の空の風に舞い、盛大なフラワーシャワーとなっていった。
呆然として立ち尽くす二人に、茂手木が後ろからそっと呟いた。
「ほら、腕を組んで?」
そう言って、のどかの手を取って“りん”の左腕に絡みつかせる。途端に、古典的な『ヒューヒュー!』という冷やかしの合いの手があちこちから入った。
「さぁ、いってらっしゃい」
茂手木が二人の背中を優しく押し出すと、“りん”とのどかの身体がフラワーシャワーに包まれた。二人は思わず顔を見合わせたが、先に吹き出したのはのどかの方だった。
「な、なんか……可笑しいね」
のどかが、大きな瞳を細めてクスクスと笑う。和宏は、再び自分の顔が火照ったことに気付いた。着ているウェディングドレスがそう見せるのか、持っている可愛らしいブーケがそう感じさせるのかはわからなかったが、のどかの笑顔が、いつもよりも魅力的に感じられたからだ。
「行こうか?」
「う、うん……」
二人は、ゆっくりと歩き始めた。和宏は、左腕にのどかのぬくもりを感じながら。のどかは、腕を組んだ“りん”の左腕に寄り添いながら。
和宏は、沙紀たちから離れたところに、カメラを構える金髪のカメラマン・アリサの姿を見つけた。そうだ、これは撮影のためなんだ……と必死に思おうとした和宏であったが、左腕に感じるのどかの柔らかい肌の感触に、胸の高まりを抑えきれなかった。
一歩一歩階段を降りていく二人に、みんなからの祝福の言葉が飛んだ。
「おめでとー!」
「お幸せにぃ!」
「似合ってるよ、二人!」
撮影用の演技なのか、それとも本音なのかすらわからない。あまりのシュールさに、のどかは再び吹き出した。
「あはは。やっぱりヘンだよ、これ」
「確かに……」
ヘンというならば、これ以上ヘンなことなどそうはあるまい。なにしろ、“りん”がタキシードを着て、のどかがウェディングドレスを着て、沙紀たちがその周りで祝福のバカ騒ぎしているのだから。なんという倒錯的な光景なのだろう。だが、そんな状況下にもかかわらず、のどかは笑いをこらえながら呟いた。
(でも……)
ちょっと楽しいかも――。
例えるなら、なんでもありの祭りのような……そんな騒ぎだ。ならば、楽しまなければ損かもしれない。そう思った和宏は、のどかの耳元でそっと囁いた。
「ちょっとだけ……な?」
「うん、ちょっとだけ……」
そんな会話を交わした和宏とのどかは、もう一度顔を見合わせて、また笑った。
――To Be Continued