キャラ紹介 (1) ~二年A組の懲りない面々~
とある晴れた日、眠気を誘うような昼下がり。どこにでもある平凡な公立高校……“鳳鳴高校”では、今日もまたのどかな日常が繰り広げられている。五時間目の授業が始まるまでのつかの間の休み時間を満喫するように、教室や廊下でとりとめのない話に興じる生徒たち、体育館でお遊びのバスケを楽しむ生徒たち。冬でなければ、そんな生徒たちの姿を校庭やグラウンドにも見ることが出来ただろう。しかし、この冬の色濃い寒空の下にいるのはまばらな人影のみ。彼らは、五時間目に『体育』の授業を控えた二年A組の生徒たちである。
体育の授業は、日によって男子と女子に分かれて行なわれる。今日、グラウンドでサッカーをすることになっている男子たちは、授業が始まる前にもかかわらず、すでにジャージに着替え終わった者がヒマをもてあましがてらサッカーボールを追いかけ始めていた。
一方、体育館を使う予定の女子はといえば、まだ誰一人として体育館に現れることなく、女子更衣室の中で着替えながらのおしゃべりに花を咲かせている。昨夜見たドラマの話、芸能人のゴシップ話、友だちの笑える体験談……話のネタは尽きることはない。女子同士のおしゃべりとはそういうものだ。
(うぅ……何度来ても慣れないよな……女子更衣室)
和宏の愚痴などおかまいなく、クラスメイトたちのカラフルな下着が暴力的な勢いで和宏の目に飛び込んでくる。『目のやり場に困る』とはまさにこのことであろう。
和宏……すなわち“瀬乃江和宏”が、ある日突然“萱坂りん”という女性に憑依した形になってしまったのは昨年の五月のこと。“女”として過ごさざるを得なかったこれまでの間、女子更衣室で着替えをする機会は何度となくあったが、男子が一人だけ女子更衣室に放り込まれたような気恥ずかしさに一向に慣れることが出来ないでいる。おそらく一生慣れることはないだろう。和宏自身、シャイな部分を持ち合わせた平凡な男子学生なのだから、当然といえば当然だった。
「相変らず挙動不審よね、りんは」
すぐとなりで着替えながら、必死に周りから目を逸らそうとしている“りん”の様子を怪訝な表情で見下ろしているのは、百七十センチの長身を誇る親友の“篠原沙紀”である。
「そうそう♪ なんか女子更衣室に紛れ込んだ男子みたいっ♪」
(鋭どっ!)
そんな沙紀に、目一杯細めたタメ目の笑顔でほんわかと同意を示すのが、普段のほほんとしているくせに妙に鋭いところを突いてくる阿部東子。
「きっとそれは“あの日”だからですよ、ねっ、りんさん?」
そして、ドサクサ紛れにトンデモ発言を繰り出してきたのが、野球部の敏腕マネージャーの園田栞である。
「イヤイヤイヤ……なんでだよ、ないよ、違うよ。それより早く着替えて体育館に行こうよ」
ムリしないで休んだ方がいいですよ……と、すっかり決め付けて話を進めようとする栞に対し、和宏は慌てて首を振って押し留めた。こうでもしないと栞の思い込みは止まらないのだ。
「何言ってんのよ、もうアンタだけよ?」
「へっ!?」
“りん”は慌てて周りを見渡した。スクールカラーであるえんじ色のジャージに身を包み終えた面々が“りん”に視線を投げかける。周りを見ないように見ないようにとマゴマゴしているうちに、いつの間にやら全員が着替え終わっていたのだ。ただ一人“りん”を除いては。
「は、早っ!」
「早くないよ~、ちょっぴりりんが遅いだけっ♪」
「さぁ、りんさん。ぱっぱと着替えちゃいましょう!」
「そうよ、早く着替えなさい」
東子、沙紀、栞のみならず、他のクラスメイトたちの視線も“りん”に集中している。“りん”はゴクリとのどを鳴らした。
「あ、あの……そう注目されると着替えにくいんだけどさ……」
暗に『先に行っててくれ』と皆を促す。
「わはは。りんは恥ずかしがり屋さんだもんね~!」
肥満気味のおばさん体型を誇示するように、上野あかり……通称“姉御”が、本当のおばさんのようなダミ声で豪快に笑った。そんな上野が更衣室を出て行くと、他のみんなもペチャクチャとおしゃべりをしながら続いていく。
瞬く間に女子更衣室の中は、“りん”と沙紀と東子、それに栞の四人だけとなり、さっきまでの騒がしさが嘘のように静かになった。
「大丈夫ですよ。私たち待ってますから」
太陽のように眩しい栞の無邪気な笑顔。もちろん、和宏としては栞たちにも先に行っていて欲しいところではあったが、栞に空気を読む芸当を期待する方が間違いだということを和宏は知っている。
沙紀と東子の、好奇なまなざしに耐える和宏に、無情にも鳴り響いた始業のチャイムが追い討ちをかけた。
(ええぃ、くそっ!)
急き立てられるように“りん”は着替えた。肌を剥きだしにする時間を最小限にして、素早く着替え終わった“りん”がホッとした吐息をつくと、待っていたように沙紀が口を開いた。
「ひょっとしてりん……胸大きくなった?」
沙紀の視線は、明らかに“りん”の胸のふくらみを向いている。まるで自分の貧乳と比べて不公平だと言わんばかりの目つきで。
「ななな、何言ってんだよ! どうでもいいじゃんか、そんなの! それより……」
「う~ん……確かに成長してるかもっ♪」
“りん”の必死の話題転換を東子が台無しにした。息ピッタリの沙紀と東子には誰も抗えない。幼馴染で付き合いの長い二人だからこそのコンビネーションである。
「ちょっと触らせなさいよ」
「やだよ! 何でだよ!」
「ちょっと参考にするだけよ」
「何の参考だっ!?」
両腕で必死に胸を隠す“りん”と襲い掛かるように手を伸ばしてくる沙紀の、世にも奇妙な押し問答が続く。
「ああん、もう! なんで抵抗するのよ!」
「そりゃするだろ!」
頑なに拒む“りん”に業を煮やした沙紀が、右手に力を込めつつアイアンクローのデモンストレーションを始めた。アイアンクローは、女子としては飛び抜けた握力を持つ沙紀の必殺技である。これを何度となく喰らってきた和宏は、記憶の中にある痛さを思い出して眉をひそめた。とはいえ、だからといって『はいどうぞ』というわけにもいかない。ここで、合いの手を入れたのは栞だった。
「まぁまぁ二人ともそれくらいにして早く行きませんか? もうチャイムも鳴ってることですし。今日はドッジボールとか言ってましたよ」
栞の、至極真っ当な意見が沙紀と“りん”の間に割って入る。上手く沙紀の追及を逃れることが出来た和宏はホッと胸を撫で下ろそうとした。だが、東子の悪気の有無すらわからない余計な一言が再び全てを台無しにした。
「じゃあ、あとはドッジボールで決着をつけるということでっ♪」
(ぅおおおい!)
なぜそうなる……っ? と、和宏が切れ味鋭いツッコミを入れようとしたのもつかの間、事態は勝手に進行しようとしていた。それも、どちらかというと悪い方に。
「どうやらそれしかないようね……」
(んなこたねぇよ!)
「りんさん、ここは一発かましてやりましょう!」
(オマエは黙ってろぉ!)
ことここに至ってはすでに遅し。“りん”の胸のおさわり権を賭けた戦いは、もはや避けられそうにもない。こうして、なんか以前にもこんなことがあったような……と思い巡らす和宏を尻目に、“りん”対沙紀のドッジボール勝負の幕が上がるのであった。
◇◆◇
着替え終わった“りん”たちが列に加わるのと、体育の担当教師である袴田が体育館に現れたのは、ほぼ同時だった。
申し訳程度の準備運動を経て、早速授業が開始される。まずはチーム分けだ。総勢わずか十一名しかいない“りん”たちは、当然の如く二チームに分けられることになった。
「あ……あたし見学しとくね、こんな足だしさ」
皆と同じジャージを着た高木舞が、おどけながら白い歯を見せて笑う。不自由な右足のせいで他人とは距離を取っていた高木であったが、“りん”と打ち解けて以降は体育の時間もちゃんと参加するようになり、みんなと十分に打ち解けていた。
何はともあれ、これで総人数は十人となり、“りん”チームと沙紀チームは、ちょうど五人ずつとなった。
「さ……手加減しないわよ、りん?」
東子や上野を従えた沙紀が、自信ありげに腕組みをしている。チームに栞を迎えた“りん”も負けじと言い返した。
「へん。コッチこそ手加減しないからな!」
勝負ごとには思わず熱くなってしまう和宏のクセは、おそらく死んでも直らないだろう。すでに発端は忘れ去られ、和宏は『勝利』を目指して邁進を始めていた。
お互いが外野に一人ずつ……内野には四名を配置し、陣容は整った。センターライン上でのジャンプボールから試合が開始されたが、女子バスケ部のキャプテンを務めるほどのジャンプ力と長身を誇る沙紀にかなう女子はいない。先手は沙紀チームが取った。
「さあ! 行っくわよ~!」
ボールを掴んだ途端、潮が退くように距離を取った“りん”たちに対し、沙紀は大きく振りかぶってボールを力任せに投げつけた。唸りを上げるような剛球が、栞の身体目掛けて一直線に向かっていく。栞は臆することなく腰を落とし、両手を前に出して受け止める構えを見せた。
「だめだ! 逃げろ、栞っ!」
とても捕れる球とは思えない……そう思った和宏は、ポニーテールを躍らせつつ、悲鳴に似た声を上げた。
「だ、大丈夫です! こう見えても前の学校では鋼のドッジボーラーしおリンと……ぎゃんっ!」
栞が、まるでカエルが車に轢かれた時のような声を上げて倒れた。ズシリとした衝撃とともにボールを受け止めた栞であったが、その勢いを殺すことができず、なおも暴れるボールが栞の顎を直撃したのだ。いつもしている眼鏡を外していなければ確実に破壊されていただろう。念のため眼鏡を外していたのは不幸中の幸いだった。
「栞っ!」
審判の袴田の笛が短く鳴り、“りん”チームは早くも内野が一名減となった。外野から相手にボールをぶつけても戻って来れないルールであるため、いきなり劣勢に追い込まれた形である。
“りん”は、自陣コートを転々としていたボールを掴んだ。
「栞……、カタキはとってやるからな……」
「私、死んだわけじゃないんですけど……」
顎をさすりがら外野へと移動する途中、突っ込みがてら反論した栞であったが、すでに熱くなっている和宏の耳には届かなかった。
センターライン際に立った“りん”は、左足を上げ、静かにピッチングモーションに入った。和宏が得意とする下手投げ――ドッジボールにおいては“女投げ”ともいう――から、反撃のボールが放たれる。沙紀の球ほどの狂暴なスピードはないものの、糸を引くような滑らかな軌道で低目を伸びるボールが、最も動きの鈍かったおばさん体型の上野の太い足を直撃した。
「あらぁ! 当たっちゃった!」
特に悪びれるでもなく、朗らかかつ豪快に笑いながら、ドスドスと足音を響かせて外野に向かう。ボールは再び沙紀の手に渡り、今度は“りん”チームが逃げ惑う番となった。
両チームとも、一人……また一人と内野から脱落していき、まさに一進一退の戦況が続く。そんな中、先にリーチをかけたのは……先攻の利を活かした沙紀チームの方だった。
(ゲッ! もう俺一人かよ……っ!)
“りん”が自陣を見渡すと、もう誰もいなくなっていた。外野には栞を含めて四人がいるものの、内野には戻って来れないルール下ではさほど意味を持たない。なお悪いことに、今、ボールを保持しているのは沙紀チームの方である。まさに絶体絶命だった。
「それっ!」
ボールを持っていた沙紀が、そのまま遮二無二投げてくるかと思われたが、沙紀の選択は大方の予想に反して外野へのパスだった。外野の三人でゆるいパス回しが行われ、その度に“りん”がボールから距離を取るために動き回る。
“りん”の動きは予想以上に機敏だった。これでは外野から仕留めるのは無理……と判断した沙紀は、外野にもう一度ボールを戻すよう要求した。上野が沙紀に山なりのボールを放ってそれに応える。沙紀にボールが戻ってしまっては取り戻すのが至難の業になる……そう思った和宏は、いちかばちか山なりのボールに飛びついた。
(とっ、届かねぇ……っ!)
ボールが、必死に伸ばした“りん”の手の上を空しく通り過ぎていく。ガッチリとボールを掴んだ沙紀は、勝利を確信したかのような笑みを見せた。
「もらったわよ、りん!」
絶体絶命のピンチに顔を引きつらせる至近距離の“りん”の身体を目掛けて、沙紀が喜び勇んで投げつける。キャッチに失敗して体勢を崩したままの“りん”。誰もが『終わった』と思った。だが、“りん”は反射的に身体を目一杯反らした。
(……!)
沙紀からすれば、投げつけた瞬間に“りん”の上半身が目の前から消えてしまったようなものだった。そのまま両手をついて一回転した“りん”に、周囲からどよめきが上がる。“りん”に当たるはずだったボールは空を切り、体育館の壁に跳ね返って“りん”の足元へ転がっていく。“りん”はゆっくりとボールを拾い上げた。
上手く沙紀の攻撃をかわして巡ってきたチャンス。しかし、“りん”の攻撃に備えた沙紀はもう十分な距離を取ってしまっていた。沙紀は反射神経も人一倍である。このまま投げても避けられるか捕られてしまうのは目に見えていた。
(こうなりゃ……いちかばちかだ!)
そう呟きながら、“りん”は下手投げからボールを放った。アンダースロー特有の床を這うような独特の軌道。だが、その軌道の先に沙紀はいなかった。避けるまでもない……そう思った沙紀は、ボールを見送りつつ、次に来るであろう外野からの攻撃に備えようとした。その時……ボールが大きく曲がった。
「きゃっ!」
急に軌道を変えたボールが沙紀の左足を直撃した。何が起きたのか分からずに静まり返る体育館。床の上を転々とバウンドするボール。それが“りん”の得意とする“カーブ”であったことに気付くまで、さほど時間はかからなかった。
コートを転がっていくボールを見て、沙紀は自分がアウトになったことを自覚した。思わず脱力して天を仰ぐ。審判の袴田の笛が鳴り、“りん”はとびきりのガッツポーズを見せた。
「よっしゃぁ!」
両手を挙げて喜ぶ“りん”。その時、尻に何かが当たった。
「……?」
ボールだった。力なく跳ね返り、床の上で覇気なく弾むボール。それが何を意味するのか……和宏には瞬時に理解できなかった。
「あ~あ……」
「やっちゃったねぇ……」
「どっちらけ~」
「萱坂さんて詰め甘いよね」
口々に“りん”へのダメ出しが飛ぶ。それでも何事か分からずにいた和宏に事態を知らしめたのは、場の空気に似つかわしくないのほほんとした声だった。
「やった~♪ アタシ、りんをやっつけちゃった~♪」
怪訝な顔で声の主を辿ると、それは東子だった。存在感なく佇んでいた東子であったが、その立っている場所は、間違いなくコートの中だった。
「な……ちょ、なんで東子がそこにいるんだ~?」
「……ん? アタシ、ずっとここにいたよ?」
内野のスミっこ……外野のすぐそば。和宏の視界からは、東子の姿はすっかり抜け落ちていた。東子は“超絶運動神経ゼロ娘”と異名をとるほど運動音痴であるため、すでに『東子はぶつけられて外野に行った』と思い込んでしまっていたからだ。
「どうやら私たちの勝ちね」
沙紀が勝ち誇ったように言う。
「ま、待て待て! 俺、沙紀にはちゃんと勝ったぞ!」
「でも、アタシに負けたよね~♪」
「それは気づかなかっただけで……ノーカンノーカン!」
三人の意見が入り乱れ、もはや意見はまとまりそうになかった。しかも、見かねた栞が混乱に拍車をかけるような折衷案を持ち出してきた。
「それじゃ三本勝負にしましょう! 一本目は引き分けということで」
授業が勝手に進行されていくにもかかわらず、袴田は『勝手にしてくれ……』と言わんばかりの諦めの混じった笑顔で成り行きを見守っているだけ。そう、このクラスは手に負えないのだ。それは、袴田がこのクラスを相手にしてきた経験を元に辿り着いた達観だった。
「どうやらそれしかないようね……」
(だから何でそうなるんだ!)
「ではりんさん、もういっちょやったりましょう!」
(頼むからオマエは黙ってろぉ!)
こうしてグダグダになりながら体育の授業は続いていく。二年A組女子軍団は、今日も平常運転であった。