決闘
リィンが結界を通過してアキトの隠れ家にやってくる二十分前。アキトは自宅の縁側に座り、ぼんやりと空を眺めていた。
「今日は動物の声がしないな……。何かあったのか?」
僅かに眉を細めてそう言ったアキトの後方、しかも天井から声が聞こえた。
「どうやらほとんどの生き物が巣に隠れているようです。何やら強い気配を持つ者が、この山の中に入り込んだといった情報も入っております。その者に怯えているのかもしれません」
「強い気配の持ち主? ジン、お前が言うくらいだからかなりの実力を持つ奴が来ているみたいだな」
天井にぶら下がっている忍者、ジンはその問いに、はいと一言だけ言った。
「うーん。着替えておいた方が良いのかもな」
アキトはそう呟き立ち上がり、部屋へと戻ると部屋着である着物から、普段着ている服へと着替え始めた。彼の代名詞とも言える黒ずくめの軽装に、左肩から縦方向へ一直線の赤いラインが走った黒のジャケットだ。
着替え終わった彼の姿は全身黒ずくめ。黒衣の武神と呼ばれる由縁はこの姿だ。敵方から見れば、その姿は死神にも見えたかもしれない。
「――――アキト様。何者かが結界を越え、この土地に足を踏み入れました」
ジンはぶら下がっていた天井から降りると、この空間から外へと唯一繋がる二本の木の間を睨みつけ、そのまま間髪入れず手裏剣を数枚、その出入り口へと投げつけた。そこにはカーキ色のコートを着た男が立っている。風のようなスピードで標的の元へ突き進む手裏剣。だが、手裏剣達は佇むコートの男に到達する直前で、目視するのも困難なほどのスピード彼が抜いた剣によって弾き落されてしまった。手裏剣はそのまま地面へと突き刺さる。
「随分な歓迎だな。アキトよ」
やや低く通る声で、コートの男が言った。そして、剣を鞘に戻しながらそのままこちらへ歩を進めてくる。そしてアキト達の数メートル手前で立ち止まった。
「久しぶりだな。ディラン」
アキトは笑顔で男と対峙する。ディランと呼ばれた男もまた、少しではあったが笑顔で答えた。
ルインク大陸に多くみられるブラウンの髪に、マリンブルーの切れ目を持つ、非常に整った顔立ちの青年の名はディラン・ユリオット。アキトと共に〝アロンノイド総力戦〟を戦った、彼にとっての戦友のような存在だ。終戦後に一度だけ会ってはいるが、彼と会うのは実に四年ぶりとなる。
「悪いな。此処まで来れる奴なんて久々だからさ。少し警戒させてもらっていた」
「申し訳ありません。ディラン様」
アキトの斜め後ろで、ジンが片膝を付いて謝罪をした。ディランはその行動をあまり良くは思わなかったのか、一声だけかけて制止させる。
「全く、そうかしこまる事はないと言っているだろう。第一、あそこで俺に攻撃を加えたのは間違っていない」
「そうそう。気にするなよ。――――それで、ここよりずっと北のトライドルの騎士団長のお前が、こんなところまで一体何の用だ?」
先ほどまでの飄々とした顔から一変、真剣な表情でアキトは尋ねた。王都シグライノから北国のトライドルまではかなりの距離がある。そこからわざわざ、トライドルの騎士団長であるディランが出向くほどの何か。ただ事ではないと、アキトは感じ取っていた。対するディランは、表情を変える事なく口を開く。
「元々は任務のためにここまでやってきたのだがな。王都でたまたま貴様を見たのだ。久々に貴様と決闘がしたいと、血が滾ってしまった。今日こそは貴様を切り伏せてくれる」
ここに来てから一番の笑顔――――といっても爽やかな笑顔ではなく、獣のような獰猛な笑顔でだが、ディランが笑った。凄まじい闘気がディランの身体から感じ取れる。常人ならば、この凄まじい闘気により生まれた、押し潰されるような威圧感に耐えられずに気を失ってしまうだろう。
アキトは平然とした顔でそれを聞いていた。そして一度ため息を付くと、何処からともなく剣を取りだした。ジンはそれを見て、やれやれと首を振っている。
「仕方がないな、久々にやるか。斬られるつもりはないけどな。終わったらその任務とやらについて詳しく聞かせてくれよ」
「無論だ。だがその前に、存分に斬り合おうではないか」
ディランは剣を抜き、獰猛な笑みを浮かべた。
「はあああッ!」
ディランが放った凄まじい勢いの突きが、アキトの喉元を狙う。それをアキトは難なくそれを弾き返した。アキトの行動はそれだけでは収まらず、突きを弾くために斜め上に振った剣と腕を引き戻して反撃を行う。常人では腕の関節が外れていてもおかしくない動きをしても、びくともしない強靭な肉体にずば抜けた反応速度の片鱗を、アキトは見せる。
「相変わらずの規格外ぶりだな。だが、俺を以前のままだと思わない事だ」
そう言った直後、ディランの右手に握られた剣がロイヤルパープルの発光を始めた。禍々しく異様な光を放つその剣は、それに似合う作りをしている。
やや細身のロングソードの刀身自体は光沢のある黒色。見つめていると吸い込まれてしまいそうな闇色をしている。だが、一番特徴的なのは非常に禍々しい装飾と、悪魔の手のような不気味な形をした柄だ。
「へぇ、魔剣か。しかもかなりの代物みたいだ。まさかこの四年で、それほどの剣を扱えるまでになっているとはね」
魔剣。それは悪魔や魔神といった闇の者達の力を付加、もしくはその力が封じ込められた危険な代物。もちろん、魔剣を扱える者は世界中を見ても多くはない。ましてやディランの扱う魔剣は、数少ない魔剣の中でも最上位に値する代物だ。四年前の彼には、これを扱えるような実力は備わっていなかった。彼はこの四年間で驚くべき成長を遂げている。
それは魔剣を扱えるという点以外にも見受けられた。元より剣撃の速度が売りのディランであったが、その速度は以前とは比べ物にならないほど上がっている。以前までなら、彼が今出している速度が限界だった筈だが、今の彼にとってはこの程度の速度は様子見の範疇のようだ。僅かに剣を交えただけで、アキトにはそれが感じ取れた。他にも、身体能力自体が大幅に強化されているようだ。
「名はグリズオン。魔界の四王の一人である悪魔グリーザロの力の一部が宿った剣だ」
ディランはそれだけ言うと、剣を大きく振りかぶりそれをアキトに向けて振り下ろした。アキトはそれを、受けずに横へと逃れた。すると、アキトが元居た場所から十メートルほど先の地面まで亀裂が走った。剣圧だけで地を割ったのだ。
「おいおい、俺の土地を壊さないでくれよ」
「それは無理な話だ」
「なら全部受けるべきかな?」
直後、アキトとディランは鍔迫り合い状態に陥る。とてつもない衝撃が辺り一帯に走る。二人はその状態を継続させたまま会話を続ける。
「よくぞこの剣を受け止めた。……これを受け止められたのは、貴様の力のおかげだけではないのだろう? その剣、やはり凄まじいな」
「戦の神ガルオンの愛剣、神剣イグゼクションは伊達じゃない。お前の魔剣には負けないさ」
神剣と呼ぶのに相応しい美しい輝き。アキトが振るうその剣は、戦の神が振るっていたという事も頷ける力強さがあるバスタードソードだ。炎の様に紅い鍔と柄に、鍔に埋め込まれた深海の様に蒼い宝石。この二つが織り成す色のコントラストが、更にイグゼクションの存在感を増加させる。
「成程……。相手にとって不足なし!」
アキトを押しのけ、再び距離を取るディラン。だがアキトはそれを許さず、力強く地を蹴りディランに斬りかかる。二度目の鍔迫り合い。ディランはその状態から、アキトの扱う神剣イグゼクションの刀身に、自身の振るう魔剣グリズオンの刀身を滑らせアキトの頭を狙った。だがアキトはそれを弾き返そうとはせずに、迫るグリズオンの一撃をイグゼクションの刀身で滑らせたまま、そのの剣先を左に逸らした。結果、迫るグリズオンの狙いを逸らす事に成功する。
「流石だな……!」
「お前こそ!」
辺りを恐ろしいほどのスピードで駆け巡りながら、二人は斬り合いを続ける。この戦いを行っている者達が、はたして本当に人間なのかも怪しいほどの攻防。ジンはそれを呆れながら眺めていた。
「全く……。後片付けをするのは我らなのだがな……」
ぼやきながらもふと、結界の出入り口である二本の木の方へ目を向けたジンは驚愕した。何とそこには一人の少女が佇んでいるではないか。
「一体どの様にして結界を潜り抜けた……! 許可なく通過された事を知らせる警報機能も働かなかっただと!」
幸い、彼女はまだここで行われている人外の戦いに気が付いていないようだった。何故なら二人は今、常人では捉える事は不可能なほどのスピードで動き回っているのだ。忍であるジンにはその姿も追う事が出来るが、そこで辺りを見回している少女には不可能だろう。
「――――!!」
不幸な事に、少女が足を動かそうとしている。そして彼女が一歩踏み出した先には、アキトを狙ったディランの突きが迫っている。このままでは、彼女が巻き込まれてしまう。
(致し方あるまい!)
ジンは地を蹴り、空高く舞い上がる。そのまま彼女の頭上を越えつつ、声を荒げ叫んだ。
「止まれ!」
幸い、少女はその声に足を止めた。そこへディランの強烈な突きが通過する。彼女の目と鼻の先ではあったが、何とか巻き込む事は避けられた。腰を抜かして座り込む少女の隣に降り立ったジンは、そのまま少女に声を掛けた。
「何者かは知らんが、死にたくなければそこで見ているんだな」
ジンの声に驚いたらしい少女は、隣に立つジンの姿を見て更に面食らった様子だった。この大陸では忍を見た事がある者などほとんど居ないのであろう。これが当然の反応だ。
そうして少女は恐る恐るといった様子で口を開き、声を発した。
「一体、何がどうなっているんですか?」
そんな問いに、ジンは簡潔に答えた。
「我が主アキト様が決闘をしているのだ」
そう言った直後、その決闘も決着がついた様だった。数歩離れたところで剣を振り下ろしたディランが止まっていた。彼の背後には、剣を下ろし背を向けて立つアキトの姿がある。
そんな二人の間に、上空から何かが落ちてきて地面に突き刺さった。黒く輝く刀身を持つそれは、ディランの魔剣グリズオンだ。ディランの手には既に剣は握られていない。アキトの一撃により、彼は剣を空高くへ打ち上げられてしまったのだ。
「くっ……。俺の負けか」
「いやぁ、強くなったな。後少しで負けるところだったよ。少し本気を出しちゃったしな」
悔しそうに唇を噛むディランに向けて、アキトが言った。相変わらずの飄々とした、掴みどころのない笑顔を見せながらイグゼクションを鞘に納めるアキト。イグゼクションの柄が一瞬輝く。
「何が負けそうだった、だ。随分と余裕で戦いおって……。それに本気など出していないだろう。その眼帯を外していないのだからな」
「いいや、十分本気だったさ。というか、この眼帯は安々と外せるものじゃないって分かってるだろ?」
忌々しげに呟くディランに、アキトは笑みを崩さず答えた。
「お疲れ様です。アキト様、ユリオット殿」
「ありがとうジン。――――さて、こんなところまでどうしたんだい、リィン」
いきなり名前を呼ばれた少女――――リィンは慌てたように答えた。
「き、気付いていたんですね」
「当たり前さ。それにしても良くここが分かったな。おまけに結界を壊すでもなく、警報を起動させる事もなくここまで入ってくるなんて驚いたよ」
それを聞いたリィンは不思議そうに首を傾げた。そして言っている意味が分からないといった様子で答えた。
「結界? 何の事でしょうか?」
「気付いてないのか? んー、とりあえず聞きたい事もあるだろうし、中に入りな。俺も君に聞きたい事があるし。ディランもゆっくりしていけよ」
いつの間にか神剣イグゼクションを何処かに消したアキトは、木造の趣のある家を指さし、ディランとリィンを家へ招き入れるのであった。
ディランがシグライノへやってきた理由を聞くアキト達。
彼の頼みを受け、アキトはその任務の手伝いをする事に。
そこへリィンの思わぬ一言が走る。
「――――わたしも一緒に行きます!」
次回『討伐隊結成』