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波乱の予感

「アキト・ヒガミ……!?」

 店の売り上げを盗られ、犯人である強盗犯の二人を追っていた彼女だったが、そこで見たのは衝撃的な光景だった。

 一般人では太刀打ちできないであろう男二人組を、武器も何も持たない一人の男が完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめしてしまったのだ。

 最初は何が起きたのか全く理解が出来ない彼女であったが、男のローブの下の素顔をその目にした時、全てに納得してしまった。いや、納得せざるを得なかったと言うべきだろう。

 黒髪に、それと同じ色の瞳。この大陸から遥か東に住む黄色人種(おうしょくじんしゅ)の肌を持ち、左目には眼帯を巻いた全身黒ずくめの男が本当にあのアキト・ヒガミならば、それぐらいの事は軽くこなしても不思議ではないのだ。

 黒衣(こくい)武神(ぶしん)、アキト・ヒガミ。七年前、史上最悪の国家と言われたグレオ帝国と、この大陸、ルインク大陸の全ての国との間で二年間に渡り繰り広げられた、人類史上最悪の戦争《グレオ帝国殲滅戦》の最終決戦において、たった一人でグレオ帝国の全勢力五十万の内八割を壊滅させた男。後に《アロンノイド総力戦》と呼ばれるその決戦で、目の前に(たたず)む男は伝説となったのだ。それは戦争が終わってから五年経った今でも、人々の記憶に深く刻み込まれている。

 彼女以外の野次馬の面々も、彼の正体に気付いたようでざわめき始めた。その騒ぎにアキトは困ったように笑っている。

 そんな彼を立ち尽くしたまま見ていた彼女に気付いたアキトは、強盗の持っていた金を取り返すと彼女の前にやってきてそれを手渡した。

「ほら、お返しするよ。あそこであの二人を追えた勇気は大したものだけど、とても危険だ。もしもまた同じような事があったら、周りの人に助けを求めるんだ」

 アキトは優しい笑みを浮かべ、少女にそう忠告した。先ほどの戦いぶりと今の彼の様子とではかなりギャップを感じたが、本心から彼女の事を心配しているのが確かに見て取れる。

「あ、ありがとうございました!  わたし、リィン・フリントって言います。アキト・ヒガミさん、ですよね?」

「あぁ、そうだよ。本当は正体をバラすつもりはなかったんだけどな」

 アキトはそう言うとばつが悪そうに笑った。彼自身、騒ぎになるのは避けたかったようだ。当然彼がこんなところにやってくれば今のような騒ぎになる。それを分からないアキトではないだろう。それでもこの街にやってきたのには、何か訳があったという事になる。

「今日街に来たのは、依頼していたものを受け取るためなんだ。俺のせいで街の人達には迷惑をかけたみたいだな」

「そんな事ないですよ! あなたが来てくれていなければ、お金も盗まれたままだったんですし……」

 住人が集まってきた事を気にしてそんな事を言うアキトに、リィンは感謝の意を伝える。意外と照れ屋なのか、アキトは少し恥ずかしそうに頬を掻き、小さく笑っていた。

 二人がそんな会話をしている内に更に人が集まってきた。アキトも流石にこれ以上の長居は出来ないと踏んだのか、先ほど脱げたフードを再び被りリィンに背を向ける。

「それじゃ、俺はもう帰るよ。騒ぎになるのは面倒だ」

 アキトはそう言い、集まってきた野次馬達に一度頭を下げる。そうして目の前に立つリィンから数歩、後ろに下がり距離を取ると、首を傾け骨を鳴らした。準備運動のようなものだろうか。

 リィンがそう思った直後、彼の周りに凄まじい風が吹き荒れた。その凄まじい強風はアキトから一メートルほど離れたところに立つリィンも、目を開けている事が困難なほどの強風だった。風はアキトに近付くにつれて強くなっているようで、彼の目の前に飛ばされてきた木の葉はまるで鋭い刃物で斬られたかのように勢いよく二つに分かれた。アキトの故郷である極東の島国の言葉で言う、かまいたちのようなものだろうか。

 リィンは肌を切り裂きそうな強風の中、顔を覆い隠す腕の間からなんとか目を開いてアキトを見た。

 彼女はそこで目にした光景に息を呑んだ。かまいたちの中心に立つアキトの姿が、一瞬にしてその場から消えたからだ。それと同時に、辺りに吹いていた強風も消え去る。目の間で彼が消えたのを見たリィンも、周りの野次馬達も何が起きたのかは全く理解できていないようだった。残されたのは、彼が倒した二人の強盗の男と取り戻された金だけ。

 とてもではないが、普通ではない。だが、彼ならば何をしても不思議ではない。アキト・ヒガミという男は、そういう人物なのだ。

「まさか、このようなところで貴様に出会うとはな……」

 そんな時、アキトの居た場所を囲むように立っている野次馬の中の一人の男が、ぽつりと呟いた。男のすぐ近くに立っていたリィンの耳には彼の呟きが必然的に入ってくる。どこか怪しげな雰囲気を感じる声に、リィンは言いようのない不気味な印象を与えられた。

 声の主はアキトと同じくらいの年齢に見えるブラウンの髪の男だった。カーキ色のコートを身につけ、腰には禍々(まがまが)しい装飾の施された細身の剣を下げている。剣には全く詳しくないリィンだったが、そんな彼女でもはっきりと分かる。あの剣は異常なほどに危険な代物(しろもの)だ。一目見ただけでそう感じ取らせるオーラをその剣は纏わせている。だが、真に危険なのはこの剣を扱うこの男なのだろう。一見そのようには見えないが、それは先ほどまでこの場に居たアキトとて変わらない。

 数秒の間、男を見て戦慄を覚えていたリィンの耳に、再び男の声が入ってきた。それを聞いた彼女は、再度驚きで身を固めてしまう。男は腰の剣に手を当て、不敵に笑いこう言った。

「待っていろ。すぐに貴様(きさま)を斬り伏せてくれる」

 男は犬歯を光らせ、獲物を見つけた獣のように獰猛(どうもう)に笑っていた。

 リィンは今まで感じた事がないような恐怖感に襲われた。なんの混じり気もない、ただただ純粋な恐怖。彼女は人生で初めて、それを肌で感じた。そして同時に直感した。この事を伝えなければならない。彼とアキトを遭遇させては危険だと。それはこの場で男の存在に気付いた自分の義務感のようなものでもあり、あのような男を放置してはおけないという彼女なりの正義感だったのかもしれない。

 そんな正義感とも義務感とも取れるものを感じたリィンは、自身のその心境に疑問を感じた。

 自分はこのような場に直面した時に、初対面の、ましてやこの世界最強と呼ばれる男の身の上を案じ、わざわざ伝えようと思ってしまうのだろうか。確かにコートを纏う男は異常と言える雰囲気を漂わせ、アキトの事を狙っていた。だが、普通ならばその事を世界最強の男に伝えようと思わないだろう。彼にとっては誰かに狙われるなんて事は慣れているだろうし、何より彼に勝てる者が居るとは到底思えない。

 だが、リィンは無意識の内に彼にコートの男の接近を伝えなければならないと思ったのだ。それが元来リィンが持っていた性質で、今まではこんな機会に直面した事がなかったために今日まで気付く事がなかったと言ってしまえばそこまでの話ではあった。だが、そうとは言い切れない違和感を、彼女が胸の奥に抱いていたのは確かだ。 

 違和感の正体は今の彼女には分からない。だが、今何をすべきかは分かっている。思うところはあるにせよ、コートの男の事をアキトに伝えなければならないと思ったのは、紛れもない事実なのだ。

 店へと戻るため、止めていた足を動かしたリィンは、アキトに再び出会う事を秘かに決意した。

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