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上司に「君は優秀すぎる」と左遷された天才女性捜査官。恋愛事件ばかり起きる辺境の地で、完全無欠のプロファイリングに励む。  作者: 逆立ちハムスター


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2/2

重大事件発生!?

詰所の壁に掛かった古ぼけた時計は、さっきから不規則なリズムで時を刻んでいる。歯車の噛み合わせが悪い。潤滑油が切れて金属粉が摩耗し、一秒刻むごとに0.02秒ずつ遅延が発生している。この村の時間の流れそのものを象徴しているようで、殺意がわく。


「……それで? その引き出しの角にある、カビの生えたチーズのような物体は、まさか報告書の一部ではないわよね?」


私の声は平坦だ。怒るというエネルギーさえ、この停滞した空気の中では非効率に思える。

王宮捜査官養成所を首席で卒業し、王都の複雑な汚職事件を三日で片付けてきた私にとって、この詰所の現状は「事件」以前に「思考の放棄」でしかなかった。


「いっ!?……す、すみません! いえ、それは一昨日の私の夜食で……。ええと、書類、書類ですね。この山の中にあるはずなんです、はい」


衛兵長のアルバインは、先ほどまでの虚勢が嘘のように縮こまり、脂汗を浮かべながら机の上の「紙屑の山」をかき回している。

謙虚、というよりは怯えに近い。私の胸元で鈍く光る王宮の紋章が、彼には断頭台の刃に見えているのだろう。


(嘘。探しているフリをしながら、実際にはどの山に何を置いたか全く把握していない。彼の視線の動きは泳いでおり、特定の対象を追っていない。ただランダムに紙を動かし、運良く目的の物が出てくるのを待っているだけ。……確率論に捜査を委ねるなんて、この男の脳は単細胞生物のそれと大差ない)


「まあまあ、リナリア。そんなに冷たく見つめたら、彼の心臓が止まっちゃうよ。ほら、見てごらん」


ゼノは窓の外に目をやり、うっとりとした表情で指を鳴らした。

「窓の外を通ったあの未亡人。右足の重心がわずかに外側に流れている……。あれは新しい恋人ができて、昨日慣れないヒールの靴をプレゼントされた証拠だね。でも歩幅が狭い。浮気相手との密会場所が、意外と近所にあることを示唆している……。ああ、なんて情熱的な泥沼なんだ! そういえば途中で寄った交易街では面白かったね。君がかっこいい騎士に見とれて、三歩立ち止まってた。足跡の沈み込みでバレバレだったよ。まだ君にも乙女の恋心が宿っているんだね」

瞬間、詰所の床が、極彩色の光のパレードと化した。

「そして見てよ、この足跡の密度。アルバインはこの数時間、入口と机の間を二十八往復もしている。でも、書類棚に向かった形跡は一度もない。つまり彼は、仕事をしている『雰囲気』を演出するために、無駄に歩数を稼いでいたんだね。ああ、健気な努力パフォーマンスだ、恋に不器用な男が好きな子に話しかけられなくて、周囲をうろつく心理に似ているよ」


「消して、ゼノ。あと黙って」


王都では、この男の「足跡視認魔法」は伝説とまで言われていた。どんなに巧妙に隠蔽された犯人の逃走経路も、彼の手にかかれば光り輝く道筋となる、と。


だが現実はどうだ。

この男、その類まれなる才能を「近所の不倫調査」と「恋の駆け引き分析」に全振りしている。呆れて言葉もない。


私は視界のノイズを遮断し、アルバインが「これです!」と差し出してきた紙の束を指先でつまみ上げた。

そこには、ミミズがのたくったような文字でこう記されていた。


『隣家のニワトリが、うちの洗濯物を突いた。損害賠償として卵三ダースを要求する』


「……これのどこが、事件の報告書なの?」

「あ、あれっ!? おかしいな、それは先週の苦情処理で……。じゃあ、こっちの……」


次に出てきたのは、『村長の家の裏に、夜な夜なピンク色の幽霊が出る(実際は酔っ払いの見間違い)』という落書き同然のメモ。その次は、『特産アプリコットの種を喉に詰まらせた男の救護記録』。


「ふむ、この『ピンク色の幽霊』……。これは恐らく恋人に会いに行くためにピンク色の薄衣を纏った若い女性だね。情熱的な深夜のデートだ。リナリア、事件性があるよ。ロマンスという名の事件がね」

「ゼノ。その口を縫い合わせる前に、この『ゴミの山』から事件らしいのを一緒に探しなさい。少しは仕事を……」


「大変よ! 大変よ、アルバイン!」


詰所の扉が、王宮を狙うテロリストが爆弾でも投げ込んできたかのような勢いで弾け飛んだ。

私は無意識に、魔導ローブの裾を払い、笏杖へ手を伸ばして臨戦態勢を取る。捜査官としての本能が、最悪のシナリオ――村長の毒殺か、あるいは広場での魔術暴走か――を瞬時に演算し始めた。


「おや、リナリア。見てごらん」

ゼノが、足を組んだままキラキラとした青い瞳を輝かせている。

「こんな田舎でも、事件は王都と同様に僕たちを放っておかないみたいだ。やはり、僕たちの『一流のオーラ』が呼び寄せてしまったのかな。罪な美貌だね、僕も君も」


駆け込んできたのは、息を切らした恰幅のいい中年女性だった。彼女は机を激しく叩き、絶望に打ちひしがれたような顔をしている。(打撃による衝撃波の減衰から算定される骨密度と筋肉量は、彼女が農耕または重労働に従事する健康体であることを示唆しているが、顔面の毛細血管は異常な拡張を見せている。演技者が意図的に操作可能な「表情筋の歪み」を超え、瞳孔は強度の興奮による交感神経の暴走で散瞳し、頚動脈の拍動は140bpmを突破しているだろう。これは自己保存の本能を凌駕する急性ストレス反応——すなわち、演技ではない。私に一抹の緊張が走……。


「大変よ、アルバイン! 遠方の町からたまに来る行商人のロバートが、特選の岩塩を去年の三割引きで安売りしてるのよ!」


一瞬、脳が停止した。

私の脳内の精密な論理回路が、一斉にエラーメッセージを吐き出す。


「本当か!? それは死活問題だ!」

アルバインが椅子を蹴り飛ばさんばかりの勢いで身を乗り出す。

(嘘。彼の瞳孔は恐怖ではなく、単なる『購買意欲』で開いている。声のトーンは三オクターブ上がり、興奮による血流の増加が頚動脈を脈打たせている。……この男、本気だ)


「一人二袋までなんですって! もう、今すぐ行かないと売り切れちゃうわ!」


「くそっ、今すぐ買いに……」

アルバインが腰の重厚な長剣(ただの飾り)をガチャつかせ、扉へ向かおうとした瞬間、私の視線とぶつかった。

彼は凍り付いたように足を止め、脂汗を流しながら私と女性を交互に見る。


「……あ、ああ、そうだな。今は、その。片付けなきゃいけない仕事があるんだ。俺の分も買っておいてくれ、ほら、代金だ」

「あら、残念。じゃあ、先に行くわね! レイナ、あなたはどう?」

「ええ、一緒に行くわ」

若い女性衛兵が共に出ていった。


嵐のような女性が去った後、詰所には再び、歯車の噛み合わない時計の音だけが虚しく響く。


「リナリア。今の見たかい? 彼女の走り去る足跡。安売り会場へ向かう『執着』が、まるで炎のような真っ赤なラインを描いているよ。恋よりも情熱的な消費欲だねぇ」


疲れた……。もうこの壊れかけた時計でも直していようかしら……。

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