第一章(4)
「ここに線を引けば、ここの角度が求められるでしょ? そしてこことここを……」
「なるほど。解けた。そうか……最初の分割が肝なのか……」
解き方を覚えたアーヴィンは、忘れないうちにともう一度同じ問題を最初から解き直す。覚えが早いから、次は流れるように問題を解いていた。
「よし。これで次は君に勝てそうだ。いいのか? 敵に塩を送って」
「なんだって古い言葉を知っているのね」
「この言葉の意味を知っている君もなかなかだと思うけどね」
ふっと口元をほころばすアーヴィンを見たら、宝石のような紫眼がやさしく注がれる。なんともくすぐったい雰囲気に、どうしたらいいのか悩んでいたら、そこで空気がピリッと張り詰めた。
「早速、魔女は王弟殿下を手玉に取ったのか」
そんな声が聞こえて振り返ったときには、すでに人の姿はなかった。ガタガタッと音を立ててアーヴィンは立ち上がり、誰かが出ていったであろう教室の扉から廊下を確認する。
「アーヴィン……?」
「ふん。あんなやつが同じ教室にいるというだけで、腹が立つな」
「私は気にしていないもの」
私を魔女と表現する人物に心当たりはある。シオドア・ポーレット、彼しかいない。それにあの声はシオドアのものだった。必要最小限の会話でしか関わっていないが、初対面の印象が最悪だったというのもあり、あのときの彼の声はしっかり耳に残っている。
「今日は、ここまででいい?」
「ああ、すまない。ありがとう」
「そうね。『この借りは、いずれ返してもらうから』」
淑女らしからぬ発言であったが、アーヴィンは「古典にも詳しいんだな」と言ったので、彼もすぐに古典作品の一節を真似たものだとわかったらしい。
「そういえば、図書室に行くんだろ?」
アーヴィンはそう言いつつ、机に広げた問題用紙などを片づける。
「ええ。ちょっと読みたい本があったから、購入依頼したの。それが届いたって連絡があったから」
図書室では、読みたい本をリクエストすれば購入検討をしてくれる。
「へぇ? 君がそこまでして読みたい本というのは、気になるな」
ニヤリと笑ったアーヴィンは、そのまま図書室にまで連いてきたのだ。図書室はこの学園の関係者であれば、誰でも利用できる場所だから「連いてくるな」とも言えないし、だからって拒むつもりもなかった。そう考えてしまうのは、私の気持ちが自分自身、よくわからないからだ。
図書室の中では静謐な時間が流れていた。閲覧席にちらほらと人はいるが、日ごろから利用している人は少ないのだろうという印象を受ける。
私が受け付けで生徒手帳を見せると、司書もすぐに裏から本を取り出した。
「こちらでよろしいでしょうか?」
「はい。ありがとうございます」
貸し出し手続きをしてしまえば、これから十日間は、この本を自由に読める。
「『絵画で学ぶ王国の歴史』……?」
本のタイトルを見たアーヴィンは、驚いたように目を見開く。
「えぇ。絵画ってその時代の世情が反映されているでしょう? 内乱が起こった年であれば、怒りとか空しさを感じさせるような寂しい色調のものだったり。それは感情だけでなく、使われる顔料にも制限があったからだとは聞いているけれど。だけど、内戦が終わるにつれ、明るさを取り戻すというか……。また、色調が変わってくる感じがするの」
読みたかった本なだけに、少し熱く語りすぎてしまっただろうか。
だけどアーヴィンは「なるほど……」と、小さく頷く。
「その本、読み終わったら、次は俺に貸してくれないか?」
「学園の本だもの。好きに読んだらいいと思うわ」
私の本ではないのだから、いちいち許可を取る必要はない。それでも次にアーヴィンが借りられるように、読み終わったら声をかけようと、心に決める。
アーヴィンがふっと笑えば、私の胸がドキリと跳ねた。だけどそれを誤魔化すかのように「そろそろ迎えがくるから」と時間を確認したところで、借りた本は鞄の中にしまった。
「また明日」
私が軽く手を振れば、アーヴィンも「また明日、気をつけて帰れよ」と手をあげた。




