第三章(5)
やはり、婚礼の儀で疲れていたのか緊張していたのかわからないが、目が覚めると室内はすっかり明るくなっていた。大きなベッドの端のほうで丸まって眠っていた私は、そろりと身体を起こす。
少し頭が痛いかもしれない。だけど今日のうちに、シオドアと誓約書を交わしておきたい。いつ、彼が心変わりするかがわからないからだ。
ベルを鳴らしてエマを呼んだ。
「おはようございます、奥様。お呼びでしょうか」
彼女から奥様と呼ばれるのは、どこかくすぐったい気分だ。
「おはよう、エマ。着替えをしたいの。ところで、シオドア……旦那様は?」
「まだ、お休みになられているようです」
そこでエマの声色が下がったため、ここにはいないシオドアがどこで休んでいるのだろうと、考えているのだろう。
「エマ。昨夜、旦那様はこちらに来られたのよ? だけど、彼には私以外に好きな人がいるみたいなの」
愛人という言葉を使うのは、気が引けた。
「左様ですか。それが離れにいらっしゃる客人ですね」
エマの顔からはすっと笑みが消えた。もしかして彼女は、シオドアが私を抱いた後、リンダのところへ行ったのだと思っているのではないだろうか。
「エマ。気にしないで。私と旦那様は白い結婚を貫くと、二人で約束をしたの。この結婚に愛など存在しない。あるのは互いの見栄だけよ」
幸せな夫婦だと周囲に思わせ、そして裏では愛人との関係を楽しむ。
だから昨夜、シオドアも一度は寝室にやってきたにちがいない。そうでなければ、私のことなど放っておけばいいのに。
つまり私は偽装妻のようなもの。となれば、シオドアにも偽装夫になってもらおう。私にまで愛人をすすめてきたのだから、それくらいのことをやってもらってもいいはず。
「奥様が納得されているのでしたら、私からは何も申し上げません。ですが、これだけは覚えておいてください」
エマは私の手を両手でぎゅっと握りしめる。
「私は、何があっても奥様……イレーヌ様の見方です」
エマの真剣な眼差しに射貫かれ、私も自分の決めた道を突き進もうと決意する。
いや、シオドアから愛人をすすめられ、アーヴィンがそれに名乗りをあげたときから、心は決まっていた。それでも、やはりどこか不安はつきまとっていて、そしてシオドアが心を入れ替えてくれないだろうかとも願っていたのも事実。
それはほんの数パーセントの願いではあったけれど、結婚した夫婦なのだからという気持ちもあったからだ。
だけど、もう迷わない。
エマも味方だと言ってくれたし、なによりも学園時代に信頼を寄せていたアーヴィンが協力してくれる。
お義母様には悪いけれど、この結婚の先に望むのはシオドアとの離婚。ポーレット公爵家と縁を切ること。
「ありがとう、エマ。では、早速、相談にのってもらいたいことがあって……」
「なんでしょう? 私にできることなら、なんでも協力いたします」
エマに着替えを手伝ってもらいながら、シオドアとの結婚生活における約束事についてを口にする。もちろんリンダの存在も。
「シオドアは、彼とリンダさんの間に生まれた子を後継にしたいらしいの。だから、私が子どもを授かると都合が悪いみたい」
「なんてことでしょう」
ふるふると身体を震わせるエマは、手にしているブラシを折りそうになっていた。
「クズの極みとしか言えないような男です」
「でも、仕方ないわね。彼は私のことをこれっぽっちも愛していないのだから。それはお互いさまよ。だからね、昨夜は口約束で終わったその内容を、きちんと誓約書としてまとめておこうと思ったの。シオドアもそれはいい考えだって賛成してくれたから」
彼からしてみれば、私が生んだ子を公爵家の跡継ぎだと主張されても困るだろう。
私からしてみれば、何かの間違いがあって彼に抱かれるのも嫌だった。




