閑話:アーヴィン(2)
ある日、晩餐の席で兄王がいきなり話題を振ってきた。
「テロスの絵画が、三年ぶりに返ってくる。これを機に、国立美術館でテロス展を開催しようとする話があってね。館長が事前に特別枠を用意してくれると言っている。君はどうする?」
参加しろともするなとも言わず、アーヴィンの意見を尊重してくれるのは兄王の美点でもある。
「せっかくだから、見に行きますよ」
「だけど、十五歳以上はパートナー同伴なんだ」
そんな話、聞いたことがない。夜会でもあるまいし。
そう指摘すれば、兄王は薄く笑みを浮かべる。
「チケットがペアになっているからね。学園の友人でも誘いなさい」
「いいんですか?」
兄の言葉に食いつき気味に尋ねたのは、テロス展と聞いてイレーヌを思い浮かべたためだろう。
「ああ、問題ない。これは公式行事ではなく、私的なものだからね」
早速アーヴィンは、イレーヌをテロス展に誘った。
テロスの絵画は身分問わず人気があり、それが展示されるとなればファンが大挙して詰めかけるのは目に見えている。チケットなんかも争奪戦になるだろう。それでも貴族たちは伝手を使うはずだが。
そういった背景もあり、イレーヌが喜んでくれると思ったのだ。なにより彼女は絵画に興味があり、教養深い。彼女と一緒にテロス展へ行けば、新しい見方を発見できるかもしれない。
だからイレーヌに声をかけた。
最初は恐れ多いとかなんだかんだと言っていた彼女だが、最終的には一緒に行くと答えてくれた。テロス展は二か月も先の話であったが、イレーヌは両親に話をして予定を空けておくと約束してくれたのだ。
当日は、アーヴィンがロイル侯爵邸にまで迎えにいった。
菫色のドレスをまとう彼女はぐっと魅力的に見えた。白い制服姿も活発な感じがして好ましいが、清楚なドレスも似合う。
「お預かりします」
イレーヌの手をとったとき、彼女の手は想像していたよりも小さくやわらかなものだった。
侯爵はしかめっ面をしていたが、夫人は穏やかに微笑んでいる。どうやらイレーヌは母親似らしい。
「いってらっしゃいませ、イレーヌ姉様」
弟がいるとは聞いていたが、顔を合わせるのは初めてで、彼もイレーヌによく似ていた。
アーヴィンがイレーヌを誘った特別枠では、他に鑑賞する者は兄夫婦と甥のセリウス。そしてしばらくしてから両親が来るくらいだ。
王族直系の関係者だけが集まるこの場で、アーヴィンがイレーヌを誘ったとなれば、特別な関係にあると誰もが想像するにちがいない。
それでもアーヴィンは友人だと言い張った。そう自分に言い聞かせなければ、これ以上の関係をイレーヌに望んでしまうと思ったからだ。
しかし、それが裏目に出た。
セリウスがイレーヌを気に入ってしまい、彼女と手を繋ぎ「この絵は?」「こっちはどうして?」と次から次へと質問攻めにしていた。好奇心旺盛なセリウスの猛攻にアーヴィンですら嫌気のさすときがあるというのに、イレーヌは一つ一つ丁寧に答えていた。
もちろんセリウスはご満悦で、イレーヌの手を離そうとはしない。
帰り際、イレーヌに「セリウスがすまなかった」と謝罪すれば、「別な着眼点から絵画を楽しむことができました」とにこやかに答えていた。
次は二人きりで――。
そう誘いたかったアーヴィンだが、その言葉が口から出ることはなかった。
それでもイレーヌとの関係はぐっと近づき、アーヴィンにとって彼女が特別だと意識したのは、最後の文化祭も終わり、生徒会役員を引退したときかもしれない。
イレーヌと繋がっていた生徒会の活動がなくなったことで、一気に喪失感を覚えたのだ。
そしてふつふつと湧き起こる表現しがたい感情。
イレーヌともっと話をしたい。
イレーヌともっと一緒にいたい。
イレーヌをもっと知りたい。
イレーヌと――。
何をするにも彼女の影が脳裏にちらつき落ち着かない。
この感情に名前をつけるとしたら何になるのか、アーヴィンにはわからなかった。
それでも卒業パーティーでは一緒に踊ってほしいと、誘うつもりでいた。そのとき、この気持ちを正直に告げたら、聡明な彼女は答えをくれるだろうか。
しかし卒業式まであと一か月を切ったある日、アーヴィンは国王から呼び出された。
「てっきり君は、イレーヌ嬢に好意を持っていると思っていたのだが……」
その言葉は否定できない。好意がなければ一年前だって、テロス展には誘わなかっただろうし、それ以外でも彼女のそばに居続けようともしなかった。
「イレーヌ嬢がポーレット公爵子息のシオドアと婚約したそうだ。ポーレット公爵が嬉しそうに吹聴していた」
頭を岩でガツンと殴られたかのような衝撃が走った。
「なぜ……」
そう問うたのに、声は掠れ言葉になっていたかどうかも怪しい。
「おそらくだが、ポーレット公爵はロイル侯爵の資産狙いだろう。それに、次の財務大臣の名にあがっているのがロイル侯爵かあの補佐事務官のトルストだ」
「ですが、あの事務官は……」
過激派の人間ではないかと言われている。兄王は静観しているようだが、過激派が議会で大きな力をつければ、この国はすべてがひっくり返る。だからこそ過激派の人間は、それと知られずに活動をしているし、メンバーも噂程度のものではっきりしていない。
「ポーレット公爵がロイル侯爵を推薦するとでも言ったのではないか? まあ、これは私の勝手な想像だが」
今の財務大臣はポーレット公爵だが、彼は大臣たちを束ねる宰相の地位に就くことが決まっている。それは今の宰相が引退を表明したからだ。財務大臣の地位が空くため、そこを誰にするかで揉めている。
それも今すぐではなく、半年や一年後の話なのだが。
兄王からイレーヌとシオドアの婚約を聞いたアーヴィンは、いてもたってもいられなかった。時間が過ぎるのがこれほどもどかしいと感じたのも初めてだ。早く日が替わらないかと、そればかり考えていた。
学園に行けば、今すぐにでもイレーヌに確認したいのに、他の生徒がいる前で尋ねるのは得策ではない。なんとか彼女と二人きりになる機会を探った結果、図書室から出てきたイレーヌに声をかけた。
生徒会室が使えれば手っ取り早いのだが、卒業を間近に控えたこの時期は、後輩たちが卒業パーティーの準備で忙しい。
結果、人けのいない場所として選んだのは、廊下の先にある踊り場。授業も終わりほとんどの生徒が帰ったこの時間だからこそ、周囲に人がいる気配もない。
「それで、確認したいことって何?」
「イレーヌ……」
イレーヌの琥珀色の瞳が大きく見開かれた。




