【前】和魂洋才
ことの起こりは祖父の形見分けである。
「おまえ、これ使うか?」
祖父亡き後、実家の納戸整理。父が発掘したのは、平たい長方形の箱だった。
「何だよこれ」
開けてみると、中には折り畳まれた白い布が入っている。綺麗に洗ってあるが新品ではない。ハンカチには長すぎ、タオルには薄すぎ。手拭いにしては細い紐がついていて、首をひねった。
「褌だよ」
「ふ、ふんどし?」
「ああ、親父の《勝負下着》だ」
父の説明によれば、この褌はそもそも祖父の父、私の曾祖父の持ち物だったそうだ。
曾祖父は戦前の生まれで、第二次世界大戦中、当時日本の領地だった東南アジアの島国を転戦した。そこで九死に一生を得た末に私が存在するわけだが、その立役者こそがこの褌だという。
「俺はいらねえって、親父に突っ返したけどな。
こりゃあ旧陸軍の軍需品、戦争の道具だ。
第一かっこ悪くて、褌なんか履けるかっての」
曾祖父の孫が何故、反戦派になるのか不思議だが、私自身はその辺のこだわりはない。お国のために戦ってくれた曾祖父を純粋に尊敬している。とはいえお古の褌が欲しいかと言われれば、話は別だ。
「自分が要らないものを人に勧めるなよ」
「親父の遺言みたいなもんだからな。
あの褌があれば……ってずっと言ってたぞ」
「就職はできたろ」
「地元じゃ無理だったろうが」
この春、私は地元を離れた都市圏で、ぎりぎり就職を決めた。学歴は十分だが、地元企業の求人枠が少なすぎたためだ。都会への憧れはなく、実家から出るつもりもなかったが、否応なく独り立ちすることになった。自炊は覚束ないものの、最近ようやく一人暮らしのリズムに慣れてきたところである。
祖父は長らく入院生活で、就職と引越しに忙殺された私は死に目に会えなかった。もし元気なら、この褌をくれていたのだろうか。
「……本当にご利益あるのかな?」
「少なくとも親父にはあったんだろ。
でなきゃ俺に勧めねえだろうからな」
父は肩をすくめると、再び納戸の整理に戻った。
¶ ¶ ¶ ¶ ¶
思うところあって、私は褌を持ち帰った。
まずは念入りに洗濯した。病気でも移されたら目も当てられない。
洗濯機を回しながら、褌について調べた。
褌は大きく二種類、越中褌と六尺褌に別れる。名前は聞いたことがあるが、詳しくは知らなかった。祖父の褌は越中のようだ。
褌の歴史は古く、古事記や日本書紀にも記されている。昭和十年頃までは男女の下着として一般的だったが、洋装化の流れに伴い減少し、現代に至る。
意外だったのは、褌が通販サイトで普通に売られていることだった。商店では見たことがない褌が、ネットでは種類も色も好きなだけ揃っている。ちょうど着物や足袋のように、マイナーだが確固たる地位を残していると思えた。祭りなどイベントの需要もあるだろうが、案外、褌派の男性はいるのかもしれない。
日本軍の備品の話も見つけた。制服から装備に至るまで洋式化した日本軍だが、支給される下着は最後まで褌だったという。普通ならパンツに変えそうなものだ。何故、褌だけ譲れなかったのか。
自身もシャワーを浴びた後、多少胸を高鳴らせながら、乾燥機から褌を取り出した。
着用の手順はすでに調べてある。
まず褌を背中に当て、紐を腰に回して、前方で結ぶ。次に長い布を股を潜って前にやり、結んだ腰紐の下に通す。最後に形を整え、布を股間の前に垂らせば完成だ。
初めての褌でまず驚いたのは、圧倒的な開放感だった。
自由という意味では全裸に勝るものはない。そんな考えが先入観であると思い知らされた。思えば全裸にも束縛はある。ぶら下がる陰嚢は重力の影響を受け、自由ではいられない。
しかし、この褌の安心感はどうだ。適度な柔らかさで包まれた股間は、重力の軛から放たれ、自由の羽を与えられる。さながら揺籃に眠る双子の如し。この繊細さに比べれば、トランクスやブリーフはゴミ袋も同然である。
だが、褌の真価はその先に存在した。
簡単に緩まぬよう、股間の白布を思い切り引き上げた時、私の脳裏に浮かんだのは「和魂」という言葉だった。
和魂洋才。日本の心を失わず、西洋の技術を取り入れるという考え方である。
ならば日本軍が最後までこだわった褌こそ、我が国の《魂》ではないか。
男性器をきりりと締め上げると、自然と背筋が伸びた。緊縛感が生み出す緊迫感。胸に矜持が宿り、思わず襟を正したくなる。半裸だが。
──思えば、つまらない人生を歩んできた。
学業は優秀だが、夢も目標もなく、周囲に流される日々。親の用意する下着を履き、親の勧める学校に進んだ。親元を離れた今も大差はない。言われた仕事をこなすだけの毎日。経済的な苦労はないが、生き甲斐もやり甲斐もない。
そんな私が、何故だろう。褌を履いただけで、やる気に満ち満ちている。夢がなければ探せばいい。やり甲斐がなければ作ればいい。曾祖父や祖父に恥じない生き方をする義務が私にはある。そう、褌に教えられた気がする。
魂のなかった私に、褌が魂をくれたのだ。
わけもなく雄叫びをあげたくなり、慌てて自制した。この精気を無駄遣いしてはならない。
私には、来たるべき決戦への備えが必要なのだ。




