夢より来たる者
空が燃えていた。
赤と黒に染まる天蓋の下、玉座のある神殿が崩れ落ちる。
響き渡る断末魔、爆ぜる石の雨、血と灰が混じった風。
その中心で、王はひとり立っていた。
その目には、もはや慈悲も理もなかった。
ただ、絶対の命令を下す者として、彼は右手を掲げる。
七つの輪がその指に嵌められていた。
「命ず。七十二の名を持つ僕たちよ――この世界を、閉じよ」
――その言葉と同時に、すべては光に呑まれ、砕けた。
「……またか」
カイ・エリオンは、薄暗い自室で目を覚ました。
胸の奥で残響のように鳴る心臓の鼓動を押さえ、額に手を当てる。
この夢を見るのは、もう何度目だろう。
日常とは程遠い、異様なまでに鮮明な夢。現実よりも現実めいた感触。
そして、夢の終わりに現れる“王”の姿と、「七十二の魔神」の名。
(……ソロモン)
古代の魔術王。悪魔を従え、世界を統べたと伝えられる伝説の存在。
歴史の教科書でしか聞いたことのない名が、やけに生々しく脳裏にこびりついている。
(なぜ俺が、こんな夢を……)
誰に聞けるわけでもない問いを抱えながら、カイはゆっくりと体を起こした。
学園の鐘が鳴る。もうすぐ朝の祈祷が始まる時間だ。
午後。静かな神学講義の教室。
窓から柔らかな光が差し込み、ページをめくる音と羽根ペンの擦れる音が心地よく響く。
だが、その静寂は、ある“声”によって突き破られた。
――契約を望むか?
カイの頭の中に、突然、直接流れ込むような声が響いた。
「……っ!?」
思わず席を立ち、周囲を見回す。だが、誰も何も反応していない。
まるで時間が一瞬、止まったかのような違和感。
そして――
黒い炎のような影が、彼の目の前に現れた。
それはやがて人の形をとり、一人の“男”が姿を現す。
「……初めまして、我が王」
黒き甲冑を纏い、真紅のマントを風もない教室で翻す異形の者。
その瞳には、金の紋章が揺らいでいる。
「我が名はベレト。ソロモンの契約により生まれし七十二柱の一。
――そして、あなたの忠臣です」
カイは言葉を失った。現実とは思えぬ情景に、息すら詰まりそうになる。
「……俺を、王だって……?」
「かつて、あなたは王だった。七十二柱を統べる、叡智の支配者。
輪廻の果て、今ふたたび目覚めたその魂が――今、我を呼んだのです」
ベレトはそう告げると、ゆっくりと跪いた。
その手には一本の剣が握られている。黒銀に鈍く光る、魔を帯びた異形の剣。
「どうか、契約を。――この剣と命を、再びあなたに」
カイの手が、自然とその柄へと伸びていた。
恐怖も疑問もすべてを飲み込む、何か大きな力が、胸の奥で叫んでいた。
そして――その剣に触れた瞬間。
カイの右手に、古代文字で刻まれた「契約の印」が浮かび上がった。
世界が、震えた。
「……契約、成立」
その一言をもって、少年の運命は動き出した。
この日、世界は静かに――だが確かに、再び回り始めたのだった。