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[第一話]背中越しの初恋

桜がすっかり葉桜に変わった五月の朝。制服の袖が少し暑く感じるほど、陽の光がまぶしかった。雲一つない真っ青の空で太陽が輝く中、制服を着た男女が校門を通る。ここは、青陽学園せいようがくえん青陽町せいようちょうに存在する高校である。今日もいつも通り、高校生たちが通学している。靴箱で靴を履き替え、それぞれの教室に入って行く。突如、女子たちの黄色い歓声が上がる。女子が廊下の両脇に避け、その間を一人の男が通る。割れた海の底を歩いたモーゼかの如く廊下の真ん中を歩く。日光に照らされ、宝石のように輝く灰色の髪。少しパーマがかかっていて、風に揺れるたびにふんわりと柔らかく波打つ。そして極めつきは、二次元の登場人物がそのまま出てきたような顔立ち。まさに、老若男女が思い描くイケメンを足して割ったかのような男が廊下を歩いていた。

彼の名は、狼牙うるが 汪士おうじ。今年の春、青陽学園に入学した男である。自己紹介をした時、あまりに整った顔立ちにクラスの女子たちが一目惚れし、彼の存在が学校中に広まった。二週間で全学年の女子に名前を覚えられ、上級生に呼び出された噂すらある。教室に入り、席に座った途端、獲物を発見したハイエナのように女子が群がる。

「狼牙君おはよう!」

「おはよう。」

「狼牙君今日もかっこいいね!」

「…ありがとう。」

―またか。毎回毎回、同じ感想……。たまには「二重綺麗だね」とか、そういうのないの?

女子達と世間話を繰り広げていると、チャイムが鳴り、前の扉から先生が入って来る。そしていつも通り、朝礼が始まった。

「転校生を紹介する。」

ざわ……。

その瞬間、クラス中がざわついた。興味津々な者もいれば、全く関心が無い者もいる。

「じゃあ、入ってきてくれ。」

扉がゆっくりと開き、前から一人の女子が入って来た。緊張しているのか、やや猫背になりながら下を向き、教卓の横まで静かに歩いてくる。教室中がざわめいた。なぜならー彼女の頭の頂点が黒板の上辺とぴったり重なっていたのだ。推定、身長185cmほどだろうか。とても女子とは思えない長身。肩甲骨周りまで伸びたまっすぐな黒髪。前髪は鼻の付け根あたりまで垂れ下がり、その奥にあるはずの目は完全に隠れている。その姿だけで、只者ではないーそう直感した者は、きっと一人や二人ではなかった。

「…ひ…姫野ひめの 麗美れいみ…といいます…。今日から…このクラスで、過ごす事になりました。えっと…よろしくお願いします。」

小鳥のさえずりのようなか細い声で自己紹介を終えると、彼女は深々と頭を下げた。そのギャップに圧倒されつつも、ぱらぱらと拍手が始まった。だが、その音の奥にあったのは、歓迎というよりも「とりあえず拍手しとけ」的な空気だった。

―だが、彼だけは違った。

き…来たーーーッ!!!

狼牙は表情一つ変えぬまま、心の中で全力のガッツポーズを決めていた。


昼休みになり、狼牙は母親がつくってくれた弁当を食べながら、あれこれと思いを巡らせていた。

―どうすれば、姫野さんと仲良くなれるんだ…?

実は狼牙は、重度の"長身女性フェチ"なのである。小学生の時、テレビに出ていた身長一70cmの女性のモデルを見たのがきっかけで、長身女性の魅力にどっぷりはまってしまったのだ。モデルが、カメラに向かって手を振るたびに、テレビの前で正座している当時小学生の狼牙は手を振っていた。そんな彼にとって、姫野はまさに昔から思い描いていた理想の異性。その彼女とどうにかして距離を縮めたい―午前中はそんな事ばかり考えていた。

そんな中、隣でご飯を食べていた男子二人の会話が、ふと狼牙の耳に入って来た。

「姫野さん、かわいくね?」

「分かる。なんか気が合いそうだよな。」

―!?まずい!他の男に取られる…!

狼牙の頭は一気に猛スピードで回転し始めた。

悠長な事をしていたら、姫野さんが他の男の手にわたってしまう―それだけは絶対に避けなければならない。

数秒後、彼の脳内に、一つのアイデアが"重力に耐えきれず地面に落ちた果実"のように、ぽとりと落ちてきた。

―そうだ!放課後に呼び出して、告白しよう!

そうすれば、一番乗りで仲良くなれるぞ!

……いや、ちょっとまて。

さすがに転校初日に告白は、血迷い過ぎか?

………いや、でも俺の顔なら……いけるか!

彼は幼い頃から、異性に「イケメン」だともてはやされてきた。

数多の女子から告白され、その甘いマスクで何人もの女子をメロメロにしてきたのだ。

そのせいで―

狼牙は「自分の顔に惚れない女性は居ない」と、本気で信じている。

―大丈夫だ。俺の顔ならいける!!小学生のバレンタインで、貰ったチョコがランドセルに入りきらなかったあの日…。あれを思い出せ。……よし!!


「ごめんなさい!」

放課後、狼牙は作戦通り、体育館裏に姫野さんを呼び出し、告白した。

しかし返ってきた返答は、彼の想像していたものとはまるで違った。

「えっ……な……なんで……?」

「だって、狼牙君のこと、まだよく知らないし……。

急に告白されても、困っちゃうよ……」

狼牙は、ド正面からフルスイングのボールを喰らったかのような顔をしながら、自分の顔を指さした。

「え……俺、イケメンだよ?」

「うん……そうだけど……」

一瞬、間が空いた。彼女の前髪の奥の目が、少しだけ揺れて見えた。

「私は、内面で判断したいから……」

「―そ、そんな……」

後頭部から金槌で殴られたような衝撃が走る。

狼牙は膝から崩れ落ち、地面に四つん這いになる。

―嘘だろ……俺の顔に、惚れない……だと……!

「見ちゃったー!」

建物の影から、だらしなく制服を着崩した三人組が現れた。

先頭を歩くのは、耳にピアスをつけ、ニキビ顔に脂っぽい頬。腹だけ突き出たその体は、まるで立ってるアザラシだった。

声がした方を振り向いた瞬間、狼牙の顔が引きつった。

「…!矢喜…!」

彼は矢喜やき 拓夫たくお。この高校に通っている三年生で、不良であり、かなりの女好きとして女子から煙たがられている。

「おいおい狼牙〜。お前、年上の俺に敬意ってもんがないのか?」

「あんたを先輩って呼ぶぐらいなら、ゴキブリの素揚げ食った方がマシだよ。」

矢喜が苦虫を噛み潰したかような顔をし、大きく舌打ちをする。

「可愛くねぇ奴…。」

「それよりも…。見てたぜ〜?お前、あの女子にスルーされてたじゃん!まさか、フラれたんじゃねの?」

矢喜は狼牙の顔を指差し、「キャキャキャッ!」と、猿ともネズミともつかぬ甲高い声で笑い出した。

後ろに控えた二人も、墓場から響くような不気味な声で釣られ笑いする。

「じゃ、俺がいただいちゃおうかな……」

矢喜がじっと姫野を見つめ、舌なめずりをした。その目は、完全に獲物を狙う肉食獣。

姫野の呼吸が浅くなり、肩がぴくりと震える。

視線を逸らそうとしても、矢喜の目が張り付いたまま離れなかった。

背筋にぞわりと冷たいものが走り、鳥肌がぶわっと立つ。

「やめろ!姫野さんには手を出すな!」

―顔だけでなんとかなる世界じゃない。

狼牙は自分の中で何かが切り替わったのを感じた。

両手を広げ、姫野の前に立ちはだかる。

「いいじゃねぇか。お前、さっき見事にフラれてたよなぁ?」

矢喜は笑いながら手のひらを前後に動かし、退け退けとジェスチャーする。

「失恋したばっかのイケメン様が、何、騎士気取りしてんだよ。あ〜痛ぇ痛ぇ、見てらんねぇ!」

矢喜は狼牙の存在など気にも留めず、ニヤついた顔で歩き出す。

すれ違いざま、狼牙の拳が勢いよく突き上げられた。

ゴッ!

拳が矢喜の顔面にめり込み、鼻血が勢いよく吹き出す。

矢喜の体は宙を舞い、そのまま後ろの取り巻き二人に激突。

三人まとめて地面に転がり、まるでボウリングのピンのように弾け飛んだ。

「てめぇ!たっちゃんに何すんだ!」

「なめたことしてくれるじゃねぇか、クソガキィ!」

取り巻きたちが地面を蹴って立ち上がり、狼牙を睨む。

狼牙は息を荒げながら、自分の拳を見つめた。

(……やべぇ。殴っちまった。けど……)

チラリと姫野を見る。怯えた表情を浮かべながらも、彼女は矢喜から一歩距離を取っていた。

(あいつに触らせるわけには、絶対いかなかった)

狼牙は拳を握り直し、低く構える。

そして、ゆっくりと言葉を吐き出す。

「たしかに……俺はガキだよ」

一拍の沈黙。

その目がまっすぐに敵を射抜いた。

「でもな―」

「振られたからって女の子を見放すような真似ができるほど、ガキじゃねぇんだよ!」

その声に、姫野の肩がわずかに揺れる。

―なんで、そんなふうに…。

さっきまで「ただの変な人」だった狼牙の背中が、今はやけにまぶしく見えた。

まるで静かな水面に、一滴の水が落ちたように。

姫野の心に、確かな波紋が広がっていった。

「姫野さん!」

狼牙が振り返らずに叫ぶ。

「先生を呼んで来てくれ! 早く!!!」

強い声に押され、姫野はハッとして小さく頷いた。

そして制服のスカートを翻し、校舎の裏へと駆け出した。

「逃がしてたまるかよ!」

矢喜たちが立ち上がり、狼牙に襲いかかる。

一人は正面から殴りかかり、もう一人は背後に回りこみ、狼牙の両腕を強く押さえ込んだ。

「ぐっ…!」

必死に抵抗するが、三対一では分が悪い。

力の差も歴然だった。仮にも相手は三年生。

両腕は、まるで分厚い鉄製の拘束具で固定されたように、びくともしない。

身体をねじっても、もがいても、筋肉が悲鳴をあげるばかりだった。

矢喜が舌なめずりをしながら、にたりと笑って歩み寄ってくる。

鼻血で顔を真っ赤にしながら、恨みのこもった目で狼牙を見下ろす。

「よくもやってくれたなぁ…?」

矢喜が拳をゆっくり振り上げた、その瞬間―

「おいお前たち!何をしている!!」

野太い怒声が、校舎の向こうから響き渡る。

その声を聞いた瞬間、三人の顔色が一気に変わる。

「げっ、この声は……山崎!」

「やっべ!逃げるぞ!!」

手下の二人が狼牙を突き飛ばし、三人は蜘蛛の子を散らすように走り去っていった。

狼牙はふらつきながら立ち上がり、声のした方に向かう。

「助かりました、山崎先生。さっき、矢喜の奴に―」

そう言いながら顔を上げた瞬間、狼牙は困惑した。

そこにいたのは、姫野だけだった。

(……え?山崎先生は?)

山崎先生といえば、青陽学園の生活指導担当。

口の回りをぐるりと囲む泥棒ヒゲに、ワカメのようなモジャモジャの眉毛。

それに、銅鑼のような腹の底まで響く、野太い声―

だれが聞いても忘れられない、そんなインパクトの塊のような先生である。

「どうした?狼牙?」

姫野が首を傾げて話しかける。

だが、その声は―まさに、山崎の声そのものだった。

「……え?」

狼牙は自分の目と耳を疑った。

呆然と姫野を見つめていると、彼女は口元を両手で押さえながらクスクス笑う。

「びっくりした?私、実は声マネが特技なんだ。」

初めて見た姫野の笑顔に、狼牙は思わず気が緩みそうになる。

「久しぶりにやるもんだから、チューニングにちょっと時間がかかっちゃった。ごめんね。」

姫野が軽く頭を下げる。

狼牙は少し戸惑いながらも、ぺこりと頭を下げて礼を言った。

「……こちらこそ、助けてくれてありがとう。」

そう言って顔を上げると、狼牙は名残惜しそうにその場をあとにした。

不良から助ける事に成功した―

だが、告白には失敗した。

(もう……ここにいる理由は無い。)

そんな思いを胸に、狼牙は背を向けて歩き出した。

「狼牙君、ちょっと待って。」

その声に、狼牙の足がピタリと止まる。

「さっきの告白の件なんだけど……」

狼牙の胸に、一筋の期待が走る。

体をひねり、まるで親を見つけた迷子の子供のような顔で姫野を見つめた。

「まさか……お礼に付き合ってくれるとか?」

「いや、それは無理。」

食い気味にキッパリ断られ、胸の中にある期待がバッサリと乱雑に捨てられる。

「でも……友達からなら……いいよ。」

その言葉に、狼牙の目にふたたび光が宿る。

「ホント?」

姫野は、少し照れたようにコクンと頷く。

狼牙の腹の底から、過去最高の喜びが火山のように湧き上がる。

「ヤッッッッッッッッターーーーー!!!!!」

両手を思いきり掲げて、まるで宝くじの一等が当たったかのような歓喜の声をあげた。


夕日が地平線の向こう側に半分ほど沈み、空にはぽつぽつと星が顔を出し始めていた。

狼牙はベンチに腰を下ろし、手元のスマホを見ながら―白い歯をこぼす。

画面には連絡先の一覧。

その中でひときわ目を引く名前があった。

「姫野」―その二文字が、まるで画面の中で輝いて見えた。

さっきの声マネ。

自分のために動いてくれたこと。

そして、あの「友達からなら」って一言。

全部が、心の奥に焼きついて離れなかった。

(明日も……話せたらいいな。)

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