赤ちゃんダスト
「……赤ちゃん、ダスト?」
昼休みの食堂で、一緒にいた友人達が出した知らない単語に、相沢安次は箸を止めて聞き返した。
彼の前で定食とサンドイッチをそれぞれ食べていた二人の男女が、その手を止め口々に答える。
「そう、赤ちゃんダスト。なんでも、四条のどこかには死神が出るって路地裏があって、そこに赤ん坊を置いておくと、その死神があの世に連れて行ってくれるんだってさ」
先に口を開いたのは男生徒の道堂大介。定食攻略のための割り箸を、指揮棒のように振りながら説明する。
その指揮棒が実際に効いたわけでもないだろうが、女子生徒が後半を引き継ぐために口を開く。
「他にも、天使だとか女の幽霊だったり、酷いのだと賀茂川に住んでるホームレスの人らが赤ん坊食べてるって話もあるけど。とにかく、そこに置いとくと次の日の朝には赤ん坊消えてるんやって。今年からこっちに越してきた相沢君は知らんやろけど、冬ぐらいから結構有名な噂やで」
女子生徒、遠藤絵里香の説明に補足するなら、この噂の名称は昔話題になった赤ちゃんポストと、赤ん坊のゴミ箱――つまりbaby's dust boxを掛けたものである。しかし、今の相沢はそんなことを一切知らない。
「それで、その赤ちゃんダストがどうかしたの、道堂君」
「いやさ、このまえ姉貴からそれっぽい場所、聞いたんだよな。なんかこの噂、大学でも流行ってるらしくて。四条少し上ったとこに廃ビルがあんだけど、その横にある路地裏がそうじゃないかなってさ」
「せやから、大介と私とで今度学校終わり見に行こうって話しなんやけどさ、良かったら相沢君も一緒に行かん?」
その言葉に、相沢は少し考える。自分たちが通う公立高校から京都市の繁華街までは市バスを使って平均四十二分。往復だけで八十四分掛かるわけだが、まあその間もこの二人と一緒にいるわけだから無駄にはならないだろう。それに、四条の地理を知りたいとも思っていた所だ。
「…うん行くよ。良かったらついでに色々教えてくれると嬉しいかな。僕あの辺のことよく知らないし」
「それじゃあ、今度の金曜日。学校終わったら直ぐ行こうぜ。俺と遠藤は定期あるから、まあお前のバス代は三人で折半って事で」
「ありがとう。じゃあ一人頭百四十六円六十七銭だね。準備しとく」
相沢は財布の中を確認する。あいにく大きい物しかない。金曜日までに一円玉を砕いておかなければ。
そんな相沢に、二人は顔を見合わせる。
「いや、相沢君。もう銭とか使う人いないやろ…・・・えーと、一人百四十円ずつ出し合って、残りは大介持ちでええやん。言い出しっぺやし」
遠藤が笑いながら訂正した時、昼休みの終了を告げるベルが鳴った。
相沢は窓際の自席で頬を付きながら、自分のクラス担任になって2ヶ月ほど経つ初老の男を簿ーっと見ていた。
午後の授業もつつがなく終わり、残りは彼の連絡事項を聞くのみである。
「きりーつ、れーい」
ところで。全くもって唐突だが、相沢安次は地球人ではない。正確に言うと生物でもない。
「ちゃくせーき」
彼は遙か遠く、太陽系の外に存在する惑星、大ケンタウルス星で作られた地球及び人類調査用のロボットなのだ。
「はい、ホームルームを始めます」
今から一年ほど前。地球という惑星を発見したケンタウルス星人達は、彼を作り出し、送り込んだ。
「最近、パンのゴミを教室に捨てる人が多いです。気がついた人は拾うようにしてください」
幸い、ある地球で協力者を得た彼は、人間と同じ外見、声、戸籍その他を手に入れた。
「明日の総合、二年三組はバスケットをやります。皆さん体操服は持ってくるように」
そして今、彼は高校生に扮しこの公立学校に通っているのである。
「……あと、皆さんも新聞で知っていると思いますが、丁度良い機会なので言っておきます」
学校の人間に、このことを知る者は居ない。
「馬場君のお婆さんが一週間前から行方不明になっています。心当たりがある者は申し出るように」
知識不足から来る、相沢の突飛な行動は、冗談として今のところは捉えられている。
「あと、このことでもしかすると、テレビ局などの人にいろいろ聞かれるかも知れませんが、無責任な言動は慎むようにしてください」
既存の音声合成ソフトを調整して利用しているため、少し違和感がある声も、クラス内にもっとすごい人間が居るので、そこまで気にはされていない。
「お婆さんのことを心配している、馬場君の気持ちになれば、何故かは判るはずです」
もっとも、ここ一週間ほどその生徒は姿を見せていないが。
「なお、馬場君のことを他学年の生徒におもしろおかしく吹聴するのもやめましょう」
相沢は、自分の隣に仲良く並んだ二つの空席に目をやった。一つは、先ほどから話題に出ている馬場文太郎の席。
「では、ホームルームを終わります。相沢君、すいませんが町道さんの机に配布物が入っていたら放課後先生の所まで持ってきてください」
「はーい、わかりました」
返事をしながら相沢は、自分の真横、趣味の悪いハンバーガーの様なゼミ机を見る。ただでさえ、置き勉された教科書類ではち切れんばかりだというのに、その隙間隙間に一週間分のプリントが突っ込まれてあまりに無惨。席主である町道クリスティーナにより施された鉛筆のデコレーションが死に化粧のようで、こちらの同情を誘う。
一体あのアメリカ人は、この憐れな机を置いて何をやっているんだ。