夜が明けるまでにおじょうさまを探そう
「すみません、また逃げられました」
「ええっ??また!?」
ボブカットでツリ目のメイド服を着た若い女性が俺に頭を下げている。女性からの報告を聞いた俺は頭を抱えてフラフラと壁にもたれかかった。この報告を聞くのは何度目のことだろう。次に出てきたのは盛大な溜め息だった。
「…旦那様には?」
「まだお伝えしておりません。まずは執事長にご報告するべきかと」
「賢明な判断だ。もし旦那様の耳に入ったら最悪君はクビになるかもしれない」
「いかがいたしましょうか?」
「とにかく目星がつく所を探すんだ。明日は来客に「おじょうさま」をお披露目する予定だから時間がない。当てはあるのか?」
「はい。以前逃げられた際に傾向と対策を練っておきました。抜かりはありません」
「抜かりがないなら、そもそも逃げられないと思うのだが…」
俺はまた溜め息を付く。全く困った「おじょうさま」だ。以前から逃げる癖が付いていたが、このところは油断も隙もない。我々の想像も付かないところからいつの間にか外へと逃げている。最初こそ屋敷の近くだったが、ここ最近は範囲を広げたのかとんでもなく遠いところまで出かけているようだ。
本当は檻にでも閉じ込めておきたい気分だが、旦那様が溺愛されている以上は邪険にもできない。しかし「おじょうさま」に逃げられて迷惑を被るのは結局我々なのだ。
「で佐々井君、君が言う傾向と対策とは一体どんなものなんだ?」
俺はメイド服の女性、佐々井ゆかりに話し掛けた。佐々井はいつの間にか手に持ったタブレットを無言でじっと眺めている。俺も気になって佐々井の持つタブレットの画面を後ろから覗き込んだ。
「…執事長、近いです」
「!?…ごめんなさい」
佐々井に睨み付けられ、俺は思わず謝る。これではどちらが上司か分からない。しばらくすると佐々井は納得したように何回かウンウンと頷いて、俺にタブレットの画面を見せた。タブレットには簡単な地図と真ん中に赤い点のようなものが映し出されていた。
「これって…もしやGPSか?」
「はい。こんなこともあろうかと「おじょうさま」に前もって仕込んでおきました」
「いつの間に…というかさっきから妙に冷静だったのはそれがあるからか?」
「はい。あっ、今は駅の方に向かって歩いているようですね」
「駅か…途中で迷ったらまずいな。とにかく場所が分かるなら急いで迎えに行こう。佐々井君もすぐに着替えて出発だ。まだ間に合う」
俺は執事の制服から私服へと大急ぎで着替えた。対して佐々井の方はメイクまで完璧にして念入りに外出の準備をしている。幾ら所用で外出するとはいえ、ここまでやるか?と思いつつ俺は仕方なく佐々井の支度が整うまで待つ。佐々井のタブレットがなければ「おじょうさま」の位置が分からないのだ。
「準備できました」
「おう。…て、やけに奇麗な服装とメイクじゃないか。「おじょうさま」を探しに行くのにそんな格好で大丈夫なのか?」
「そんなに変ですか?私にとってはこれが普通ですが」
「デートにでも行くのかと勘違いしたぞ」
「執事長、鼻の下が伸びてます」
「伸びてない!」
「では行きましょう」
佐々井がそそくさとお迎え用の車に乗り込む。どうも彼女と話すと調子が狂う。俺は思わずボヤくが、何とか気を取り直して運転席へと付いた。
「で、何処へ行けばいいのかな?」
「まずは商店街に行きましょう。駅に行くには商店街を通らないと行けないので」
「ん、分かった」
俺は車のアクセルをふかすと大急ぎで商店街へと向かう。焦る俺を尻目に佐々井はタブレットを弄りながら何かを考えているようだ。時折何回かウンウンと頷いている。どうも彼女の癖らしい。俺たちは駅近くの駐車場に車を停めると商店街の方へと向かった。既に夜も大分更けてはいるが、まだまだ開いている店は多い。
「あっ、執事長。待って下さい。まずはあそこの店に行って下さい」
「?えらくオシャレなカフェだけど…」
「あそこに「おじょうさま」の気配がします」
「ええー…嘘だろう」
タブレットとにらめっこしながら佐々井はカフェへと歩を進めていく。俺も慌てて佐々井の後についてカフェの中に入った。カフェの中は若い女性やカップルが大半を占めており、ほぼ満席状態であった。本当にこんな所に「おじょうさま」がいるのだろうか。
思い切り場違いな感じがするが、佐々井は全く気にすることなくカフェのレジに行くとカードで颯爽と注文する。妙に手慣れた感があるのは気のせいか。
「執事長はどうします?」
「えっ?まさか飲んでいくの?」
「折角来たんですから一服しましょう」
「でも「おじょうさま」が…」
「大丈夫です。GPSは作動しています。まだ時間はあります」
佐々井の若干強引な勧めに負けて、俺はついついアイスコーヒーを注文した。あいにく店内は満席なのでテイクアウトではあるが。
「さて「おじょうさま」はカフェの裏側に行ったようです」
「えっ!?此処じゃないの?」
佐々井はそう言うと俺の手を引いて一目散にある場所へと向かった。俺はアイスコーヒーのストローを咥えながら流されるがまま彼女に付いていく。
「さあ着きましたよ」
俺たちの目の前には光り輝くイルミネーションの回廊が広がっている。確か街の情報誌か何かで大々的に取り上げられていたのを思い出した。だが、本当に「おじょうさま」が此処にいるのか?俺が首を捻っていると佐々井が俺の手を引っ張った。
「執事長行きますよ。この奥の方に「おじょうさま」はいます」
「お、おい。待ってくれ!」
俺は佐々井と一緒にイルミネーションの中へと進んでいく。イルミネーションの回廊には先程のカフェと同様に若い女性やカップルがいっぱいだ。
「デートみたいですね」
佐々井がポツリと呟く。俺は「ん?」と思ったが、敢えて聞き流してイルミネーションの回廊を彼女と只管に進んだ。他のカップルたちは写真とか動画とか撮っているようだが、俺たちにそんな余裕はない。とにかく「おじょうさま」を見つけることが先決なのだ。
イルミネーションを抜けると一際オシャレな通りに出た。周りには洋服店やら美容院、エステのようなものが並んでいる。俺は完全に場違いのようだ。が、またも佐々井は気にすることなく歩を進めていく。
「お、おい。何処へ行くんだ!?」
「もう着きます。「おじょうさま」は此処にいます」
佐々井がタブレットを手に立ち止まったのは、とある美容院の前だった。美容院というよりはペット専用のサロンが正しいか。俺は唖然としたが、佐々井は臆することなく美容院の中へと入った。
「「おじょうさま」お迎えに上がりました」
「いらっしゃいませ。ちょうど終わったとこですよ」
トリマーらしき女性スタッフが佐々井を見てニッコリと微笑む。女性スタッフが真ん中にある椅子を回すと一匹の白いペルシャ猫が鎮座しているのが見えた。サラサラの白い毛並みが美しく、一目で高貴な雰囲気が漂う。佐々井はペルシャ猫の前に行くと目線を合わせるように屈んだ。
「お待たせしました「おじょうさま」。さあご自宅へ帰りましょう」
「おじょうさま」と呼ばれたペルシャ猫は「ニャーン」と甘えた声を出すと佐々井の胸に飛び乗った。その様子を見た俺は店の中にも関わらず腰を抜かしてしまった。周りの人が心配する中、此処でようやく俺は佐々井の真意に気付いたのだった。
「……図ったな。「おじょうさま」は逃げたんじゃなくて、最初から此処のサロンに行ってたんじゃないか!」
「今更気づきましたか。イルミネーションの辺りで気づくと思いましたが」
「はあ…どうしてこんな回りくどい真似をしたんだ?」
「だって…こうでもしないと執事長、外に出られないじゃないですか。だからちょっとでも息抜きになればいいかなと」
「まあ、色々と忙しいから簡単に休みも取れないしな。気を遣ってくれるのは嬉しいけど、だからといって「おじょうさま」をダシに使うのは感心しないな」
「それはやり過ぎました。申し訳ございません」
俺に窘められて佐々井がシュンとした。佐々井の胸の中で「おじょうさま」が心配そうに「ニャ~ン…」と鳴いている。俺はフゥーと一息付くと佐々井の肩をポンと叩いた。
「近々旦那様から休みをもらうよ。そしたら今日の続きをゆっくりしようじゃないか」
俺の言葉に佐々井の顔が一気にぱあっと明るくなる。いつも冷静な彼女もこんな表情ができるのか。俺は思わず照れ臭くなる。
「さてと夜も大分遅いし、そろそろ帰ろうか。と、その前に一箇所だけ寄っていいかい?」
「?執事長が希望するなんて珍しいですね」
「さっきのイルミネーションの所。写真撮らないか?もちろん「おじょうさま」も一緒に」
俺の提案に佐々井は目を丸くしたが、すぐにニッコリと微笑んで何回かウンウンと頷く。佐々井の胸の中では「おじょうさま」がもう一度甘えた声で鳴いていた。
ご一読ありがとうございました。