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5.休暇 1、

 林田たち四人の強化人間は、北海道への出立を前に、一日限りの休暇を与えられた。北海道では、露西亜軍が既に上陸作戦を開始し、それを阻止せんとする日本軍との間で、一進一退の激しい攻防が続いていた。一刻も早く増援が求められる緊迫した状況であるにもかかわらず、軍上層部がこの休暇を与えたのは、休みなく訓練を続けてきた林田たちが、戦場で己の能力を百パーセント以上発揮するためには、心身のリフレッシュが不可欠であるという、深い配慮があったからに他ならなかった。


 休暇の朝、林田は午前六時には目を覚ました。体に染み付いた習慣は、一日の休みでも変わらない。朝食を済ませると、明日から向かうことになるであろう過酷な戦場、北海道へと持っていく最低限の荷物を手早く準備した。その後、懐から取り出した転送装置を起動させ、一瞬にして、故郷である強化人間の村へと移動した。両親と村長に、いよいよ北海道へ向かうことになったと報告を終えると、再び転送装置で寮へと戻る。短い時間ではあったが、故郷の土を踏み、身近な人々に会えたことで、林田の心にはわずかな安堵と、新たな決意が宿っていた。


 寮に戻った林田は、「ゆったりと食事ができるのは、しばらくないかもしれないな」と、胸の内で呟いた。そして、普段から通い慣れた街の食堂へと足を向けた。


 商店が軒を連ねる、首都随一の賑やかな商店街。老若男女、実に様々な人々がひっきりなしに行き交い、活気にあふれている。北海道での交戦状態が嘘のように、ここは平穏な日常の風景が広がっていた。しかし、林田が意識を集中し、耳を澄ますと、その平穏なざわめきの奥から、北海道の状況を案じる人々の会話が、あちこちからさざ波のように聞こえてくる。


「北海道では、一進一退の攻防が続いているらしいぞ」

  情報通らしき男が、数人の仲間たちに、やや声高に話している。その表情には、隠しきれない不安の色が滲んでいた。


「俺もそう聞いた」

  通りを歩いていた別の男が、ふいにその会話に加わった。彼の声にも、重い現実がつきまとっている。


「この先どうなるんだろうねぇ……」

  すぐ近くにいた女が、まるで答えを求めるかのように、不安げな声で問いかけた。


 ざわざわと、様々な憶測や不安が飛び交うが、明確な答えを出す者は誰もいない。彼らは皆、自分たちの日常が、いつまで続くのかという漠然とした恐怖を抱えているようだった。


 林田は、次々と耳に飛び込んでくる聴覚情報に、人々の隠しきれない不安を感じ取っていた。皆、安心したいのだ。しかし、簡単に「大丈夫」などと気休め程度の話をすれば、かえって彼らの怒りを買い、混乱を招くかもしれない。そんなことを考えていると、不意に背後から、腰のあたりをトントンと、小さな手が優しく叩いてきた。


 振り返ると、予想通り、そこには時々食事をしに行っていた食堂の店主の娘が、にこやかに立っていた。その澄んだ瞳は、林田の心をわずかに和ませる。


「未結姉ちゃん、今日は食事に来ないの?」

  無邪気な声が林田に問いかける。娘から見れば、おそらく自分は「おばさん」に見えるのだろう。それでも「姉ちゃん」と呼んでくれるのが、林田にとってはいつも少し嬉しかった。彼女の純粋な好意が、疲れた心を癒してくれた。


「うん、今から行くよ」

 林田がそう答えると、娘はニッコリと満面の笑みを浮かべ、小さな手を林田に差し出した。


 林田はその温かい手を取り、無邪気に弾む娘と手をつないで、連れ立つように食堂へと向かった。


 食堂の引き戸をガラリと開けると、昼の忙しい時間を少し過ぎた時間だったが、席はまだ半分ほど埋まっていた。店内には、食欲をそそる匂いと、人々の穏やかな話し声が満ちている。娘は、林田の手を離すと、元気いっぱいに店の奥へと向かって行った。

「未結姉ちゃんが来たよー!」

  その声が、店内に響き渡る。


 店の奥から、娘の母親が出てきた。

「いらっしゃい。未結さん」

  母親は、いつもと変わらぬ笑顔で林田を迎え入れた。


「こんにちは、定食をください」

  林田もまた、いつものように注文する。

「はい、定食一つ!」

  母親が奥にいる夫である店主へ伝えると、奥からも「定食一つ!」と、威勢の良い返事が聞こえてきた。


 しばらくすると、娘がお茶の入った湯呑みをお盆に載せ運んできて、湯呑みを林田の前にそっと置いた。そして、林田の正面の席にちょこんと腰かけ、キラキラとした瞳で話しかけてきた。林田は、首相暗殺計画を阻止したことで、この娘にとって、いや、この日本國にとっても、まぎれもない英雄だった。そんな林田のそばで話ができることは、娘にとって何より嬉しいことであり、学校の友達にも自慢できる、といつも話していた。


 林田は、無邪気に話しかけてくる娘の相手をしながら、改めて心に深く刻んだ。この平穏な日常。この娘の笑顔。それを守るためなら、どんな戦場へでも赴こう。この國を守り、人々が安心して暮らせるようにしたい。その思いが、林田の胸に熱く込み上げてきた。







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