26. イングランド
「露西亜軍が攻めてきた!」
その叫びは、またたく間に英吉利国内に広まっていった。もともと英吉利は長年にわたり露西亜と敵対関係にあった。たまたま利害が一致したため、一時的に条約を締結して日本國に侵攻していたに過ぎない。
イングランド中央部のコッツウォルズ地方に、武装した露西亜軍が忽然と現れたのだ。露西亜に対する長年の確執がある英吉利国民が、この状況を「露西亜軍が攻めてきた」と少し吹聴するだけで、あっという間に話が広がることは容易に予測できた。日本國国家情報局は、その事実を最大限に利用すべく、惜しみなく金を使い、英吉利国内で吹聴者を短期間で確保していたのだ。
ザハロフ率いる二万五千の部隊が英吉利に転移して二日後には、最初の軍勢よりは小規模ながら、完全武装した露西亜軍の部隊が、英吉利の各所に次々と忽然と現れ始めた。そして、その中にはグレンコ大将もいた。
英吉利国内の騒ぎは、爆発的に大きくなった。ザハロフが英吉利政府への説明のため派遣した三人の使者が、政府との会談に臨むことすら困難になった。道をまともに歩くことさえできないのだ。通りを歩いていると、「英吉利から出ていけ!」と、大勢の民衆が集まって叫び、彼らに向かって卵を投げつけたり、小石を投げつけたりした。
派遣されたのは、わずか三人だった。多人数で向かわせれば、英吉利側が敵対行動と見なすかもしれないと、ザハロフは慎重に考えたからだった。しかし、その三人とも武装を解除していなかった。完全武装のまま民衆の前に姿を現したことも、彼らの災いを招いたのだ。
三人はもう我慢の限界だった。正面から、手には棒や斧などを握った、怒声を発する集団がこちらに向かってくるのが見えた。二十メートル程度の距離まで近づいた時、その集団は改めて怒声をあげ、走り出した。多勢に無勢。露西亜軍の三人はたまらず、銃を構え、発砲した。
ここに、英吉利と露西亜の戦いが始まったのである。
では、サハロフが消えた北海道で何が起きていたのか。
露西亜軍の主力部隊が補給線を断たれ、さらに総司令官ザハロフ率いる部隊も北海道から姿を消したことで、残りの二万五千人の部隊は完全に孤立した。
ザハロフの部隊が英吉利に転送された翌日、北海道の最前線に残った二万五千人の部隊はグレンコ大将の命令により手分けして、消えたザハロフの部隊を必死に捜索した。しかし、彼らが発見できるはずもなく、成果なく一日が終わった。次の日も同様に捜索は空振りに終わり、夜は部隊を四つに分け、それぞれ野営していた。
その野営地を狙って、林田たち強化人間が、大人数転送装置を使い、露西亜軍の残存部隊を次々と英吉利各所へと転送していったのである。日本國の周到な策が、ここに完遂されたのだ。




