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1.SOS 1、

 四石Ⅱ-もう一つの世界へ 第二部の続編です。四石の話がメインではないので番外編のタイトルを入れました。

 関森由紀の身体は、まるで鉛のように重かった。一日の治療を終え、張り詰めていた神経がゆるやかに解けていく。青島孝は黙々と事務締め作業を進めていてキーボードの音が、規則正しく響いてくる。この静かな時間こそが、由紀にとって一日の終わりを告げる安堵の瞬間だった。だが、その安堵は、突如として粉々に打ち砕かれる。


 唐突に、治療室の空気が窓を開けてもいないのに動いたかと思うと、まるで異界の扉が開いたかのように、その人影は現れた。そこに立っていたのは、林田未結。彼女の姿は、あまりにも常軌を逸していた。全身を覆う無数の生々しい傷は、皮膚の下で何かが蠢いているかのように見える。左足はかろうじて大地に立っているものの、今にも崩れ落ちそうで、左腕は肘関節からありえない方向に折れ曲がり、見る者に生理的な嫌悪感を抱かせた。纏っていた衣装は、戦場の残骸のようにボロボロに裂けている。「我が国を助けて欲しいと……神山に……」か細い声が、辛うじてその唇から紡ぎ出される。言葉を言い終える間もなく、未結は重力に逆らえず、まるで命の尽きた人形のように、その場にばたりと倒れ込んだ。


 由紀の脳裏に「疲労」の二文字がよぎる。しかし、目の前には、助けを求める顔見知りの負傷者が倒れている。その事実は、彼女の疲労感を一瞬で吹き飛ばした。治療師として、人間としての義務感が、鉛のように重い身体に鞭打つように、彼女を動かした。由紀の手が、未結の身体に触れる。その掌から、生命を呼び覚ますかのような温かい気が流れ込んだ。


 意識が戻ったのは、ほんの数分後だったろうか。未結は、自分がうつ伏せになっていることに気づいた。左肘と左足に、鈍い痛みが走る。身体を起こそうとした、その時、「動いたらダメ」という、冷静だが優しい声が耳に届いた。


 声の主を確認しようと、ゆっくりと顔を左へ向けると、そこには、心配そうにこちらを見つめる関森由紀の顔があった。由紀の瞳は、まるで深淵を覗き込むかのように、未結の状態を見極めようとしている。


「左肘あたりは骨折しているみたいね。左足首も骨折しているかも。とりあえず痛みを軽減する処置と自然治癒力を高める処置はしたけれど、専門医がいる病院に行くことを強く勧めるわ」


 由紀の言葉に、未結は静かに首を振った。

「病院に行ったら研究材料にされてしまうから行けない。この世界には、私の身体の秘密を理解できる者はいない。強化人間なんて、彼らにとってはSFの世界の話だ。とりあえず、手厚い処置をしてくれたことに感謝する。たぶん、開放骨折ではないから、私なら一週間もしたら自然に治るだろう。だけど、左肘は変な方向に折れたから元に戻さないといけないし、その後、左足も含め固定しないといけない。由紀さんには、その整復はできるだろうか?」


 由紀は未結の目を見つめ、静かに答えた。

「私には無理。私の専門は、あくまで生命エネルギーの調整と自然治癒力の促進よ。物理的な骨の整復は、専門外だわ。」


 未結の視線が、由紀の後ろで静かに作業を続ける青島に移る。

「じゃあ、そこの青島はどうだ?」


 青島は、作業の手を止めずに淡々と言い放った。「俺も無理だ。もう四石の能力は無いし、あったとしても他人の治療の能力はもともと無かった。」


 一瞬の沈黙が、治療室に重くのしかかる。その沈黙を破ったのは、由紀だった。

「神山明衣さんだったら、できるかもしれないわ」由紀の言葉に、未結の瞳に微かな光が宿る。「そういえば、ここに来た時、『我が国を助けて欲しいと神山に…』と言っていたわね。そのこと?」


 未結は深く頷いた。

「そうだ……その事も併せて、神山明衣と直接話したい。取り次いでもらえないか?」


 由紀は、林田の変化に気づいていた。以前の彼女は、もっと鋭利で、まるで研ぎ澄まされた刃のような印象があった。だが、今の林田は、重傷を負っているせいか、それとも、彼女の身に何か大きな変化が起こったのか、どこか丸みを帯び、脆弱な一面が垣間見えた。


「わかりました。連絡してみます。それまで、そこでゆっくり休んでいてください。」


 由紀は立ち上がり、応接室へと向かった。林田のそばには、黙々と事務作業に戻ろうとしていた青島が、静かに控えている。由紀は、手早く神山明衣に電話をかけた。呼び出し音は短く、すぐに彼女の明るく、淀みない声が聞こえてくる。警察を辞めて少し気落ちしているかと思ったが、その太陽のような明るい声にホッとした。同じ女として、由紀は思わず憧れにも似た感情を抱く。由紀が事情を話すと、神山は二つ返事で、すぐにこちらに来てくれると答えた。神山明衣が警察を辞めたという話は、今、林田に伝えるべきではないと由紀は判断し、その事実は伏せておくことにした。


 由紀は林田の元に戻り、青島に事務締め作業を再開するように促した。青島は何も言わず、再びキーボードに向き直った。

 


 

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