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勇者ではなく  作者: 滉希ふる
第2部 Assassin Works
27/90

再会編8 -野外実習-


 『シルヴィア・ウィルコット』の生涯は、まるで『物語の主人公』だと思った。

 生まれた時から才能を認められ、容姿端麗、才色兼備。

 おまけに貴族にも関わらず、誰にでも分け隔てなく接する聖人。


 ……と、周囲からは言われているが、自分で言うと恥ずかしくなってくる。

 単に前世の価値観を引き摺っただけ。自分で決めた訳ではない。

 そう……最初から、自分自身なんて一つも無かった。

 『定められた運命』と言うレールの上を、ただ何も考えずに歩いていた。

 礼儀作法から始まり、ダンスやらピアノのお稽古。

 おまけにお茶会、社交会、舞踏会、etc。

 まるでお伽話のお姫様のよう。

 周囲の人間が想う『シルヴィア・ウィルコット』を演じなければと。それだけを考えて生きてきた。 


 だから、私の世界はいつもモノクロだった。

 劇の中のようなのに『劇的な事』など何一つとして無く、ただ作業のようにこなす毎日。

 過ぎ去っていく、情景とシーンを見送る日々。 


 ……別にそれが嫌だった訳ではない。

 前世とは違い、恵まれていた。

 両親は厳しかったけれど、愛情を持って接してくれたと思う。

 周囲の人間も、他はぞんざいに扱おうとも、私には丁寧に接してくれた。

 おまけに『非の打ち所の無い婚約者』までいる始末。

 それが逆にプレッシャーのようにのしかかってきた。  


 その生き方に不幸は無かった……でも、不満はあった。

 自分はそんな『出来た人間では無い』と。

 優等生が夜中にコンビニにお買い物に行くような、細やかな気晴らしがしたかった程度のお話。

 『転生者探し』はそんな細やかな抵抗だった。


 でも、そんな変わり映えしない白黒の日々に、突如として現れた人物がいた。

 白髪の髪に赤黒い瞳をした、どこかで見たような『気怠そうに歩く、後ろ姿』が印象的な青年。

 ……その瞳の色だけが、モノクロの世界で色づいて見えた気がした。

 廊下ですれ違う時、教室で席の横を通る時、彼が振り返った時。

 不思議と、一度も目が合った事は無かった。

 あの決闘の時でさえも、彼は私を見てはいなかったと思う。

 まるでその瞳に、「私では無い誰か」を写つしているかのように。


 そんな人物は初めてだった。

 自惚れかもしれないが、女性もそうだが、特に男性は自分には必ず好意的に接してくれる。

 時には嫉妬や悪意もあるけれど、「何も無い」という事は今まで無かった。


 そして……それは今も同じ。

 私の前に立つ、白髪の青年『ルーク』は、私を助けてくれた……

 だけど、それはまるで……『別の人』を助けて、自分はついでに助けられたような、そんな不思議な感覚があった。


 ——————————————————


 俺はマーティスと護衛三人の後を気怠げに走っていた。

 さっき見えた救援要請の魔法が放たれた位置へ向かっている真っ最中だ。

 

 徐々にではあるが、森の奥の状況が気配でわかってくる。

 最初に感じたのは、数人の足音。そしてそれはすぐに消えて、地面に倒れたようだった。

 次は魔法だ。こちらに関しては目視でも確認できた。

 森の奥で、何度も煌めいては消える事を繰り返し続ける『鮮やか閃光』だった。

 その段階で、森の奥で行われているのが、単なる学生同士の小競り合いでも、強力な魔獣との戦闘でない事がわかる。

 何だか、『懐かしさ』すらも感じてしまう感覚。


 ……まだ、三年しかたっていないというのに、全く。

 

 ようやく、目視でも状況を完全に確認できる距離まで近づいた時。

 自分でも理由がわからないままに、真っ先に身体が動いた。


 最初に見えた光景は、一人の女生徒が周囲のクラスメイトを守りながら、黒づくめの人物と戦っている所だった。

 黒づくめの人物。黒マントの暗殺者。その正体。

 その異様かつ奇怪な動きと出立から、『魔王軍の者』であると、すぐ気がついた。

 そしてそれと同時に『その女生徒』というのが……『シルヴィア・ウィルコット』だという事にも。


 ……全くの無意識だった。

 次に踏み込んだ右足に力が籠り、全力で前へと突進する。

 マーティス達を一瞬で追い抜き、シルヴィアの背後、暗殺者の間に入り込む。

 彼女に向けられた攻撃を短剣を抜き、はじき飛ばす。


 暗殺者は突然現れた俺に対して驚いた反応を見せる。

 こちらの接近には気がついていたようだが、「間に合う」とは思わなかったのだろう。

 だが、すぐに後方へと退避していった。


「やれやれ、間一髪ってところか」


 まず視覚の情報から、その場の状況を確認した。

 血を流し倒れる二人の男子生徒。


 ……確か、エイマンとディーオントだったか?


 二人は見るからに間違いの無い重症。

 相当な量の血液が流れ出ている……が、まだ死んではいない。

 他のシルヴィアを含めた三人には目立った傷は無い。

 倒れている二人に苦しんでいる様子が無い事から、毒物等の心配も無いと判断できた。 


 ……と、『その場に状況』に関しては、何となく把握できた。


 だが、問題はそちらでは無い……問題は『俺の方』だ。

 俺には、『俺自身の状況』が全く把握できていなかった。

 いや、別に「攻撃を食らった」とか、「怪我をした」という訳では無い。

 問題は外傷ではなく、内面の話だ。

 それは「なぜ?俺はわざわざ自らの身を危険にさらしてまで、彼女を助けに割り込んだのか?」という、疑問。その理由がわからない。


 普通であるならば、特に問題の無い行動。

 美少女が森の奥。謎の暗殺者から命を狙われ、大ピンチ。

 駆けつけたのは、普段は問題児。しかして、その正体は前世の恋人。

 ロマンチックな展開だな?マジ一発逆転いっぱつぎゃくてんの大チャンスにも思えるスーパー好機。

 『当前の行動である』と言えるだろう。


 ……でも、それって「普通なら」のお話な?


 『身体が勝手に動いた』理由に関しては簡単だ。

 所謂、脊髄反射。シルヴィアのピンチに瞬間的に反応した。

 それが『答え』なのは、すぐにわかる。それ以外に無い。

 『その言葉』自体は、こういう場面では良く耳にする言葉だ。

 だが『それ』は、正義感やら、奉仕の精神やらを持つ、愚かな善人の行動だ。

 戦いを知らないド素人……三流しか口にしてはならないセリフ。

 こと戦闘において、プロフェッショナルであり、超一流の暗殺者である俺が、絶対に口にしてはならない言葉。

 百歩譲って、それでも「考えるより先に身体が動いた」、ならば良い。

 目的があって助けた。この後の学院生活を優位に進める為の駒として生かそうとしたなら。


 ……だが、問題はそうは思えなかった事。

 そう瞬間的に考えたならば、思考が後からすぐに追い付いてくるものだ。

 しかし、今の俺には『その思考』が…『考え』が全く追いついてきていない。


 『魔王軍の人間の前に姿を現す事』は、今の俺にとって最も避けなければならない危険な行動だ。

 魔王軍は裏切り者を絶対に許さない。離反者は必ず始末しにくる。

 だというのに、『愚行それ』を今此処に来て、彼女を助ける為にしてしまったという事実。

 それが……『理由それ』は一体なんなんだ?


「アナタはぁ……一体、誰ですかぁ?

 それにぃ、今の攻撃を止められるなんてぇ?

 そんな学生がいたらぁ、情報が入っているはずなんですがぁ?」


 声音から暗殺者はどうやら女のようだ。

 まだこちらは考えが全くまとまっていないというのに、暗殺者が殺気をバンバンこちらに浴びせてくる。

 ……当然か。奴にこちらを待っている理由も必要も無いのだから。


「下調べが足りなかったんだろ?

 それにしても……」


 エイマンとディーオントの傷の具合。

 『重症』には違い無いが『致命傷』では無かった。

 元居た世界。『地球の日本』でなら、ここで二人共死んでいただろう。

 だが、ここは魔法なんて物が存在する『異世界』だ。

 あれくらいの傷なら魔法で直ぐに…とはいかないが十分に治療可能だ。 

 俺の中で、『その事』が少し引っかかった。


「……随分と優しいんだな?」


 俺ならば、首を斬り裂き、確実に始末しているところだ。

 わざと「殺さなかった」のだとしたら、奴には『殺す以外に何か目的』があるのかもしれない。

 そんな事を思案しながら、相手の様子を伺ってみたのだが……


「そうでしょぉ?

 全員動けない様にしてからぁ、後で楽しむんですよぉ。

 あぁ、良い声で泣いてくれると嬉しいですねぇ?

 私ぃ、悲鳴を聴きながらぁ、首を切り裂いて、吹き出した血を浴びるのが凄く、凄ぉく大好きなんですよぉ」

「前言撤回。ただの『糞アマ』じゃねぇか」


 恍惚こうこつの笑みでそう答えてきやがった魔王軍の暗殺者。

 ……のはずなのだがこの女。

 見た限りでは暗殺向きの性格とは思えない。

 殺しに快楽を求めるタイプの…殺人鬼気質とでも言ったところだな。

 

 人格破綻者じんかくはたんしゃか……魔王軍では珍しい話でも無い。

 おそらく彼女も俺と同じように幼少期から教育を受けていた口だろう。

 子供の頃から人を殺す事を当たり前のように行ってきたのだ。

 そして、逆に「自分も殺されるかもしれない」と言う恐怖も嫌と言うほど味わってきた筈。

 そんな極限の精神状態を長年続ければ、精神に異常をきたす者が出たとしても不思議には思わないし、そんな奴を俺自身何人も見てきている。

 この手の手合てあいは逆に他人を殺す事で、その恐怖を誤魔化してきたのだろう。

 だが、それを続ける内に気がついたら快楽に変わっていた、と。

 

 「珍しくは無い」とは言った物の、何も「魔王軍がこんな連中ばかりだ」と言う訳では無い。

 むしろ、俺のように頭脳明晰で判断能力にけた、優秀な人材が多い。

 この糞アマとて、中身はどうしようもないが、技術に関しては魔王軍の一般的な水準を上回る。


 魔王軍暗殺部門の人間は基本的に少数で行動する。

 その為、基本戦闘能力が一般以上で無いと話にならない。

 だが同時に、国外任務の際は裏切り防止の為に『単独任務禁止』というルールも存在する。

 つまり、どうしようもない殺人鬼なコイツにも一緒に来た人物。仲間が存在するという訳だ。

 問題は、ここに今暗殺者の仲間が何人来ているかという事。


「でもぉ、アナタは止めておきますねぇ?

 なんだか嫌な気配がするのでぇ……直ぐに殺してあげますッ!」

「そりゃ、どうもッ!」


 言葉と同時に攻撃を仕掛けてくる暗殺者。

 が、それと同時に俺も踏み込む。

 相手の視界から消えるように、体の姿勢を低く沈め、懐へと入りこむ。

初見殺し(ファスト・テイカー)

 魔法は一切絡ませていない魔王軍一般戦闘技術。

 相手からしたら、俺自身が途中から消えたと錯覚する。

 大抵の相手なら、これで事を済ませられる。

 暗殺者の体を短剣で斬り裂こうとするが……


「…チッ」


 思わず舌打ちをしてしまう。

 これで終わるなら簡単でよかったのだが……どうやら、そうはいかないらしい。

 確かに、斬り裂きはしたのだが、それは暗殺者のマントだけだった。

 正確には体を少しだけ掠める感覚があったのだが、すぐに後方へと飛び退き攻撃を躱してみせたのだ。

 今ので決めきれない……という事は、この戦い苦戦をいられる事になるだろう。

 更に【初見殺し(それ)】を見せてしまったのは失敗だった。


「あなたぁ?一体何者ですぅ?」


 そりゃ、魔王軍の戦闘技法を使えばそういう反応にもなるよな?

 だが、裏を返せば「俺の裏切りが露呈していない証拠」でもある。

 ここでこの暗殺者を確実に始末すれば、なんの問題も無い。


 しかし、そこでマーティス達がようやく追いつく。

 様子を見るなり護衛の三人が加勢する為か、こちらに来ようとするが……


「来るなッ!」


 殺気を込めた俺の声で、四人をその場に静止させる。

 だか、それは何も「彼らを助けてやろう」と考えた訳では無い。

 確かに、彼らの実力では戦闘に加わったとしても、無駄死にするのが関の山だ。

 しかし、問題はそこではない。


 戦いながら気配を探っていた。

 そしてわかった事は、この暗殺者はおそらく今は単独行動中だ。

 仲間はこの国には来ているはずだが別の場所、少なくともこの近くにはいない。

 もしそれが俺の勘違いだったとしても、今の状況を見ているのなら、増援が来た時点で止めに入ってくるはずだ。

 これは俺にとって不幸中の幸い。

 この暗殺者をここで確実に始末出来れば、俺の存在が魔王軍に知られる事はない。

 その為に邪魔が入る事は避けたいのだ。


「……この人、かなりの強さです。

 一人で戦うのは……」

「だからって、足手まといを増やすつもりは無い」


 背後のシルヴィアが俺に忠告してくるが、そう言い返す。

 その言葉は正直な本音だ。


「作戦会議は終わりでいいですかぁ?」


 マントを失い素顔が表わになった暗殺者。

 声だけで「女だ」と思っていたが、やはり若い女だった。

 歳は俺達と同じくらいだろうが、ボサボサの黒い短髪に、切れ長のおっかない瞳。

 その顔は女として致命的と言うほどに傷だらけだった。

 ……おそらく本人は気にしていないだろうが。


「何だ?わざわざ待ってくれてたのかよ?」

「はぁい。優しいでしょぉ?」


 不気味な笑みを浮かべると、同時にこちらに踏み込む暗殺者。

 数度、短剣と徒手を交えながら【幻影命令ファントム・オーダー】を詠唱し、発動しようとするが……


「……やっぱ、無理か」


 【幻影命令】は決まれば『必殺の魔法』なのだが、いくつか弱点がある。

 その一つがコイツらみたいな『人格破綻者』だ。

 常人とは違う思考回路で生きている彼女の考えと思考を支配するのは難しい。

 つまり、この女相手には正面からやり合う他に無いのだが……


 短剣単体の技は、正直そこまで練度が高いとはいえない。

 だが、単純なスピード、反射神経において、この女は常人を遥に上回る。

 最初に攻撃を躱した時といい、今の斬り合いといい、既に常人なら殺せていた筈の攻撃を躱され続けている。

 更にその奇怪かつアクロバティックな動きに翻弄され、擦り傷ではあるが攻撃を逆に浴びせられる。

 そして恐るべきはその『勘の良さ』。

 こちらが攻撃する予兆を見せると、すぐに反応してくる。野生動物並みの直感力。

 その所為でこちらの攻撃が当たらないどころか、逆にカウンターを浴びせられる。 

 戦闘センスだけで言えば、魔王軍の幹部クラスに匹敵する強さ。

 しかし、最も困難に陥っている理由はそれらでは無く、人格破綻者たる所以、行動が予想できない事。


 正直な所、それでも俺ならば、対処可能な敵のはずだったのだが……


「チッ、完全になまってやがるッ!」


 この国に来てから三年間。

 散発的な戦闘は何度かあった。

 だが、極限の命の取り合い、死と隣り合わせの戦いはしてこなかった。

 つまり、この三年間のブランクが此処に来て、俺自身の反応速度を鈍らせてる。

 避ける。攻撃する。防御する。

 それらの行動を行う際、本来なら一瞬のズレも無く即時に行う事ができる。

 しかし、今は「そうしよう」と動かしても、一瞬遅れて体が動く感覚だ。

 目では追いきれているにも関わらず、体が追いついてこない歯痒さ。

 秒数にすれば一秒にも満たない反応のズレだが、極限の戦闘下において、そのズレは致命的だった。


「しまッ⁉︎」


 一瞬の隙を突かれ短剣を手から弾かれてしまう。

 宙を舞う短剣と、懐に入り込んでくる暗殺者。

 ブスリと左腹部に短剣が突き刺さる。


「ぐっ⁉︎」


 痛みで出来た僅か隙。

 突き刺さった瞬間の感触に恍惚の笑みを浮かべる暗殺者。

 更に短剣を素早く引き抜くと、次は心臓目掛けて短剣を振るってくる。

 

『ダブル・タップ』

 本来の意味は拳銃射撃の際に標的に二発打ち込む技法を指すが、この世界では単に殺し方を指している。

 魔王軍で推奨されている基本的な戦闘技法。

 標的を殺す際、致命傷を二撃以上加える事だ。

 これは標的を『確実に殺す事』を要旨とした技法で、通常は首と心臓の両方狙うが、戦闘中であるならば部位は問わない。二箇所刺されれば、大抵は出血多量で死ぬ。

 

 ……故に予想していた。

 これまでの動きは全く読めなかった。

 今までの戦い方や、エイマン達の傷が一箇所だけだった事もあり、やや分からない部分もあったが、腹部への初撃の際、突き刺す前に意識が上に移動したのを感じ確信した。次は心臓を狙ってくる。


 一歩後方へ下がりつつ、二撃目を放つ暗殺者の短剣を握る手首を掴み、内側へと捻る。

 単なる護身術のようなもの。だがそれだけで十分。

 捻った腕に構えられた短剣を暗殺者の心臓へと向ける。

 後は、そのまま自分から突っ込んできてくれる訳だ。

 と、思っていたのだが……


「なッ⁉︎」


 その切っ先は、胸に突き刺さる。

 だが、すぐに『硬い何か』に阻まれる。

 鉄板でも仕込んでいるのか、心臓をまで貫く事ができない。


 暗殺者がニヤリと笑ったのがわかった。

 違和感はあった。なぜ、首では無く心臓を狙ってきたのか。

 単純に身長差で狙いづらかったというのもあるのだろうが、もっと単純に相手も予想していたのだ。俺が二撃目に反応してくる事を。

 つまり本命は三撃目。

 反対の腕で、懐に隠し持っていた短剣を抜き放ちつつ、首目掛けて振り上げてくる。

 ギリギリの所で首を傾け、回避に成功するも、その一撃は俺の右肩を深くえぐる。

 ズバンっ!という風を切り裂く音と、痛みと共に、鮮血が肩から噴き出す。

 慌てて距離を取るべく、暗殺者を後方へ蹴り飛ばす。

 だが、飛ばされながら短剣を投擲してくる。

 蹴られて体勢を崩しているにも関わらず、その投短剣の狙いは正確で、俺の心臓目掛け真っ直ぐに飛んできた。

 更には無理な状態で慌てて蹴りを放った為、こちらも体勢が崩れている。


 ……完全に避ける事は不可能だ。


 身体を僅かにひねる事しかできず、左の肩に短剣が突き刺さる。

 暗殺者は俺に短剣が命中するのを確認すると、余裕と勝利の笑みと共に、綺麗なバク転を披露。

 陸上選手よろしく、大地に着地すると、ポーズを決めやがった。


「どうやら勝負ありのようですねぇ?

 身体の大きい方は、指す箇所が多くて興奮しちゃいます」

「人を的扱まとあつかいしてんじゃねーよ。

 ……手癖の悪ぃ糞アマだ」


 不味いな……こんな体たらくではブランクを言い訳にも出来ない。


 深傷ふかでを負わされた。自分自身の状況を確認していた。

 全身の擦り傷。左腹と右肩からは出血大。左肩に短剣が突き刺さっている。

 だが、俺が考えていたのは、その怪我の事でも、ここからどう逆転するかでもなかった。


 ……そもそも俺はどうしてこんな事になっている?


 そんな事はわかっている。

 シルヴィアを助けようとした所為だ。

 らしく無い事をしたからだ。

 普段の俺なら絶対にしないミス。


 ……どうしてそんな事をしようとした?

 彼女が栞里の生まれ変わりだからか?

 先日の決闘の時に決別した筈だったろう?

 今の彼女には彼女の。今の俺には俺の。

 別の生きるべき場所があるのだと。


 ……だと言うのになぜ?

 俺が一体何の為に、この国に来たと思っているんだ?

 このクソったれな世界で、少しでもマシな生活を手に入れる為だったはずだろう?

 だと言うのに、俺は一体何をしているんだ?

 俺が今まで一体何の為に…どんな想いで生き残ってきたと思ってるんだ。


 ……『何の為に生きてきたのか』だと?


 ……あぁ、そうか。そうだった。

 ずっと、『それ』を探していたんだ。

 こんな『糞な世界』に生まれてきた、『その理由』を。

 「一体、神は何の為に、俺をこの世界に転生させたのか?」と。


「あらぁ?戦いの最中に考え事なんてぇ、随分と余裕があるんですねぇ?

 それとも誘っているんですかぁッ!」


 暗殺者が俺にトドメを刺すべく短剣を構えこちらに向かってくる。

 反撃しようと、構えようとした。

 いつもするように。

 今まで、そうしてきたように。

 迫り来る死をねじ伏せる為に。


 だけど……一体なぜ?

 なぜ、そんな事をしなければならないんだ?

 俺は一体何の為に、今を生きようとしているんだ?


 ……あぁ、そっか。

 ようやく、気がついたよ。

 俺、『絶望』していたのか……。


 新しい国。

 新しい学校。

 新しい居場所。

 どこかで、願ってしまっていた。

 どこかで、あると思ってしまっていた。

 念願の異世界生活が。

 物語のようなサクセスストーリーが。

 ここから、俺は本当の意味で生まれ変わる事が、生き直す事が出来るのだと。


 ……でも、やはり現実は違った。


 主人公になんてなれる訳も無かった。

 そこにあったのは結局、俺にお似合いの『無様な居場所』だけ。

 そして、『そこ』に居たのは……。


 それが、あまりにも下らな過ぎて。あまりにも無様過ぎて。 

 俺の人生において『絶望として、小さ過ぎた』が為に理解できていなかったんだ。

 そして気がついてしまったのなら……もう身体は動かなかった。


 ……ここまでだ。ここまでで良い。


 そう思った。

 そうすれば、もう楽になれる。

 何も考えなくていい。

 どうせ一度はもう死んでいる。

 痛くて、苦しくて、辛いのは、これで最後。

 もう、目を瞑ろう。

 それで終わりだ。


 だが、目を瞑る瞬間。

 視界が細く、ボヤけてゆく景色の中で。

 彼女の……『シルヴィアの顔』だけが、視界の中でハッキリと鮮やかに写って見えた。

 しかし、血がついて汚れてしまった金色の髪が黒く濁った。

 俺が死んだ後、きっと彼女も……


 ——もし、もう一度やり直す事ができるなら——


 心の奥底に埋葬していた記憶が呼び起こされる。

 胸の中で鳴り響いた音で魂を震える。

 その顔を、その声を、その手の感触を、その暖かさを。

 かつての記憶を鮮明に思い出させていく。

 彼女と過ごした記憶。

 彼女がくれた時間。

 彼女がくれた想いが。


「……そうか。そうだったな」


 俺は、なぜこんな『簡単な事』を……『大切な事』を忘れてしまっていたのだろうか?


 — 『彼女』だ。—


 彼女こそが、俺がこの世界に転生した理由だ。

 前世の最期に。今際の際に抱いた。唯一「死んでも成し遂げなければ」と想った。

 

 ……『神様』ってのは居るもんなんだな。


 何もかも思い通りにならない人生だと思っていた。

 この先も何も無いのだと……勝手に思っていた。

 だけど違っていた。もうそこに『全ての答え』はあった。

 そして何より、『それ』こそが、今俺が『この瞬間』を生きる理由に他ならない。


 グチャッ!


 暗殺者の短剣を左の掌で受け止め、心臓に刺さる瞬間に受け止める。

 両肩の傷がうずき、掌から血が吹き出し、切っ先が僅かに胸に突き刺さるが、心臓を貫く事はなく寸前で止まる。

 そしてそこから伝わる痛みが、俺をこの世界へと引き戻す。

 手に、拳に力を込めれば、込めるほどに増してゆく痛みが、『生きている』という実感を鮮明にしてゆく。 


 攻撃を止められた暗殺者。

 その体勢のまま、すぐに反対の腕に持っていた、もう一本の短剣で再び攻撃しようとしてくる。

 だが、それを黙って見ている訳が無い。

 空いている右腕で迫る短剣を握る腕を掴み、攻撃を止める。

 だが向こうも、それで止まるほど殊勝な性格ではない。

 癖の悪い足が動き、こちらに蹴りを見舞おうとするのがわかった。

 わかるにはわかったが回避不能。なら、受ければ良いだけだ。 


 その蹴りが俺の顔面へ直撃。

 左の頬に完全に入った一撃。

 だが、空中で無理な体勢から放たれた攻撃だ。そこまでの威力は無い。

 全く気にする事無く、両腕で暗殺者の身体を引き寄せる。


「ッ⁉︎」


 そのまま、腹部を蹴り飛ばしてやりたかったが、反応は向こうの方が早かった。

 暗殺者は、俺に追撃するのを止め、逆に飛び退き距離を取った。


「フぅー。

 あーあ、れたと思ったんですけどねぇ?

 あなたぁ、強いですねぇ?それにぃ、王国の人間とは思えない戦い方ですよぉ?」


 そら普通に考えて、こんなボロボロで、血まみれな泥臭い戦い方は王国流では無いでしょうね。

 とはいえ、「元魔王軍の人間です」だなんて、馬鹿正直に答える訳もない。


「生憎、下賤の生まれなもんで。

 行儀良い戦い方は生に合わん。おかげでこの様だ。

 超痛ぇーんだけど?どうしてくれんだ?この女郎めろう

「アハハハっ! 

 その割には随分とお元気ですねぇっ!」


 どの辺が元気に見えんのかね?

 傷だらけの血まみれ、その所為で身体も上手く動かないし、血液不足で意識も若干朦朧としてる。

 視界はボヤけて焦点も合わない。


 ……でも、こんな状況に「懐かしさ」や「心地よさ」を感じている。


 『水を得た魚』のようだ。

 例えそれが、『翼を得たイカロス』だったとしても構いはしない。

 如何なる天の災いが降り掛かろうとも、この心臓は鼓動を止めはしない。

 要するに『絶好調』って事だ。


「どうしたよ?動くのしんどいんだ。さっさとそっちからかかって来い?」

「余裕じゃぁないですかぁ?こんな状況でぇ。

 アナタぁ?『まとも』じゃないですよぉ?」


 少しだけ、『その言葉』に驚いた。

 何せ、この世界で生まれてこの方、「まともな人間だ」なんて言われた事が無かった。

 暗殺者が放った『その言葉』はつまり、さっきまでは俺を「まともだ」と思っていたという事。


 ……だが、そうだな。

 確かに、さっきまでは『まともだった』かもな。


 たったの三年間だ。

 でも、三年も安穏と暮らせば、鈍るのには十分だった。

 この時間が俺を「まとも」にしてしまっていたのか。

 ……にしては、学院では受け入れられなかったがな?


 自分が『まともで無い』事など、当の昔に知っている。

 問題は、『今言った相手』が、人にそんな事を言える立場の人間では無いという事だ。


「お前みたいなのが、何言っちゃんてんだか?

 それにしても、『まともさ』ねぇ?それって、戦うのに必要?」


 まともに戦って勝てないのなら。

 彼女を守れないのならば。

 そんな物に、価値など無い。

 不要な物は捨てて行け。

 必要ならば、肉をも削げ。

 大切な事は、たった一つだ。


「クフフっ!アナタとは気が合いそうですねぇっ!

 お友達になりましょぉっ!アナタの血飛沫は、とても綺麗で暖かそうですぅ!」

「悪いが友達は作らん主義だ。殺意が鈍っちまう」


 楽しげで恍惚そうな笑みとは裏腹に、純粋な殺気をこちらに放つ。

 対面した相手に鮮明に死を実感させうるほど濃厚かつ、混じり気の無い本物の殺意。

 向けられた物に恐怖は感じない。

 むしろ逆だ。

 さっきまでと違い、心地が良い。

 ようやく『自分の家に帰ってきたような感覚』。

 『ここ』こそ、俺達が本来居るべき場所。

 常に死と隣合わせの戦場。『アサシン・ワークス』


 と、ようやくお互い殺る気になったのだが……


「チッ⁉︎」


 暗殺者は舌打ちをする。

 ……だけ、ではないな。心の中では俺もしていた。


 森の茂みの向こうから、複数の気配がこちらに迫ってくる。

 それは教員達が、今更になって応援に到着したからだ。


 それでも目の前の暗殺者は、このまま全員を相手に戦うものだと思った。

 だが、殺気と短剣を懐にしまいこむ。

 どうやら、冷静に状況を判断できる思考は持ち合わせているらしい。


「あーあ。お預けですかぁ?

 焦らされるのは好みじゃないんですがぁ?」

「そう、悪い事ばかりでも無いだろ?

 安心しろ。次は一対一で決着つけてやる」

「それは楽しみですねぇ?

 それまで、私以外の人に殺されないでください?」


 そう言うと、暗殺者は森の暗闇の中へと姿を消した。

 その後、教員が何人かその後を追って森の奥へと入っていくが、捕まえる事は不可能だろう。

 本来なら、ここであの女を取り逃すのは避けたいのだが、強がっていてもこの怪我では追撃は厳しい。

 まぁ、どうやら奴は俺の事は知らないようだし、仲間も近くにはいない。

 すぐに俺の正体がバレる事は無いはずだ。


 正直、今にでもその場に倒れ込みたい気分だ。

 だが、ただでさえ傷だらけな上に、「ここで倒れた」なんて学院長に知られれば、後でどんな冷やかしを言われるか分からない。

 そもそも、ここにいる連中が俺の事をちゃんと持って帰ってくれるかどうかも不安だ。


 俺はエイマンやディーオントが教員達に治療され、担がれて帰る中、軽い応急処置を自身で行うと、しっかり自分の足で帰路に着くのだった。


 ……マジ、戦っている時より今の方が辛いですよ。はい。


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