一緒に。
懐かしい風景が、そこにはあった。
王都の郊外にある森林、その中に建てられた一軒家。
木造の木こりが住まうような、お世辞にも立派とはいえないその建物。
そこは、俺が父と数年間過ごした懐かしき我が実家だ。
元々は母の、魔法具細工師だった父親の家。
既に二人とも他界してこの世にはいない。
しかし、思い出というのは簡単には捨て去れない物だ。
「俺、何でここに……?」
記憶が曖昧だ……
確か、魔王と戦っていたはずなのだが……
なぜ、ここに……?
そうは思いつつも、吸い込まれるように家の中へと入ろうとする。
家の扉の取手に手をかける……すると、中からは人の気配がした。
この家にはもう既に誰もいないはずだが……
考えてみれば、俺が王妃に引き取られてから一度として帰った事がない。
誰か別の者が住み付きでもしたか?
だが、だとしても仕方あるまい。
そもそも、父の死後一度も帰ってこなかったのだから、俺にどうこう言う資格も無いだろう。
そう思いながらも、扉を開く。
そこは、予想外にも記憶の中の光景その物だった。
部屋の奥には暖炉があり、更に二つほど奥へと続く扉。
中央には三人分の椅子と机が置かれていた訳だが……
そこには俺のよく知る人物が座っていた。
「おかえり。ユウキ」
「……あぁ。ただいま。親父」
そこに居たのは、死んだはずの親父だった。
その姿を見て、俺はようやくここがどこなのか理解出来た。
不思議と、それに驚く事も悲しむ事も無かった。
むしろ、何だかようやく…本当にようやく荷を下ろせたような、そんな安心感があった。
親父が手を向かい合う机の椅子の方向へと向ける。
「座れ」と言う意味のジェスチャーだろう。
指示される通り、椅子に腰をかけた。
「随分と……大きくなったな?」
「そりゃ、十年も経ったんだ。デカくもなるさ」
「そうか。それもそうだな」
一瞬、会話が無くなる。
別に『仲が悪い』とかでは無い。と思いたいのだが……
こう…何というか、久しぶりに会って照れくさいと言うか……
いや、違うな。何を話して良いのかわからないのだ。
親子らしい会話とか、俺にはよくわからない。
オッサンといた時も、俺からと言うよりは、向こうから話かけてくる事が多かったし。
そう考えると、やはり俺はコミュ障なのだろうな。
でも……そうだな。
『親子として』ではなくて。
一人の戦士としてなら。
「あのさ?親父は何でこの国を守ろうと思ったんだよ?」
「ん?それは……」
親父は何だか少し驚いたような表情をする。
予想外の質問だったのだろうか?
でも、少し考えるとすぐに答えてくれる。
「最初は、胸の大きい姫様に言われるがままだったかな?」
「ああ、うん。それは知ってる」
そういえば、『勇者召喚手順書』の件を忘れていたな。
まぁ、それに関しては、俺も人の事は言えないのでスルーしておこう。
「でも、それだけじゃないさ。
正直、『何で俺がこんな事を』って考えなかったといえば嘘になる。
痛いのも、怖いのも苦手だったからな」
少し自分に呆れたように微笑みながら親父はそう語る。
その勇者らしからぬ物言いに、俺自身少しクスリと笑ってしまう。
でも自然と納得できたのは、俺自身がそうだったように龍人の姿を見ていたからだろう。
「じゃぁ、何で王国救ったんだよ?」
「どうしてだろうな?
改めて言われると、俺にもよくわからん」
「何だよ?それ?」
自分の事だろうが?と突っ込んでやろうと思った。
だが、その前に親父は言葉を続けた。
「きっと、皆が一生懸命だったから。かな?」
「?」
「俺の元いた世界は平和でさ。誰一人、『明日自分が死ぬ』だなんて考えて無い。俺だってそうだった。
でも、ここに来てからは、皆今を。明日を生きる為に一生懸命だった。
それを羨ましいと思った。人が人を想い、救おうと思う、その姿を。俺は『美しい』とそう思えたんだ。
だから、自分もそうありたいと、その為に努力したんだと思う」
「そっか」
もし、今の話を聞いたのが、昔の俺ならば、納得出来なかったかもしれない。
でも、散って行った仲間達を見て、龍人を見た今の俺ならば、全てとは言えないが、その想いを「理解は出来る」とそう思った。
その俺に、親父は逆に問いかけてきた。
「お前は……どうしてなんだ?」
「……えっ?」
そんな事を聞かれると思わなかったから、一瞬驚いてしまう。
何せ、当たり前だと思っていたから。
祖国を守る。親の意志を継ぐ。当たり前すぎて誰も聞いてこないであろう問い。
……でも、そうか。
一人だけそれを俺に問うた奴がいたな。
それは目の前の、親父と同じ存在だった。
改めて考えると……なぜ何だろうな?
確かに、『当たり前の思い』も無かった訳では無い。
でも今、親父を前にして、今までの自分を振り返ると。
なぜか、『その理由』が薄寒く感じてしまった。
「魔王を倒す。世界を救う。国の為に、親父の為に。
確かに、そんな事を全く考えなかった訳じゃないし、それが終着点だったのは間違いないけど……」
そこまで口にして、やはりその言葉の空虚さに口が止まる。
うん……そうだ。違った。
そんな物は、後から着いて来た物に過ぎない。
何も出来なかった頃の俺が望んだのは、国の平和とか、人々の安寧とか、親の仇とか。
そんな難しい事では無かったんだ。
「ごめん。違った。
俺は、ただ強くなりたかった。誰よりも強く。魔王よりも勇者よりも。
他の事なんて、他人を納得させる為の『ただの言い訳』だった」
「そうか」
てっきり、怒るか笑うかと思っていた。
下らない、出来る訳ないと。
でも、親父は『俺の戯言』を真剣に聞いてくれていた。
「馬鹿だって、笑わないのか?」
「馬鹿は馬鹿さ。でも、お互い様だ。
……ずっと、後悔してた。あの日、お前を置いて戦場に出た事を。
その所為で、お前に重荷を背負わせた事を」
「違うさ。きっかけはどうであれ。選んだのは俺だ。
王妃様が、ティアラが、オッサンが。
他の生き方を示してくれていたのに、俺は結局こんな生き方しか出来なかった。
でも……それでも選んだのは俺だ。
後悔は無い。重荷だって、一緒に背負ってくれる奴が居たから。
誇りに思ってるよ。皆の為に命を賭して戦った親父を」
親父はそれを聞き、目から涙を溢して頷いてくれた。
そして、一度それを拭うと、またこちらへと視線を向けてくれる。
「俺もお前を誇りに思う。
ありがとう。ユウキ」
それと同時に思い出の光景に白く靄がかかる。
もう、時間なんだろうな……
少しだけ涙ぐんだ、情けない顔の親父が見送る中。
きっと、俺も同じような表情をしているのだろうけれど。
それでも、人生の最期に満足出来ていたのだ。
その親父の姿も、俺自身も、暖かな光の彼方に消えて無くなって行った。
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「…ウキッ‼︎ユウキッ‼︎」
……遠い意識の中で、誰かの声が聞こえてきた。
その呼び掛けに、意識を取り戻そうとするが……
どうにも起きようとしても、身体が言う事を聞かない。
更には瞼も重たく感じた。
なんだか、眠たい時と感覚が似ているな。
……だが、寝ている訳にもいかない。
意識が遠くなる中、なんとか目を開く。
その眼前には慌てた様子の龍人がいた。
ずっと、俺に呼びかけてくれていたみたいだが……?
……あぁ、そうか。そういう事か。
「……大…夫だ。
聞こえている…魔王はどうなった…?」
酷く喋り辛かった。
あれだけの攻撃を受けた後だ。
仕方がないが、体を起こそうにも全く力が入らない。
「魔王は……倒したよ……」
龍人は下を向きながら、そう口にした。
だが、瞳にはその言葉とは裏腹に涙が流れていた。
本来なら、その偉業を成し遂げた事を喜ぶべきだと言うのに。
「どうしてッ……なんで避けなかったんだッ…?」
その龍人の様子で、ようやく今自分の両腕が黒焦げになって、動かなくなっている事に気がつく。
聖剣の一撃と、魔王の『魔力外殻』、その両方でこんがり焼かれてしまったからだろう。
全身似たような状態だ。
きっと、顔も酷い状態に違いない。
「どうしてって……もし俺が避けてたら、魔王の奴にも避けられてただろうが」
「でもッ…避けるって…避けるって言ったからッ…」
「悪ぃ…」
そう口にした俺だったが、きっと気持ちは全くこもっていなかっただろうな。
何せ今、死の間際にいると言うのに、とても清々しい気分だった。
成し遂げたのだ。父のやり残した仕事を。
成し遂げたのだ。『勇者にしか出来ない』と言われた魔王討伐。その偉業を。
それを喜ばずにいられる訳もない。
その時、古城全体がガタガタと揺れる。
あれだけ派手に攻撃を繰り出したのだ。
元々、古い城だ。崩壊してもおかしくは無い。
天井から瓦礫が崩れ落ちてくる。
龍人はそれに気がつくと、俺を抱き抱え、ここから移動しようとする。
だが、既にそれに意味が無い事は俺自身が一番理解出来ている。
むしろ、その行為の為に、龍人を巻き込んでしまう事の方が怖い。
故にその行為を俺は止めた。
「……必要無い。早く、一人で逃げろ」
よくよく見ると、両足すらも今の俺には無かった。
であるならば尚更、役立たずの足手纏いを王都まで運ぶ必要など有りはしない。
「そんな事出来る訳無いだろッ!
約束したはずだっ!二人で王都に帰るって‼︎」
……そうだったな。
コイツはこういう奴だったな。
でも、それを言うなら俺だってそうだ。
元々、俺は『他人との約束を守るような殊勝な男』ではない。
しかし、それでも……あの時は。
魔王を前にするまでは、そのつもりだったんだぜ?
「悪いな。あの時はそのつもりだったんだが……上手くいかないもんだな?
なぁ、龍人。ありがとな」
何とか、「龍人を説得しよう」と言葉を絞り出そうとするが、その言葉を何一つとして絞り出す事はできず、代わりに出た言葉がそれだった。
「なんでッ……なんで、こんな時にッ……?」
俺の為に、涙を流し続ける龍人。
たく、コイツは本当にどこまでもお人好しというか、なぜこんな俺にここまでするんだろうな?
……いや、コイツだけじゃ無かった。
オッサンや、ティアラも。
そう思いながら、もう一つの約束の方も思い出してしまった。
そして掌に残る感覚、そこに握られていた物を。
ずっと、誰かにこの想いを受け取って欲しかった。
でも、やっぱり手放したくも無くて……
でも、自分ではどうしようも無くて……
それでも、今ようやく。「その時が来た」のだと。
そして、彼ならば、全てを託しても良いのだと。
心の底から、そう言えた。思えたんだ。
「勇者がお前で本当に良かった。
お前とじゃなかったら、ここまでは来れなかった。
お前は、その役目をきっちり果たしてくれた。
それでもまだ、俺を助けてくれるって言うのなら……一つ仕事を頼まれてくれないか?」
「…なにを?」
それは説得の言葉では無い。
……俺の『唯一の心残り』、文字通り『最後の仕事』だった。
必死に左手を動かそうとするが、僅かに上げる事しかできなかった。
だが、龍人は俺が「何かを手渡そうとしている」事を察し、手を添えてくれた。
握りしめていた掌をそこで開くと、龍人の手には金属の破片が落ちていた。
これはティアラに返す事を約束していた『魔法具の指輪』。その残骸だった。
「コイツはティアラに返すと約束してた物なんだが……壊れちまったから、どっち道怒られそうだけど、代わりに返してやってくれないか……?」
「自分で返せば良いだろッ!いつもみたいにッ!
ここから生きて帰って、それから…」
不思議な感覚だった。
今まで、ティアラの事を無視し続けて来たにも関わらず、全てを成し遂げた今、最後に残ったモノはそれだけだったのだ。結局、俺は……
龍人も「自分でやれ」と口では言いながらも、それが不可能なのはわかっていたはずだ。
途中、自らで話を途切らせた龍人に向かって、俺は首を横に振る。
「まだ、魔王軍は王都へと進軍している。
王国軍と…オッサンと合流して王都を…ティアラを守ってやってほしい」
俺の言葉を最後まで聞くと、龍人は指輪の破片を強く握りしめ、瞳に溜まった涙を拭う。
「……分かった、後の事は全部任せてくれ、ユウキ。
君はここでゆっくり休んでると良い」
「あぁ、安心した。
……後は任せたぞ。龍人」
そう言うと、龍人は背を向け、崩れていく城の中を一人歩いていく。
俺には、その後ろ姿が、かつて戦地に赴く、父の『最後の後ろ姿』と重なって見えていた。
……本当に強くなったな。
最初に共に戦った時は、全く頼りにならなかったと言うのに。
情けない情けないと思い、「こんな奴に魔王を倒す事は出来ない」とすら思っていたのだが……
今では俺なんかよりも、ずっと頼りになる勇者になった。
今ならば全てを託して行く事ができる。
「はぁ……」
だが、もう既に何一つ未練も無いと思い。
目を瞑ろうとしても、いつまでも。
この場を去ろうとする、龍人の後ろ姿から目を離せずにいた。
……全く。
人がなんの心残りも無く、死のうと思っているっていうのに。
勇者という奴は、本当に厄介な存在だよ。
……いや、違うな。
本当に厄介なのはお前だよ?龍人?
俺にとっての光。
希望を見せていたのは、『勇者』でも、『聖剣』なんかでも無かった。
だから、考えてしまうのだ。この先を。
願ってしまうのだ。未来を。
「やっぱ、一緒に生きてぇな……」
それが去りゆく友人の後ろ姿を見ながら。
最期に想った事だった。