2-1
………ロンドン橋落ちた。エッフェル塔は溶けた。
伝統ある街並みは、民衆の怒りとそれを率いる元ゲーマー達によって第二次大戦以来またも炎に包まれた。ただあの時と違うのは、街に火を放ったのがナチスの軍勢ではなく民衆だという事。
ロンドンは燃えている。目先の美徳に囚われて民衆を圧迫した活動家、それに票稼ぎのために便乗した政治家への怒りで燃えている。
憤怒の炎が歴史を焼き払う中、世間へのアピールのために買った高い車を走らせる男の姿があった。
「ハアハア………どうしてこんな事に………?!」
その男、名をニコライ。ニコライ・クリストファー。
イギリス在住のジャーナリストであり、オックスフォード大学で法を学び首席で卒業。ピューリッツァー賞を受賞した事もある人権派ジャーナリストであり、故に社会的な立場もあるエリートである。
中国系アメリカ人の妻をもち、ロンドンの一等地に家を構えて、日々人世界中の人道に反する様々な問題を記事にし啓蒙している、模範的な記者。
そして。
「ああくそっ!どいつもこいつも………!」
サイバーエデンオンラインを終わらせた、善良な善意を持った善人たちの一人。というか、その中心人物。
この破壊の元凶は確かにニコライでもあるのだが、厳密にはニコライだけではない。
彼に手を貸した活動家もそうだし、メディア、団体、兎にも角にも「道徳的に正しい人達」。彼等の正義がこの破壊を招いたのだ。
「……………あっ!」
目的地まで目と鼻の先だといった所で、彼の愛社であるEV車は動きを停めた。
バッテリー内の充電を使い果たしたそれは、最早ただの高級な再生合金の塊でしかない。
「ああ、クソっ!があっ!」
だがニコライに立ち止まる事は許されない。すぐ背後に死が迫っているからだ。幸運にも空港は目と鼻の先で、出発までにはまだ間に合う。
ほつれる足で、ニコライは高いスーツに灰を被らせながら走る。背後でパパパという機関銃の音や鈍い砲撃音が響く。
………国王陛下の名のもとに集ったイギリス軍も「彼等」の前には為す術もなく蹂躙されていった。
ニュースで先代の女王の名を冠した空母が、日本の子供向けドラマに登場するモンスターにへし折られた様は、ニコライの脳裏に力量差の象徴として記憶されていた。
その、イギリス軍をも赤子の手をひねるように片付ける「彼等」の怒りが自分達に向けられていると知ると、ニコライはたとえ足が砕けようと立ち止まる事はしなかった。
空港に駆け込む。こんな状況故に施設としては機能していないものの、イギリス政府に用意させた飛行機が一機置いてある。
ひどく古くエコノミークラスな上に、紅茶と菓子の機内サービスも無い便だが、命には替えられないので贅沢は言えぬ。
「はあっ………はあっ………!」
同じく逃げてきた議員や活動家達に混ざり、ニコライは飛行機の座席になだれ込んだ。
息を整えながら周囲を見たが、見覚えある顔が多い中、特に親しい間柄の人物が見当たらない。彼らがどうなったかを考えると、ニコライの背筋は凍る。
「もうだめだ………皆殺されるんだ………!」
「おい!お前何言ってんだ!?」
そんな状況で資産家の跡取り息子が怯えながら漏らした一言に、かつてEV推進派だった議員が噛み付いた。
「だってアンタも見ただろ!?怪獣の攻撃で戦艦はやられて!戦車も戦闘機もロボットに叩き潰されて!あんな奴等に勝てるはずない!」
「そんなワケがあるか!所詮は小児性愛者の集まりだぞ!?正義は我らにある!」
「じゃあなんでここまで追い詰められてんだよ!?正義があったって、これじゃ意味が………!」
「ケツの青いガキがあぁああ!!」
「やめんかッ!今は言い争ってる場合じゃないだろう!?」
癇癪を起こした議員が跡取り息子に掴みかかった所を、ニコライの記憶が確かなら脱炭素に取り組んでいた別の議員が止める。
皆記憶の中ではもっと紳士的で、意識の高い会話をしていたハズだ。だがニコライの視界に見えているのは、まるで動物園の猿のような彼等の姿。
どうしてこんな事に………と頭を抱えていたニコライだが、すぐにその感情は恐怖へと変わった。
…………がしゃあんっ!!
飛行機のすぐ隣に、軍の戦闘機が落下してきた。真っ二つに割かれ、ひしゃげた機体は、それがいかに強力な力で引き裂かれたかを物語っていた。
「どこだニコライィィッ!!」
「くそっ!軍め邪魔しやがってええ!!」
街から怒声と共にズドン、ズドンと巨体を歩かせる足音が響く。軍を蹴散らし、殺意を向けた「彼等」が迫る。
こちらには気付いていないようだが、このままでは気付かれる。
「ひ、ひいいいいっ!!」
「き、来た!奴らが!奴らがぁあああ!!」
悲鳴に包まれる機内。あの恐るべき巨神の殺意がこちらに向けられている。その事実が、ニコライ達を震え上がらせた。
「おっ、おい!早く出せ!奴らが来る!」
「しかし、安全が…………」
「捕まればどの道死ぬ!いいから発進させろ!!」
機内にいた政治家の一人が機長に怒鳴りつける。機長としては離陸時に撃墜される可能性を考えて見送るべきだと言ったが、結局機体を発進させる事にした。
バラララ、と翼のプロペラを回転させ、ニコライ達を乗せたら飛行機が黒煙立ち上がる空へと飛び立ってゆく。
その様は、地上で軍と戦いながらニコライ達を探していた「彼等」にも見えた。
「あれは………まさか!?」
「あいつ、高跳びする気だな!」
そんな「彼等」の中に、彼女はいた。
皆がそうであるが、彼女はニコライに対しての深い恨みと怒り。そしてSEOが終わった事による後悔を抱いていた。
故に、あのままニコライが国外に逃げ去るなど、到底許せるハズがない。
「畜生がっ………!」
「行けッ!ミーニャ!!」
苦虫を噛み潰したような彼女の感情を察したかのように、彼女の駆る真紅の機体の足元からスピーカー越しの音声が聞こえてきた。
彼女が身を置いている一団………この大規模反乱を引き起こした一団のリーダーの操る多脚戦車が、機体の足元からこちらを見上げていた。
「俺達の中で飛べるのは君だけだ!それにニコライは日本を目指していると聞く!」
「ボス………!」
「ニコライをとっ捕まえろ!ついでに、君の大好きな"クー兄"さんに会ってこい!!」
「…………はい!」
真紅の機体は翼を広げ、燃える空へと舞い上がる。
航空機の系譜から生まれたその18mの機体は、それまでの物理学や航空力学の法則を無視して飛び上がり、飛行をして見せる。
「クー兄ぃ!今いくかんねッ!!」
復讐のため、そして愛のため、幼く妖艶な赤い殺意はロンドンの空へと消えていった。
世界中で始まった異変、その僅か三日後の出来事である。
***
酷い倦怠感と、仰向けになった身体の重み。九郎太が目覚めの際に浮かべたのは、幼少の風を引いた日の朝。
その後視界に入ってきた清潔感を感じる白く無機質な天井を前に呆けていた九郎太であったが、すぐに違和感に気付く。
おかしい、自分がいつも目覚めの時に見ているのは木造の煤まみれの天井なのに?と。
「弟くん!!」
足元の方から聞こえた可愛らしいウィスパーボイスに反応し、九郎太が視界を起こすと、見えたのは白い布に包まれた豊満なバスト。
赤縁のメガネの向こうの潤んだ瞳で、その女性が輝夜乙葉だと認識した途端、九郎太の脳裏に先日の記憶がリプレイ映像のように蘇る。
自分の人生を台無しにした毒親から、守ってくれた乙葉。
その後現れたムクロススリに対して、メガフェンサーで立ち向かった。そして………。
(…………うん?)
記憶を思い出す中、九郎太は新しい違和感に気付く。それは、仰向けの体制から見た乙葉の大きさだ。
確かに、九郎太は日本人男性の基準では低身長の部類に入る。が、それを前提に考えても乙葉の大きさがおかしいのだ。
(乙葉ってこんなに大きかったか?いや、乙葉がというよりは……………)
自分が小さくなった?と、九郎太は周囲の物を含めた対比で気付く。カーテンも、自身が横たわるベッドの手摺も、普段知るそれよりも大きく感じる。
「…………いいですか?落ち着いて聞いてください」
視界に横から入ってきた紅凪女史が、神妙な面持ちで語りかけてきた。
こいつもいたのか。という事はここは政府の施設か?と考える九郎太の目の前に、凪は一枚の板のような物を持ってきた。
「…………これがあなたです」
「へ??????」
タブレット端末の類かと思ったが、表面の反射からそれを鏡だと認識した九郎太は、今度はその鏡に映る光景を前に初めて声を出した。困惑を意味する間の抜けた…………そして高い、少年キャラクターを演じる女性声優のような声を。
「な、なんだ、これ………!?」
鏡面に反射されていたのも、ブラックアウトした携帯の画面でいつも見るような小汚い弱者男性ではない。
滑らかに薄く光る焦げ茶色の髪に、少々つり上がったサファイアのような青い瞳。もちもちとした血色のいい頬。まるでアニメの主人公のような可愛らしい少年がそこにいた。
特筆すべきは、それが九郎太のよくしる顔だった事。
「これ………俺だ………俺がSEOで使ってたアバター!」
SEOをやっていた頃の九郎太………プレイヤーネーム「クロータ」として使っていたアバターが、この顔だった。
まるで自身の精神的幼さを反映させたような顔立ちも、体型も、最後にログインした時に使っていた「This 地球防衛隊」仕様のジャケットとアンダースーツ、そしてご丁寧に片目にかけた|単眼式ヘッドマウントディスプレイ《ターゲット・インサイター》まで一緒だ。
「知りたい?」
「ッ………!」
「今のこの状況………架空のキャラクターであるハズの輝夜乙葉が何故現れたのか?何故あなたはその姿になったのか?世界に何が起きているのか?」
やけに演技がかった口調で尋ねる凪を前に、九郎太は眉を八の字にして不快感を見せつけた。
今の自分をからかっていると思ったから。そして、かつて勉強中に気晴らしでネビュラマンの光線技のポーズをしていたのを見つかり「現実を見ろ!勉強できてないという現実を!」と父親に殴られた嫌な記憶を思い出したから。
「………アニメの真似ですか?それ」
「好きでしょう?こういうの」
「痛いだけですよ。今どき下手なアマチュア創作でもありませんって」
凪の仕草には呆れる他なかった。が、今の立場を考えると凪に命綱を握られているというのもまた事実。
それに、凪の提示した疑問の答えを九郎太が知りたがっているのもまた事実。
「………で、誰に会えばいいんです」
九郎太に誘いに乗る以外の選択肢はなかった。
恐らくそれを知ってほくそ笑む凪の顔を見て、相手が美人だろうが関係なくぶん殴りたくなった九郎太であった。




