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…………その、丁度同じタイミングであった。世界中で一斉に"それ"が発生したのは。
世界各地のコンピュータというコンピュータが一斉に誤作動を起こし、ハンドマウンド邸にビキニアーマーの美女が現れた。
「………くっ!?」
「ッ?!」
人情太郎は感がいいから、そして九郎太はその現象の「子機」とも言える存在であったから、熱波の如く世界を覆い尽くした異変に気づいた。
何も知らない父親だけが、頭にハテナマークを浮かべてボーっとしている。
「何だ今のは………!?」
人情太郎の抱いた感覚は違和感と恐怖。当然だ、彼からすれば未知の世界だったのだから。
だが九郎太にとってそれは、まるで古い友人の声を久々に聞いたかのような。
それはまるで、ひまわり畑で微笑むワンピースの少女のようなノスタルジーの波動を放ったかと思うと………
「がふあっ!?!?」
間を置いた後に、バシィッという乾いた音と共に人情太郎が殴り飛ばされた。
何が起こった?誰がやった?と顔を上げ、再び思考を回す九郎太。そしてぼやけた視界が徐々に鮮明になり飛び込んできた光景は………。
「………ああっ」
少女だ。
人情太郎の前に立ち塞がり、九郎太を守るように立つ一人の少女。
サラサラと風に流れる、漆のような黒い長髪。パッチリとした優しげな目には、黄昏を思わさせる赤い光を宿した瞳。雪のように真っ白で僅かに桃色の灯るきめ細やかな肌。
身に纏うのは、ディアンドルとコルセット式の学生服を思わせる服装に、夕焼けのような茜色のメガネ。
一言で言うなら、外見から察する年齢的にも顔のいいの女子高生といった感じだろう。
「なんだてめえ………お嬢さん、コスプレ会場ならここじゃあありゃせんぜ」
そしてよくいる女子高生との最大の違い。人情太郎が予想外の一撃を食らわせた彼女を、頬を抑えながら「コスプレ」だと断じた理由。
それは、腰に挿された鞘とそこにおさまった刀。頭から生えたホルスタイン種の牛の角と耳、尻尾。
何より学生服といってもそれは意図的に乳房を強調するためにデザインされた「乳袋」を持つ、具体例を出すと二昔前の頭の悪い深夜アニメや一昔前に「童貞を殺す服」として話題になったような物。学生服としてはまず採用されないし、してはいけないデザインだ。
そして耳と尻尾が示す通り、乳袋により強調されたそのバストもヒップも豊穣の女神のごとく豊満であった。
明らかに普通の女子高生ではない。
世間の常識的な目から見れば、痛い深夜アニメのコスプレをしたただの発育のいいコスプレイヤーが、何の予兆もなく現れ人情太郎を殴りつけた。と考えるのが妥当だろう。
あまりにも唐突な出来事に父親と人情太郎は混乱が隠せないが、九郎太だけは違った。
「あっ…………あああっ…………!」
現実が辛すぎて幻でも見ているのか?と思った。しかし、意識はいやにはっきりしていたし、人情太郎に殴られた顔の痛みはまだ続いている。
何より「彼女」の事は九郎太はよく知っている。当然だ、在りし日のSEOの、その仮想現実の世界を駆け抜けた「彼女達」の内の一人。
…………SEOの特徴として挙げられる機能の一つとして、高度なAIによって再現された各版権作品のキャラクターのNPCを、仲間として連れる事ができる事。
またデータ改変により任意の関係を設定する事も可能で、例えば九郎太は「彼女」を姉として設定し、辛い日には彼女に甘えていた。
この一連のシステムは「俺の嫁システム」と呼ばれ、あるオタクからは感謝され、またあるオタクからは嫌悪された…………。
そう、彼女はアダルトゲーム原作のアニメ「Over flower」の人気ヒロイン…………のNPCであり。
またゲーム内で手に入れた装備を使って九郎太が好みでつけた牛娘要素も、記憶の中と寸分の違いもなかった。
「俺は………夢を見ているのか!?」
「………夢ではありませんよ」
ゲームの世界から現れた、かつて九郎太が仲間として連れていたNPCキャラクターで、彼の率いるチームの最古参「輝夜乙葉」。
SEOの終焉と共に、別れも交わせずにデータの海に消えたハズの存在が、現実の存在としてこの場に現れた。
まるで九郎太を守るように立つその姿は、見様によっては外敵から我が子を守る母ライオンのようにも見え、先程までの善悪の構図がひっくり返ったようだ。
「……………弟くんっ!!」
「わ…………っ!?」
間を起き、乙葉は九郎太の元に駆け寄り、その脂ぎった血まみれの顔を自らの乳牛のような乳房の奥へと押し込んだ。
その表情は悲しみと後悔、そして失われた5年の間の想いが噴出した様が見て取れる。
「ごめんなさい………ごめんなさい、弟くん。私、あなたがずっと苦しんでいたのに………一人で泣いていたのに………何もしてやれなくて、ずっと………!」
「お…………お姉ちゃん…………!」
あの日のように九郎太は彼女をお姉ちゃんと呼ぶ。あの日のように、あの日ゲームの中でNPCとして購入された歳の設定に従い、自身を弟と呼ぶ乙葉に答えるかのように。
「あ………ち、血が」
「大丈夫ですよ」
「それに、俺こんなだし………!」
「かまいません」
服が血で汚れようが、九郎太があの時のアバターと違う肥えた弱者男性だったとしても、乙葉にとっては大した問題ではない。
乙葉にとって重要なのは、目の前にいる大事な大事な「弟」が、重症を負って苦しんでいる事。
「あなたは泉九郎太、私の弟くんです」
「う…………あ」
5年ぶりに九郎太は、乙葉の微笑みに包まれた。
鈍化した思考の再加速と共に、九郎太の心の底から熱い感情が涙と共に湧き上がってくる。
胸が締め付けられる感覚と共に九郎太は凍てついた心が溶けてゆくのを感じる。
5年ぶりに触れる、暖かな優しさであった。
「…………おい待ちな、お嬢さん」
そして………そんな感動の再会に水を指すのは人情太郎。
いや、人情太郎でなかったとしても、顔もスタイルもいい女子高生が30代の弱者男性を「弟」と呼んで庇う様など、普通は異常に見えるもの。多様性が叫ばれる近代においても、そんな光景を見れば一声かけるだろう。
「そこのバカに何を吹き込まれたかは知らないが………安心しな、俺が助けてやる」
脅されるか金を握らされるかして無理やりやらされている。そう考えるのが普通だ。
そしてこのやり取りにより人情太郎の中の九郎太に対する印象に、親を泣かせるダメ人間に加えて、未成年に手を出すクズという評価が加わった。
「そこのクズ野郎は生まれてきた事を後悔させてやる。親を泣かす上に未成年囲うなんざ、どこまでも見果てたヤツだ…………法が裁く前に、俺が"修正"してやr」
人情太郎が、その人生の教科書として見てきた刑事ドラマのセリフを真似た似非ハードボイルドしぐさが終わるより早く、シャランという鉄の擦れる音がした。
かと思うと、次の瞬間人情太郎の着ていたコートも、衣服も、ズボンも縦に真っ二つになりはらりと地面に落ちた。
「え…………キャアアアアアアア!?!?」
突如パンツ一丁の状態にされ叫び声をあげる人情太郎。彼は所詮ハードボイルドを気取っているだけであり、刑事になれなかったので探偵をやっているだけの人間であるが故に、こんな状況には慣れていない。
その、明らかになったハート柄のトランクスはまさにハリボテのハードボイルドの象徴と言えるだろう。
「黙ってて…………くれません?」
見れば乙葉が腰に挿していた刀………刀身に通ったレーザーにより対象を切断する"ライデンソード"が抜刀され、その刃は人情太郎の方を向き、天に掲げられていた。
剣を抜き振るった後の構図であり、乙葉が何をしたかは、人情太郎達に向ける明らかな殺意と怒りを込めた声色からして一目瞭然だろう。
「う、うわあああ!?!?」
叫びは人情太郎だけではなかった。
見れば、九郎太の父親も取り乱して叫んでおり、その手元にはやはりというか、真っ二つに切り裂かれた家族写真。
「あっ、あああ!!!!写真がっ!!写真があああああぁああ!!!」
かつて幼き日、男が泣くな!と3歳の頃の自分を殴り飛ばした父親が取り乱して泣き叫ぶ様は、九郎太の心に失望と怒りを巻き起こす。
それが、九郎太が強引に家を出た事で家庭崩壊が起き、更に癌の宣告を受けるという絶望の中で、この家族写真を「家族の絆の証」「いつかまた家族に戻れる希望の象徴」として心の支えにしていたというバックボーンを知ったとしても、九郎太の侮蔑は変わらないだろう。
そも、その"家族の絆"とやらも、九郎太を悪者にする事で成りたっていたものだ。
「………"男が泣くな"…………」
「ひ…………ッ」
「そう言って弟くんを殴ったのは、あなたですよね?それとも人間の親というものは、子供への発言に責任を持たないんですか?」
チャキリ、とライデンソードの切っ先を九郎太の父親に突きつける乙葉。
夕日の影に重なった事もあるが、その表情は本来の乙葉のキャラクターからは想像できない程の怒りに満ち溢れたものである。
「それとも…………それも"親の愛だから"ですか?"不器用だから"ですか?」
「あっ、ああそうだ!俺は九郎太の為を思って厳しく…………ひいいいっ!!」
ジャキッ!と今度は刀を振り上げてみせる。意味する所は、斬るぞという脅迫。
ライデンソードの刀身は、エネルギー伝達により紫色に光っている。まるで乙葉の殺意すら伝達したかのように、それは獲物を狙う肉食獣の牙のように鈍く鋭い。
「…………弟くんはね、精神薬を飲んでいるんです」
「は………っ?」
「そもそも弟くんは、自身が精神を病んでいる事は自覚していた………それを甘えだの決意が足りないだのと精神論を並べて、適切な治療すらさせずに悪化させたのがあなた方です!」
親にすれば見当違いな精神論と説教と体罰が返ってくる事はよく知っていた。だが九郎太は相談や愚痴も、乙葉やSEOの他プレイヤー相手ならする事ができた。
だから乙葉は知っていた。九郎太が一体、どんな酷い環境で育たざるを得なかったのかも。
「そ、そんな事ッ!そいつが甘ったれてるから悪いんだ!!それにアンタ達に何が解る!?子どもの人生の責任を負わないお前らが知った風な………」
「じゃあ☓☓病院に行きますか?弟くんにした診断書はありますよ?"原因は幼少期のいじめと虐待"って書かれてます」
今までしてきたような、恫喝と暴言で従わせる事ができない相手を前にして、九郎太の父親は完全に相手のペースに乗せられている。
「………弟くんはずっと、そしてこの先も………いつ来るか解らない発作に怯えながら、心に刻まれたトラウマに苦しみながら、手に入れるハズのできた幸せを全部諦めて生きていなきゃならないんです………あなたが、不器用だとか、親の立場を使って正当化した虐待のせいで」
「ぎゃ、虐待だと!?あれはあのバカのためを思って厳しく…………」
「それで生きていけない位精神ブッ壊してたら虐待なんですよ!!」
「ひいいいッッ!!!」
いくら虐待の落ち度を指摘しようと親という立場を利用した本邦特有の人情的自己正当化をやめない父親に、とうとう乙葉もブチ切れた。
抑えていた怒りを噴出させるように、先程までウィスパーボイスを出していた喉を震わせて、声を荒げる。
「何が人生の責任ですかッ!?弟くんの人生を台無しにしたのはあなた達です!!弟くんを苦しめて不幸にしてきたくせにッ!!弟くんの人生の楽しみを何もかも奪ってきてッ!!その上で自分達の介護をさせるなんて事がッ!!今更そんな家族写真で許されると思うなァッ!!!」
咆哮と共に、ついに乙葉はその一撃を振り下ろす。
刀身が発光し、バチバチと紫色の稲妻のエネルギーを放ちながら、SEO内でファンタジーのモンスターも戦闘ヘリも真っ二つにした一撃が放たれた。
…………ずどぉおん!!!!!
落雷とも見まごう轟音。放たれたエネルギー。
SEO日本サーバーチャンピオンが育て上げた一撃は、舗装されたアスファルトの大地を突き破り、眼前の愚かな毒親を粉砕…………。
「ひ…………ひ…………!」
………しなかった。ライデンソードの突き刺さる地面の、あと少しズレていたら直撃していであろう場所で、九郎太の父親はガタガタと震えている。
なおこの一連の行動の間、九郎太は実父に刃を向ける乙葉を制止しない。それが、この男にかけられていた家族という幻想にトドメを刺した。
「………消えてください。でないと今度こそあなたを殺しますよ」
「ひ…………!」
「さっさといなくなれッッ!!!」
「ひいいいいいーーーっ!!」
泣き叫び、抜けた腰でなんとか立ち上がり逃げてゆく父親。
あれだけ威圧的な圧制者に見えても、格上の相手には情けなく逃げるしかない。そんな様に、アレだけ怖かった相手がみみっちく見える様に、九郎太は思わずフッと笑みを漏らした。
「弟くん!!」
「お姉ちゃん………」
「ああっ、こんなにされて………」
憎き相手を退散させ、先程のお姉ちゃんモードに戻った乙葉は九郎太に駆け寄る。
父親を退散させたなら、次は九郎太の受けた傷の手当だと、病院に連れて行こうと考えた………が。
「ま、待って。ちょっと待って」
「弟くん?」
「…………質問、いい?」
何よりも九郎太自身が疑問に思っている事が一つあった。
それは、この状況に対するそもそもの疑問。
「………なんで、ゲームキャラのお姉ちゃんが現実に?」