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今にも潰れそうな、簡素かつ粗末な集合住宅。そこが、九郎太の自宅だ。低い賃金と所得で更に税金で持っていかれる二重苦三重苦だが、どうにか実家から逃れたかった九郎太はそのうさぎ小屋のような小さな部屋に転がり込むしかなかった。
「…………ただいま、ふう」
そして、卓郎以外の今の若い世代も、所得がないので独立するとしたらこんな所しか無い。
卓郎にとってはそこが安らぎの場にはなったが、全ての人々が進んでこんな所に住みたいワケがないのだが、家を出ないと世間が「子供部屋おじさん」「子供部屋おばさん」などと追い詰めてくるので、泣く泣くこんな所に行く事になる。
社会問題のハズなのだが、マスコミが「風呂なしアパートが若者に人気!」などといってあたかも現状を自分の意識で選んでいるかのように報道し世間がまともに取り合おうとしない事もあって、この問題は続いたままだ。
畳4枚ほどの狭い狭い部屋。そこに壁沿いに敷かれた万年床を座布団代わりに九郎太は座り込んだ。
途端強烈な疲労感がおそってきた。シャワーは帰宅途中のネットカフェで済ませてきたが、疲れは取れない。
夜食も、道中のコンビニで済ませてきた。後は寝るだけだ。
そう、この家に帰るのは寝る時のみ。
故に部屋にはグラビア目当てで勝った雑誌ぐらいしか置いていないし、過労は在りし日のようにアニメを見る体力も、プラモを作る気力も奪っていった。
やる事と言えば、SNSを見る事ぐらいだ。
「………あー、この人新作出すんだあ、へえ」
中身が少なく値段は変わらないポップコーンを頬張りながら、九郎太は流れてきたSNSのPOSTを見る。
そこでは、ある有名な作家が新しい小説を出版する事を記したニュース記事のリンクが貼ってあり、その若い小説家が新作を手にインタビューに答える写真が添えてあった。
その、黒髪のオールバック、それをビシッとしたスーツでキメたおおよそ物書きとは思えないこの男性の名は「野明崎蘭堂」。
年齢45歳。エリートサラリーマンか大企業CEO、またはレディコミのイケメン執事を彷彿とさせる外見だが、彼の職業は小説家。
主にSFを専攻としており、星雲賞を受賞した「コスモレガシー」、ハリウッドで実写化しヒットした「宇宙戦艦戦記」が代表作。
日本を代表する作家であり、和製コンテンツ発信の第一人者として活躍している
九郎太はSF………というより特撮が好きな事もあり、彼の作品を読んだこともある。が、九郎太が彼に反応したのは、野明崎の別の側面が理由。
「あのオリジナル5の一人が…………」
歴史的MMOSEO。
ギャロップ・ハンドマウンドが中心となって生まれたそのゲームの誕生に携わった5人のクリエイター。その内の一人が野明崎なのだ。
主に担当したのは、SF作品をテーマにしたステージや敵キャラの監修や科学検証。ライターとしても、主版権作品の物語をミッション追体験するモードのいくつかのシナリオを手掛けたのだが、その多くは好評を博し、そのいくつかは小説化されている。
九郎太もその小説は全部買った。
何を隠そう、九郎太もまたSEOのプレイヤーであり、そういった意味では野明崎は神様のような存在である。
「絶対に面白いやつだよな、はは…………」
その名を聞いて、九郎太は思い出した。あの輝かしい日々の事を。
出会った仲間達、そして傷ついた心を癒やしてくれた「彼女達」の事を。
だが、それが九郎太にもたらしたのは思い出とノスタルジーだけではなく、二度と会えぬ存在への悲しみの感情。
「…………楽しかったなあ、あの頃は」
そう、九郎太はSEOのプレイヤー……………「だった」のだ。
***
サイバーエデンオンライン。
様々な人々から最早人生の一部といっていい存在への昇華されていたその歴史的ゲームの終焉は、あまりにもあっけなく、そして理不尽に満ち溢れたものだった。
もう一つの世界。その、世界の終わりの引き金を引いたのは魔王よりも恐ろしい存在………現実に存在する一人の男であった。
男の名は「ニコライ・クリストファー」。イギリス在住のジャーナリストで、それなりに名の知れた人権派として通っていた。
ただのブン屋が何をした?と思うだろう。彼のした事、それは簡単な事。
いつも仕事でやっているように新聞記事を書いたのだ。
その内容というのが「SEOはペドフィリアによる未成年の性的搾取を認め、児童ポルノの存在を許している、断じて許すわけにはいかない!」というもの。
ニコライは外見が幼く見えるキャラクターと、それを用いたアダルトエリアの使用に対して倫理観と人道的な視点からSEOを糾弾し、自身と繋がりのある団体をゲームの品質管理部・倫理チームを設置するよう要求してきた。
更にこれ幸いにと、イギリスのみならずアメリカ全土の反ポルノ団体、教育機関、宗教団体、そして「子を持つ親」たる善良なる市民達がニコライの記事を犬笛としSEOを糾弾した。
彼等からすればSEO内で扱われているオタク文化は主義主張や宗教的教え、つまりは政治的な正義に背く存在。今までは特に問題も起きなかった為に黙るしかなかったが、ニコライの記事は彼らに溜まりに溜まった正義を噴出させる大義名分を与えたのだ。
…………そのアダルトエリアの説明だが、まあ名前から察してほしい。
とはいえ、その幼く見えるキャラクターというのはあくまで架空のアニメのキャラクターであり、被写体もなければ現実にも存在していない、ただのCGだ。
更に「幼く見える」というのもニコライの主観というか西洋人基準であり、彼が紙面で指摘した未成年キャラクターの大半が原典では外見設定共に大人として扱われていたもの。つまりニコライの言う児童ポルノにも、性的搾取にも当てはまらず、糾弾のつもりで彼のした事はただのクレームに他らならない。
何より、ニコライの紹介した団体というのは宗教団体を基盤とする反ポルノ組織であり、アニメや漫画のキャラクターが中心のSEOからすれば天敵もいい所。そうでなかったとしても、ゲームとは何の関係もない団体を影響力の強い部門として内部に置けというのは、ビジネス視点から見てもとても現実的な主張ではない。
ので、運営側はニコライの要求はは全て無視し、逆にニコライに対し「事実無根のイチャモンだ!」と反攻する声明を発表。
この行動は全世界のユーザーから称賛された。彼等もまた、そうした正義の心振りかざして牙を剥く連中には嫌気が差していたのだ。
…………さて、SEOを運営していた会社LPカンパニーは、出資者兼創始者はインド人のギャロップで社長のゲーリもアメリカ人ではあるが、本社は日本にある日本企業であった。
これは創始者ギャロップが和製コンテンツのオタクだった事もあるが、日本憲法で定められた表現の自由に目をつけての事でもある。
海外でなら法律が許さないであろう表現も、日本人の怒りを買わなければ………たとえば食べ物を粗末にしなければ許されるという環境は、ゲーム作りには最適だったからだ。
実際そのお陰で版権許可もスムーズに進んだし、相手が石油王の家系が故に日本特有の忖度やしがらみに邪魔される事もなく運営する事ができた。
だが、ニコライと彼に犬笛で率いられた倫理的に正しい人達達はそれに目をつけた。
SEOの有料サービス、並びに出資に使われるカード会社に圧力をかけ、SEOへの通貨取引をストップさせたのだ。昔、ある女性団体がポーランドにてアダルト雑誌を廃刊させた時と同じやり方だ。
いくら石油王とはいえ、出資手段を断たれてはどうしようもなく、ユーザーも課金の手段を大幅に失ったSEOはやがて運営の手段を失い………………
それが3年前。
予期しない最悪の形で、歴史的MMOは終わりを告げた。
予定していたコラボや現実とゲーム内でのイベントは当然全て立ち消え、恩恵を受けていた企業や団体の経済損失額は数億にも及び、倒産廃業に追い込まれたものもあった。
ユーザー側からしても人生の一部となっていたSEOを何の前触れもなく奪われたが故に、ニコライの蛮行とも言えるやり口に対して批判が巻き起こる事となる。
が、ニコライは彼等の抗議に対して
「現実から目を背け、バーチャルの世界に引きこもるからそんな狭い考えになる。もう楽しいゲームは終わって、人生と向き合う時間なんだ。大人になりなさい」
と一蹴。
道徳的にも社会的にも優れたニコライにとって、ユーザーやスタッフの嘆きも怒りも、子供のメンタルのまま大人になった情けない連中の言い訳にしか聞こえなかったのだ。
……………一説には、SEOの存在を疎ましがった権力。主にゲームに時間を割かれて視聴率を失う事を恐るオールドメディアが絡んでいるという都市伝説があるが、真相は明らかになっていない。
***
九郎太は布団で横になる。疲れているからだ。精神的にも、肉体的にも。
再び精神薬を飲んだ九郎太は携帯内のアプリを起動し、中にある音声データを再生する。流れてきたのはSEOのBGMで、海岸エリアで流れるアコースティックサウンドとオルゴールを合わせた優しい曲。
辛いときはこれを聞くようにしている。目を閉じれば、もう会う事もない「彼女達」に会えるからだ。
「……………みんな」
これを聞けば頑張れる、なんて物ではない。
既に限界を迎えた心を麻痺させてだましだまし使う為のものだ。
実際、笑っている「彼女達」にはもう触れる事もできないし、話す事もできない。
「………会いたいよ」
「彼女達」だけではい。同じユーザーにも友達が居た。
悲惨な現実を持つ九郎太でも、そこに行けば友達がたくさんいた。
だが、もう会うことはできない。
負のノスタルジーが九郎太のブツブツの頬に涙を走らせた時、ピンポーンと部屋のチャイムが鳴る。
「ぴぃっ!?」
いきなりの事に間抜けな叫びを挙げる九郎太。
現実はアニメや漫画のようにシチュエーションを守ってくれないんだなと改めて考えながら、九郎太は立ち上がり玄関に向かう。
…………その間考えた。そも、チャイムを鳴らしたのは誰だろう?と。
宅配便を頼んだ覚えはないし、送ってくる宛もない。
よくある「玄関開けたらいる人」かな?と思いながら、九郎太は慣性で何も考えずにドアを開く。
「はーい、誰です………か………………」
九郎太は己の無防備さ、迂闊さ、用心浅さを心の底から後悔した。
「おう九郎太、来たぞ」
一番会いたくない、会いたくないから逃げた相手が目の前にいた。