第9話 力の使い方
「力の使い方」
カイルは、シャマリの言葉を反復した。
「もちろん、君がそれを望むのなら、という前提ではあるが……」
シャマリが上体を引いて腕を組む。
そして、少し口を一文字にしてから、あらためて言葉を紡ぐ。
「現代の悪魔は、私が知る悪魔よりもずっと弱いようだ。君が望めば、私と共に悪魔の支配に終止符を打ち、大陸中の人間達に自由をもたらすことが出来るはずだ」
「自由……」
現実味のない言葉だった。
自分にとっても、ハンナにとってもそうだったろう。
それを望んだその日のうちに、自分たちは離れ離れになった。
夢で見たハンナは後姿だった。
顔を思い出そうとすると、腫れあがって、黒ずんだ、光のない目をしたハンナの顔が浮かんでくる。
「……カイル?」
ごぅ、と静かに音を立てて両手から銀のほむらが立った。
「俺が欲しいのは、人間に自由をもたらす力じゃない」
頭に血が上る。
ひりひりと、額に熱が溜まる。
「悪魔に復讐する力だ」
伝う涙を拭おうともせず、カイルはシャマリを見据えて言った。
シャマリは無言のままそれを受け止め、深く頷いた。
「――何も言うまい。それをするだけの権利と、そして力が、君には備わっているのだから」
それだけ言うと、シャマリはスッと立ち上がり、建物の奥へと歩いて行った。
先にあったテーブルには、雑多に積み上げられた武具らしき影があった。
その中のひとつを取り上げ、シャマリがカイルの元へ戻ってくる。
テーブルの上に音を立てて置かれたのは、剣だった。
赤銅色の鞘に納められて、直線的な銀の柄が輝く。
柄の先には、透明な美しい石がはめ込まれている。
「学ぶべきことは三つある。すなわち、剣、術、そして光だ」
「剣、術、光」
繰り返すカイルに、シャマリは微笑んで頷く。
「悪魔を切り裂く剣を教えよう。魔法の極意を授けよう。そして、君の中に宿る光を力に変える術を伝えよう。来たまえ」
シャマリが建物を出て行く。
カイルはテーブルの上に置かれた剣を手に取った。
ずっしりと重い。
強く握りしめて、カイルはシャマリに続いた。
シャマリについていくと、たどり着いたのは開けた場所だった。
「ここは、かつて天使達が戦闘訓練に明け暮れた修練場だ。向こうの建物を寝泊まりに使うといい。とは言っても、君が居た世界と違って、天界には夜はない。睡眠は適時とってくれ」
さらにシャマリは別の方を指さして言葉を次いだ。
「向こうにはたくさんの果樹がある。天界に生る植物はどれも命が凝縮した食物だから、自由に口にして構わない。さて」
言いながら、シャマリが腰の剣を引き抜く。
スラァッ、と金属が滑らかにすべる。
「人の命は短い。早速、実戦形式で習得してもらうぞ」
カイルの修業が始まった。
これまでに持ったことのある道具といえば、大規模農場で持たされる、切れない石包丁くらいだったカイルにとって、金属の剣はひどく重かった。
剣に振り回され続けて、カイルはいくつもの切り傷をつけられた。
だが、痛みは苦にならず、むしろ慰めに思えた。
ハンナが味わった痛みや屈辱を思えば、自分が生き延びていること自体が罪に思えたからだ。
この痛みはハンナを死なせてしまった罰なのだと思えば、なんでもなかった。
「今はまだ、剣を異物として感じるだろうが、やがて腕の延長だと思えるようになる。振り続け、受け続けろ。剣の道に近道はない」
シャマリの剣は速すぎて、初めの内は刃が肌に触れてからようやく攻撃に気づいたくらいだった。
しかし、カイルの体が、使役される奴隷から敵と切り結ぶ戦士へと変貌するにつれ、カイルは天使の斬撃を体から遠いところで受けられるようになっていった。
「吸収が早い。人間というのは、みなこれほどまでに学習が早いのかな?」
日々驚嘆の色を浮かべるシャマリに、カイルは慢心することなく食らいつき続けた。
腕の力が失せかけるたびに、鼠頭の悪魔を思い浮かべて剣を握りなおした。
都度、「無闇に銀の火を出すな」とカイルに指摘された。
「心の動きと魔法の行使は密接に関わっている」
魔法の訓練は、剣術修行の合間に行われた。
「魔法とは、自分の中に宿る光気、あるいは瘴気に指向性を与えて外に放つ技術だ。それを実現するためには、自分の中の光気を輝かせる技術と、極めて高い集中力が必要となる。条件が満たされれば、紡ぐべき言葉は自然と口から流れ出る」
シャマリは言葉を発した後、遠くにある大岩を指さした。
小屋くらいはある。
「炎よ。寛恕無き獰悪の抱擁を成せ」
唱え終えたシャマリの指先から、太陽のように輝く火球が生じ、シャマリの斬撃と同じかそれ以上の速さで飛んでいく。
見事命中したかと思うと、途端に火球は爆発し、大岩を粉々にした。
「これが『火球』の魔法だ」
本来はな、とシャマリは笑った。
「本来、火球の魔法は今のように爆発を伴う高熱の塊を放つものだ。だが、現代の悪魔達が使った火球の魔法は、もはや児戯だったな。」
「そういえば、悪魔が放った火の玉が何発か当たったけど、あまり熱くは感じなかったな」
「本質を忘れてしまっては、形だけなぞっても意味はない。牽制や遊戯にはいいだろうが、戦う術にならん」
カイルはあらためて、シャマリの火球が当たった大岩を見た。
跡形もない。
もしも悪魔達がこの威力の魔法を使えていたら、自分はシャマリに救われる前に死んでいただろう。
「魔法は他にいくつもある。一通りを覚えるぞ」
ある日、シャマリは光沢のある巻物を広げ、これはなんの魔法、こっちはなんの魔法と説明した。
「気分が悪くなる毒霧の魔法……こんなものが、戦いの役に立つのか? 言葉を紡いでいる間に近づいて斬った方がいいんじゃないか」
「こちらが使わずとも、相手が使うことはある。知っていれば対抗策もあるが、知らなければ手の打ちようがない。そして戦いとは、基本的に常に初顔合わせの連続だ。知識こそが最大の盾となる」
シャマリはカイルの疑問に必ず丁寧に答え、実際の戦いにおいてはどういう場面があったかを細かく話した。
カイルが伸びた銀髪を切って整えるのが四回目くらいになると、カイルは一通りの魔法を知識とすることに成功していた。