第8話 はかなきもの
やがて、彼らは子を生した。
「希望のテクヴァ」と「愛のアハヴァ」と名付けられた双子は、天使と悪魔、双方の力を宿す超常の存在だった。
彼らは互いに宿る力を用いて、境界地セファに次々と新たな命を創造していった。
中でも「はかなきもの」と名付けられた生き物は、その身に光気と瘴気を宿し、膠着した戦いに終止符を打つ可能性を秘めていた。
彼らを取り込んだ側が勝利を収める……そう考えた両軍は、双子を手中に収めんと境界地セファに押し寄せた。
――あれが間違いだった。
少なくとも我ら天使は、かの地に踏み込むべきではなかった。
楽園を侵された彼らは、必死に戦った。
その結果、「開く者イフタハ」は命を落とした。
「夜陰のライラー」は、境界地セファに手を出さぬことを条件に戦線への復帰を申し出た。
「じゃあ、その三至天は欠けてしまったのに、三大悪は揃ってしまったのか」
そうだ。
三至天の一翼が失われた天使の軍勢は、三大悪が揃った悪魔の軍勢に敵わなかった。
双子らを味方につけることも叶わず、天使の軍勢はあっという間に瓦解し、天界は見る影もなくなった。
天界は、例え逃げ延びた天使がいたとしても再会するには広大すぎた。
事実上、天界は滅びたのだ。
そして、悪魔達は「夜陰のライラー」との約を違えた。
境界地セファをも支配すべく攻め入ったのだ。
「はかなきもの」が結託して、地獄を脅かす存在になることを恐れもしたのだろう。
悪魔達は武力にものを言わせて「はかなきもの」を支配下に置き、彼らを奴隷と化した。
「まさか、俺達人間って……」
そう。
君達人間はみな、「はかなきもの」の末裔なのだ。
本来は光気と瘴気、両方の力を宿しているはずが、長く悪魔達の支配を受ける内に光気の存在を感じ取れなくなってしまった。
瘴気を強く宿すものだけが魔法を使える、という認識が広まっているようだが、実際は違う。
そうでない者も、本来は光気を用いることで魔法が使えるはずだ。
だが、人間は悪魔の奴隷となり果ててしまい、かつて境界地セファと呼ばれた地は、名もなき大地となって今に至る――
「これが、君達人間が悪魔の支配を受け、奴隷として生きざるを得なくなった経緯だ」
そう言って結び、シャマリは深く息を吐いた。
あまりにも途方のない話に、カイルは固い唾を飲みこむ。
自分達が悪魔の奴隷であることに、理由があったなんて、考えたこともなかった。
ただはじめから、そういうものだと思い込まされていた。
でも、と浮かんだ疑問があった。
「シャマリは、人間のような見た目をしてる。だから、俺達人間の始まりだと言われたら、分かる気はする。でも、悪魔の姿は、俺達とは全然違うじゃないか。鼠頭、狐頭、虎頭、見たことはないけど他の頭の悪魔もいると聞いたことがある。それなのに、やっぱり人間の始まりの片割れなのか?」
「かつては、悪魔も我々と同じような姿だったのだ」
シャマリは首を振って、言葉を次いだ。
「世代を重ね、時を経るごとに、悪魔はあのような姿になっていった。古い時代の悪魔達の姿を思えば、今の時代の悪魔達の姿は歪だと言わざるを得ない」
カイルは小さく相槌を打ちながら、次々と沸いてくる疑問のどれから尋ねるべきか悩んだ。
聞きたいことが、あまりにも多すぎた。
「人間は、瘴気だけじゃなくて、光気という力でも魔法を使うことが出来るのか?」
「本来は、そのはずだった」
シャマリが首を振る。
「しかし、幾星霜とも呼べる悪魔の支配を受け、人々の心からは光が消えてしまっている。虐げられることに慣れ、希望を持てなくなってしまっている。そのことは、きっと、私よりも君の方が実感としてもっているのではないか」
いくつもの心当たりにたどり着いて、カイルは目を伏せた。
舞台の上から見た、生気のない奴隷達の顔が思い出された。
「だが、私は諦めなかった。「はかなきもの」としての力に覚醒し、光気を用いることのできる人間が生まれる日を、「いと高き山」でずっと待ち続けた。そして、ついに君が現れたのだ」
シャマリは、輝く金色の双眸でカイルを見た。
「遠方に居ながらでも、はっきり分かった。懐かしい、強烈な、目の覚めるような光の輝きだった。私は久しく広げていなかった翼で飛び、君の元へ降り立ったのだよ」
シャマリの顔が気色ばむ。
やはりシャマリは人間とそっくりだ、とカイルは小さく笑った。
「それじゃあ、シャマリも、あんな風に銀色の炎を?」
カイルの問いに、シャマリは優しく微笑んでから、首を横に振る。
「あれは『固有魔法』と呼ばれる魔法だ。君の光気による、君だけに許された力。私のものは、まったく違うものだよ」
ただ、とシャマリが続ける。
「君のあの力は、私が知る限り、ありとあらゆる固有魔法の中でも特別強力なものだ。残り二人の三至天「統べる者ツェマク」「救う者ドキシア」ですら、瞬時に悪魔を滅殺するような力はもっていなかった。だが、その分、反動も大きいらしい」
首を傾げるカイルに、シャマリはまた微笑んだ。
「君は、人間の時間でいえば一週間は眠り続けていたのだぞ。もちろん、疲労、怪我、消耗など要因は様々にあるだろうが……なんにせよ、君は力の使い方を学ぶ必要がある」




