第3話 くすぶり続ける怒り
夜明けよりも早く起きて、カイルは小屋の近くの林へ向かう。
「よぉ、若いの」
先客がいた。
働かされている農場は別々で、互いに名前は知らないが、顔はよく知っていた。
眠そうに目元を擦りながら、髭の男は言葉を次ぐ。
「相変わらず早起きだな」
「寝ていたいのは山々だけど、配給される食糧だけじゃ体がもたないからな」
カイルも苦笑して応えた。
本来ならば年上として言葉遣いを考えるべきだが、奴隷同士は気遣い無用という暗黙の了解がある。
ちらと見ると、男の手にはいくつかの野草が握られていた。
「すまんが、ここいらの食えそうなものは粗方とっちまったぞ」
いささか申し訳なさそうに髭の男は言った。
カイルは首を振る。
「別を探すさ」
「狩りでもするつもりか」
小さく驚きの色を浮かべた男に、カイルはまた首を振った。
「あれは、もう懲りた。前に角兎を数人で追いかけまわして、結局取れずじまいだったろう」
「魔法でも使えれば、簡単に獲れたんだろうけどなぁ。まぁ、そもそも魔法の素養があるなら、労働奴隷なんかじゃなく、もっといい身分でいられるわな」
じゃあな、と結んで、男は林から出て行った。
カイルは自分が知っている野草のポイントを巡り、それらに手が付けられていなかった幸運を喜び、小屋へと帰った。
奴隷に与えられている火おこしの道具――魔法が扱えない者でも簡単に火を起こせる、魔石仕掛けの道具――を使って、貯めた水を沸かす。
「配給よ」
野草を煮ていると声がして、顔を上げると赤毛の女が立っていた。
たしか、ハンナと同じ館で暮らしているシグラという女性だ。
彼女から形の悪いパンを受け取って、カイルはまた野草を見る。
色が変わるまでしっかりと火を通さなければ、毒が抜けないからだ。
「――――?」
カイルは、シグラが少し離れた所で自分を見ていることに気づいた。
なぜすぐに立ち去らないのかと訝しんでいると、シグラはやがて踵を返して次の奴隷小屋へ向かったらしかった。
気にするほどのことでもないか、とカイルはパンをひとかじりし、野草の色を確認した。
毒々しかった紫色は、鮮やかな黄緑色に変わっていた。
磨いた何かの骨を器用に使ってそれらを掬い、口に放る。
味はひどいが、確かな生きる糧だ。
毎日が、この繰り返し。
時折変化があっても、喜ばしいことはない。
ただ、それでも、ハンナの顔を思い浮かべると顔が前を向いた。
「行くか……」
朝食を平らげ、出来損ないの鍋を小屋にしまい、腰布を巻き直す。
舗装されていない道を通って、大規模農場の入り口へ向かう。
そこには、繰り返しだったはずの朝とは違う光景があった。
「どうしたんだ?」
農場入り口の手前に出来た人だかりの、一番後ろの男にカイルは声をかけた。
「いや、俺らも分からんのだ。何か、今日は別の場所で働かされるらしい」
「聞けぃ、人間ども!」
鞭を持った鼠頭が、いつもは見張りが立ちっぱなしの台に姿を見せた。
「今日は、貴様らに特別な仕事を与える! それは、街の中央広場、および中央通りの石畳磨きだ!」
奴隷達は一瞬どよめくが、鼠頭が鞭を唸らせてそれを制した。
「ここヒータヘーヴ地方の領主であらせられるフーシュラ様が、夕方お見えになる。フーシュラ様は鼠頭の悪魔の出世頭、我らの憧れの存在である! かの方の視察が満足のいくものになるよう、貴様ら人間は街の美化に尽力するのだ! さぁ、行けぃ!」
雑にばらまかれた布切れを受け取り、カイルは街へと向かう。
布切れは、自分の腰巻よりも上等に見えたが、長さが足りなさそうだったので取り換えるのはやめた。
人波に合わせて、カイルは歩みを進める。
たどり着いたのは、中央広場と呼ばれる場所だった。
「街の中央に入れるなんて、驚きだな」
近くにいた奴隷が呟いた。
話しかけられたらしいもうひとりの奴隷が答える。
「労働奴隷では初めてかもしれんな。冥土の土産話にいいかもしれん」
「見ろよ。あれは、何かの舞台か? 見世物でもするのかね」
「大通りも、大した賑わいだな。まだ早い時間だってのに」
ぶつぶつ言い合いながら、ふたりは石畳を磨く作業に取り掛かり始めた。
カイルも、人がいないスペースを探して磨き始める。
広場はあまりにも広く、奴隷が大勢いるとはいっても途方もない時間がかかりそうだ。
とても一日程度では終わらないだろう。
「働きぶりが認められた者には、特別な配給を与えるぞ! 力を入れて石畳を磨くのだ!」
莫迦莫迦しい。
カイルは、これまでに与えられた『特別な配給』を思い出して胸の内を濁らせた。
新品の首輪、穴の開いた鍋、悪魔の子供が使う剣の形の玩具。
どれも、生きていくために必要なものですらない。
今回も、愚にもつかない結果が用意されているに違いないのだ。
もしかすると街中にいるはずのハンナを一目見れるかもしれない、という淡い期待が叶うこともなく、時間は無慈悲に流れていった。
「ようし、フーシュラ様が街にいらっしゃる時間が近付いてきた! 汚らしいものをお見せするわけにはいかんから、お前たちは小屋に戻るがいい! よかったな、普段よりも長く休めるだろう? これが特別な配給だ、チチチチチ!」
ほらな。
カイルは表情に出さないまま、胸中で悪態をついた。
四つん這いになり続けて、膝を擦り切らし、血を出して、往来を行く妙な頭をした悪魔どもに嘲笑され続けて働いた結果が、これだ。
くすぶり続ける怒りを懸命に封じ込めて、カイルは小屋に帰った。
夕方というにも少し早い時間で、配給まではまだ時間がある。
獣狩りに挑戦してもいいかもしれない。
だが、長時間同じ姿勢をとり続けていたせいで、筋肉が固い。
明日からの作業を考えると、まずは休むのが先決だろう。
カイルは藁を敷いただけの粗末な寝床に横になって、うとうとまどろんだ。
「カイル」
眠りを妨げたのは、聞き慣れた可憐な声だった。




