第24話 砦の中は
「ミゲット!」
「分かってる!」
シャマリの声が響くと、ミゲットが翼を羽ばたかせて中空に飛び上がった。
「攻撃隊はこのままカイルに続いて! 守備隊本部を叩き、装備を獲得せよ!!」
ミゲットの号令に、人間達は大きく叫んで応える。
「解放隊は私に続け! 集団居住地を解放し、味方を増やす!」
シャマリの号令にも、人間達は大きく叫んで応える。
往来の悪魔達は、そのほとんどが血をまき散らして倒れている。
泣きじゃくる姿も目に入るが、抵抗の意志を示している者はいないように見えた。
カイルはあらためて剣を握り、悪魔の守備隊が居を構える本部への道を駆け出した。
「レクア! カイルをひとりにしないで!」
ミゲットの声がする。
しかし、カイルはレクアの影を確認しないまま、『跳躍』の魔法を連続させた。
グングンと風を切って進み、石造りの砦のごとき建造物にたどり着く。
「来た、来たぞ! 人間だ!!」
「撃て! 魔法を投射しろ!」
連なる石壁の向こう側から、大勢の悪魔達が弓や槍を構えてカイルを待ち構える。
門扉は閉ざされ、正面から突破するのは難しそうだが、上には大勢の悪魔がいる。
瞬間的にこちらへの意識を逸らし、飛び込んで、敵を斬るのがよさそうだ。
カイルはシャマリに教わった魔法のひとつ、『空耳』の魔法を唱える。
「嗤笑と呻吟を諳んじよ」
音だけを発生させる魔法だ。
光気の消費が少なく、カイルが『銀の断末魔』を発動させながらでも行使できる数少ない魔法の一つだった。
敵の後方で爆裂音がけたたましく響く。
実際に爆発は起きていないのだが、悪魔達は身を強張らせて後方に目をやった。
その瞬間、カイルはさらに『跳躍』の魔法を唱えて高く跳ぶ。
「に、人間はどこだ、どこにいッ――」
血しぶきを上げて首が飛ぶ。
その血も銀の火花に触れて消える。
「オオッ!!」
短く雄たけびを上げて、カイルは剣を振る。
悪魔の腕を飛ばし、胴体を薙ぎ、頭を払った。
火球や雷矢は当たるに任せた。
初めて抵抗した、あの舞台の上よりもずっとマシだ。
鎧があって、剣があって、味方がいる。
「う、うわぁぁっ!!」
「無理だ、殺されちまう!」
「嫌だ、お前が行けよ!」
震える声の中を、カイルの剣閃が走り続けた。
やがて、砦を囲む壁からは人影が消えた。
守備隊として配属されているはずの者は、少なくとも、砦からみな姿を消した。
「カイル!!」
長く息を吐くカイルの耳に、細い天使の声が届いた。
ミゲットが舞い降りて、カイルの正面に立つ。
直後、ミゲットの両手がカイルの両頬をぺしっと挟んだ。
「突っ込みすぎ!」
険しい顔をして、ミゲットがカイルを見据える。
「でも、うまくいった」
「そうだけど……」
口を一文字にして、ミゲットが眉間に皺を寄せた。
「よし、扉は開いた! 鎧兜を奪え、すぐ着けろ!」
壁の下で声が響き、続けて、人間達がなだれ込んでいったのが分かった。
「短期決戦なんだろ」
カイルははっきりと言い、ミゲットを見つめ返した。
ミゲットは表情の険しさはそのままに、小さく頷く。
「ええ、そうよ――だから、今すぐ、少しでいいからレクアの治癒を受けなさい」
言われたカイルは、きょろきょろと周りを見た。
そこへタイミングよく、レクアが階段を駆けあがってきた。
肩で大きく息をしながら、カイルを見て笑顔をつくる。
「ま、間に合った、かな……?」
ふぅ、と大きく一息吐いて、レクアは目を閉じた。
杖の先の夕日色の水晶が、淡く光り始める。
ぼわぁっ、と広がった光に包まれると、カイルは光気を消耗したあとのけだるさが僅かに軽減し、体の重さが和らぐのを感じた。
「どう?」
ミゲットが言う。
「楽になった。自分で思ってるより、消耗してたかもしれない」
カイルの言葉にため息をついて、ミゲットが口を開く。
「当たり前でしょ。防御の魔法を使ったといってもすべての攻撃を無効化してるわけじゃないし、固有魔法を使いながら何度も魔法を使ったでしょ。離れてても、波動で分かってるのよ」
カイルはわずかに表情を暗くして小さく頷く。
その不承不承とした様子に、レクアがプッと声に出して笑ってしまった。
二人がレクアを見る。
「ご、ごめん。なんか、お母さんに叱られてる小さな子みたいだな、って思っちゃった」
「あながち……って感じよね、この調子じゃ。カイル、途中であなたに倒れられたらまずいのは分かってるでしょうね。思うところあって先陣切るのはいいとして、例の鼠頭の首はまだ先なのよ」
カイルは大きく頷いた。
「ああ。もちろん、まだ倒れるつもりはないさ」
「ミゲット! おお、カイルとレクアもいたか。ちょうどいい」
駆け上がってきたのはレクアやヌカタとは違う宿舎で中心となっていた男だった。
見慣れたよれよれの衣服の上に、何かの動物の皮をなめした黒光りする鎧を装着していた。
さらに、手には新品のように輝く長剣を持っている。
「見てくれよ、悪魔ども、かなりの装備品を置き去りにしてたぜ。よほど慌てていたらしい」
「逃げ遅れた悪魔は?」
ミゲットが問うと、彼はニッと笑った。
「もちろん、皆殺しさ。守備隊の男はほとんどいなかったが、ここで働いている女悪魔なんかはいたからな。みんな手当たり次第に魔法で攻めて、砦の中はぐちゃぐちゃだぜ。そりゃもう、すごいもんだ!」
その言葉に、ミゲットは顔をしかめた。
「――っと、善の存在である天使の前で言うべき言葉でもなかったか。まぁ、とにかく、ここは制圧した。次はいよいよ、領主の宮殿に攻め込むんだよな?」
「……ええ。大通りに集合して、隊列を組みなおして。指示をお願いできる?」
「おお、任せとけ。むしろ、先走らせないように止めとく方が難しそうだから、早く来てくれよ!」
男が勢いよく階段を下りていく。
それを見送るミゲットの表情は固かった。
「――カイル、レクア。ひとつ、聞いてもいい?」
ミゲットの問いに、二人は小さく頷く。
「さっきの彼の言葉を聞いて、どう思った?」
短い沈黙が流れる。
先に言葉を紡いだのは、レクアだった。
「――どう答えていいのか、分からない。ただ……ただ、胸が苦しい。砦の中を見るのは、怖い」
険しい表情で口をつぐんだレクアを見て、カイルが口を開く。
「俺は何も。ミゲット、俺に、俺達人間に、何を望んでるんだ。悪魔に大切な人を汚され、奪われ、殺されているのに、悪魔に慈悲を持つとでも思ってるのか」
「――いえ。そうじゃ、ないわ」
「下に行ってるぞ」
カイルは小さく言って、魔法は使わずに階段を下りた。
その姿が見えなくなってから、レクアは沈痛な表情で口を開いた。
「ミゲットも……ミゲット達天使も、ああやって、笑って悪魔を殺してきたの?」
「いいえ。私達天使は、討った悪魔も最後には弔ったわ。ただ、悪魔達は、天使の骸を自分達の慰みとして利用することもあった。今、人間がしている行為は、悪魔のそれを思い出させるわ」
ミゲットは自らの翼で体を包むように前に寄せた。
そしてそれを撫でながら、レクアを見て言葉を次ぐ。
「あなたたち人間は、天使と悪魔、両方の魂を引き継いでいる。両方……のはずよね」




