第6話 カッパとすもう
「行ってきまーす!」
ある晴れたお休みの日。桃田ヒロは、家のすぐ近くにある裏山へ向かう。
桜はすでに散り始めているため、道中には花びらがたくさん落ちている。
「もう来てるかな」
ヒロは、山の入口からまっすぐのびる一本道をかけあがって行く。
登り終えた頂上には、一人の女の子が大きな木の下に立っていた。
ヒロは息を整えてから声をかける。
「おはよう、鬼丸さん」
女の子がふり返ると、頭にまかれたオレンジ色のバンダナもいっしょにゆれる。
彼女の名前は鬼丸あかり。小学4年生のヒロのクラスにやってきた転校生だ。
「おはよ。早かったね」
「また妖怪に会えるって聞いたから。できるだけ急いで来たんだ」
「きみって本当に妖怪が好きなんだね。やっぱり人間っておもしろい」
鬼丸あかりは人間ではない。
その正体は妖怪――鬼である。
頭のてっぺんには白い角が生えていて、周りに気づかれないように髪の毛とオレンジ色のバンダナでかくしている。
いつもは妖怪の住む世界で暮らしていて、平日は人間の子どもと同じ小学校に通っている。理科や体育が好きで、クラスでは生きもの係を任されている。
ヒロはそんな彼女の秘密を知る、ただ一人のクラスメイトなのだ。
「でも本当にいいの? 人間のぼくが妖怪の世界に入って怒られない?」
「大丈夫。お父さんやお母さん、他のみんなとも相談して、きみなら遊びに来てもいいと言ってもらえたから。思いきり怖がらせてやるから覚悟しろって言ってたよ?」
「そんなこと言われたらもっとワクワクしてきちゃった。どんな妖怪に会えるんだろ」
さっきはあんなことを言ったけれど、本当は早く行きたくて仕方なかったのだ。
少し前まで鬼丸は、ヒロとうまく話すことができなかった。
クラスで『モモタロウ』というあだ名の彼に退治されるのではないかと怖がっていたからだ。
それでも、ある事件をきっかけに誤解がとけて、今ではすっかり仲よしだ。
「じゃあ手をつなごう。あたしがいいって言うまで手をはなしちゃダメだからね?」
「わかった。今日はよろしくね」
鬼丸が出した手をヒロはしっかりとにぎる。
すると、行き止まりだったはずの場所に新たな道が現れた。
大きな木々が立ち並び、背の高い草が生い茂っている。木のかげや草むらには、なにかがひそんでいそうな空気がただよっているようだ。
思わずヒロは息をのむ。それから感じたことをつぶやいた。
「不思議だなあ。あれからぼくも何度か来たけど、いつも行き止まりだったのに」
「人間の目には見えないだけで、この道はいつもここにあるんだよ」
「じゃあ、今こうして見えるようになったのは、鬼丸さんといっしょだから?」
「うん。妖怪は人間の世界へ自由に行き来できるけど、人間が妖怪の世界へ入るには妖怪といっしょじゃないとダメなの」
人間の世界にルールがあるように、妖怪の世界にもルールがあるらしい。
ヒロは、また不思議に思ったので聞いてみる。
「この前は、ぼく一人でも道を見つけて入ってこられたよね?」
「あの時はお守りを持っていたから。お守りの中には、お父さんの角が入ってたでしょ。妖怪からもらったものを身につけていると、それが通行証の代わりになるんだよ」
「そうなんだ。おもしろいなあ」
「これからもっとおもしろいことがあるからね。楽しみにしていて」
「うん!」
鬼丸が教えてくれる妖怪の世界の話は、ヒロの心をはずませる。
今まで読んできた本にもそんなこと書かれていなかったから。
もっとたくさん、もっとくわしく知りたくなってくる。
もしかしたら、鬼丸以外の妖怪も人間の世界へ遊びに来ているかもしれない。
どこかの道で知らないうちに妖怪とすれちがっていたり、おばけ屋敷で働いている人が実は本物のおばけだったりする可能性もある。
ヒロと鬼丸が話をしながら歩いていると道ばたにベンチが置かれていた。
そこは、つい先日まで細くて背の高い木が立っていた場所だ。
「鬼丸さん。これって、かまいたちさんが切りたおした木だよね」
「気づいた? そう。あの木で作ったベンチだよ」
ヒロが妖怪の世界と鬼丸が鬼だと知るきっかけとなった事件。
何者かによって木が切りたおされて、たまたま近くにいた鬼丸が疑われてしまった。ヒロは、その疑いを晴らしたことで彼女と仲よくなることができたのだ。
「座ってもいい?」
「もちろん」
板の表面がけずられていてきれいな木目が見える。手を置くとなめらかな触り心地だ。ヒロと鬼丸がいっしょに腰をかけてもまったくゆれない頑丈な作りになっている。
「あの木がこんなにしっかりしたベンチになるなんてすごいね」
「うれしいな。これを作ったのは、あたしのお父さんなんだよ」
「え? 鬼丸さんのお父さんが?」
ヒロは、その姿を頭の中で思いうかべる。
鬼丸の父親とは、トラ柄のパンツをはいた金棒をかついだ大きな鬼だろうか。
太くて鋭い角や熊やイノシシを丸ごと食べてしまう大きな口もあるかもしれない。
「鬼丸さんのお父さんは、いつもどんなことをしてるの?」
妖怪好きのヒロでもさすがに怖くなったのか、体がほんの少しだけふるえた。
「みんなの家を建てたり直したり、畑で野菜を育てたり川で魚を釣ったり。でも休みの日は、家でごろごろしてるからお母さんによく怒られてるよ」
「あはは。うちのお父さんといっしょだ」
ヒロの頭にうかんでいた怖い鬼の姿は、すぐに消えていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ベンチをはなれて歩いて行くと、どこからか水の流れる音が聞こえてきた。
歩を進めるほど水の音は大きくなり、前方にきれいな川が見えてきた。
「わあ。裏山にこんな大きな川があったなんて知らなかったよ」
「おどろくのはまだ早いよ。そろそろ手をはなしてもいいからね」
ヒロと鬼丸は、手をはなして川に近づいていく。
水面には、今まで見たことのない緑色の生き物がたくさんうかんでいる。
「あれはなんだろう。カメにしては大きすぎるし、まさか……ワニじゃないよね?」
「なんだろうね。きっとすぐにわかると思うよ」
ヒロがあれこれなやんでいる横で、また鬼丸はからかうように笑っている。
「カッカッカッ! お前の尻子玉を抜いてやろうかあ!」
突然、川にうかんでいた緑色の生き物が水しぶきをあげながら陸に上がってきた。
「カッパだ!」
ヒロは、その姿を一目見ただけで正体に気づいてさけんでいた。
カッパとは、背中に甲羅、頭には皿がある、全身緑色の姿をした妖怪だ。川や沼などの水辺に住んでいて、水かきのついた手足で自由に泳ぎ回ると言われている。
「本当に頭に皿がある! あ、まだ川の中をたくさん泳いでる! とっても速いね!」
ヒロは、一つ目小僧と出会った時と同じくらい興奮しながら話す。
「カッカッカッ! やっぱり怖がらなかったか。うわさには聞いていたが、めずらしい人の子がいたもんだな」
カッパはくやしそうな口ぶりだが、まったく残念そうではなかった。
「今日は、お前さんに頼みたいことがあって呼んだんだ。あれを見てくれ」
カッパは、くちばしを茶色い地面に向けた。
そこには丸い円が描かれていた。
円の真ん中には、短い直線が二本走っている。
円の外には小さな箱が両側に置いてあり、それぞれ白いものが山盛りになっている。
「これはなに?」
鬼丸が首をかしげながら聞いてきた。
ヒロが白いものに鼻を近づけると、しょっぱい香りがした。
「たぶん塩だね」
「塩? 今日は料理でもするの?」
鬼丸は、よくわからない、と言いたげに首をさらにかしげた。
「鬼の子は知らないようだな。人の子はどうだ?」
「わかったよ、カッパさん。今日は、すもうをやるんだね」
「カッカッカッ! 正解だ! おれたちカッパは、すもうが大好きだからな!」
ヒロは、よく祖父といっしょにテレビですもうを見ているから知っていた。
大きな円は土俵といって、すもうをとるための場所だ。
二人で組み合い、相手を転がしたり土俵の外に出したりした人が勝ちである。
「すもうってどすこーいどすこーいってやつでしょ? どうして塩が必要なの?」
人間の世界のことを勉強中の鬼丸は、両手を前に突き出しながら聞いてくる。
「すもうを始める前に土俵にまくんだよ。塩には、清めの効果があるからね」
すもうをとる土俵は神聖な場所である。そこに塩をまくことで神聖さを保つ。また、転んでケガをした時にバイ菌が入らないようにするためという説もあるらしい。
「塩まで用意するなんて本格的だね」
「砂かけばばあが分けてくれたんだ。最近は漬物作りにハマっているそうだからな」
「マイブームってやつだね。それで、ぼくはなにをすればいいの?」
「お前さんには行司をやってもらいたい。今日はおれたちカッパのすもう大会なんだ!」
いつの間にか川を泳いでいたカッパたちが続々と陸に上がってきていた。
人間の大人ほどの大きなカッパもいれば、子どもと同じくらいの背たけのカッパもいる。みんなやる気満々といった風に準備体操をしたり、しこをふんだりしている。
「その前にどうだ。お前さんもすもうをとってみないか?」
「え、ぼくが?」
妖怪の本にもカッパは人間とすもうをとることが好きだと書かれている。
けれどヒロは、すもうのルールはなんとなく知っていても一度もやったことがない。
「せっかく妖怪の世界に来たんだからやってみなよ」
「カッカッカッ。尻子玉は取らないから安心しろ」
「じゃあ、ちょっとやってみようかな」
鬼丸とカッパに言われたヒロは、すもうをとってみることにした。
くつをぬいで見よう見まねでしこをふむ。
それから塩をまいて土俵にあがっていく。
「クエッ!」
反対側から対戦相手のカッパが来た。
けれどその子は、小学1年生よりも小さい。
「こんなに小さな子が相手でいいの?」
小学4年生のヒロが全力でぶつかったらどうなってしまうだろうか。
ケガをしないかと心配するヒロをよそに、小さなカッパは上手にしこをふんでいる。
そこにすもうの審判とも言える行司役の大きな体のカッパがやってきた。手には大きなヤツデの葉っぱがにぎられている。どうやら軍配のかわりらしい。
ヒロが片手をにぎって地面に置くと、対戦相手も同じようにして向かい合う。
「はっけよーい! のこった!」
開始の合図がされると同時に両者はすぐに動き出す。
「え? どこいった?」
目の前にいたはずの小さなカッパがいつの間にかいなくなっていたのだ。
右を向いても左を向いても緑色の姿は、どこにも見つけることができない。
「うわっ!」
口から声が出た時には、天地がひっくり返った。
ヒロは、背中を茶色い地面にべったりとつけて青い空を見せられていた。