行動~6
「でも動画配信についての打ち合わせを社内でする予定でしたね。そうなるとその三人以外に知る人達が増えるはずですから、今後は漏れると覚悟した方が良いかもしれませんよ」
「その辺りは厳選して、限られた人だけで動くそうです。それが誰と誰になるかまでは分かりませんけれど、事務所の幹部全員が信用できるかと言われれば、私も正直確信は持てません。大丈夫だと信じるしかないでしょうけど」
ネット通話をし、動画配信について打ち合わせをした時点で、こうしたリスクを抱えるだろうとは予想していた。それでも動いたのは、じっと隠れているよりはマシだと判断したからだ。結局、逮捕状が出るまでの時間稼ぎといった意味合いが強かった。
それに彼女が出頭する事態になれば、龍太郎達が匿っていた情報なんて遅かれ早かれマスコミが掴むだろう。よっていずれは取材攻勢を受けるだろうと、ある時点から腹は括っている。だから今更心配しても仕方がないのだ。
その為龍太郎は彼女の言葉を軽く受け流し、話題を変えた。
「それより明日の朝には赤坂先生が来られるでしょう。無事診察を受けられるといいですね。私はそっちがやや不安です。催眠術が解けているかもしれませんからね」
すると彼女は香織に聞こえないよう小声で言った。
「そうかもしれません。でも大丈夫だと思いますよ」
龍太郎も声を抑え答えた。
「そうでしょうか。香織が催眠をかけた事自体、私はまだ信じられません。昨日の夜に教わったばかりで、そんな簡単にできるものですかね」
「でも龍太郎さんは、実際かかっているのを見ていたのでしょう」
そう言われてしまえば頷くしかない。間違いなく赤坂先生は香織を診断する名目で、朱音の本名である斎藤あきの診察をすると言っていた。同行する看護師がそれに同意していたのも事実だ。
「だったら信じるしかありませんね。もしこの部屋に来た際、催眠が解けているようだったら私がかけ直しますよ。最悪なのは既に解けていて、警察に連絡をしている場合です。でもあの先生達ならそんなことはしないでしょう。少なくとも私の診察をした上で、出頭するよう説得してみようと考える人だと思います」
彼女はこれまで赤坂先生に何度か診察して貰っている。その際胎児が誰の子かは当然ながら、妊娠の事実さえ表に出さないと約束していた。そのような信頼関係があるからこそ、彼女がいる病院で出産する為にここまで来たのだと熱く語った。
「それなら余計な心配は必要ないですね」
「はい。例え催眠が解けていたとしても、目の前でしっかり説明をすれば理解して頂けるでしょう。だって何の得にもならない初対面の龍太郎さん達でさえ、こうして匿ってくれたのですから。お二人に言って頂いたように、少なくとも逮捕状が出るまでは母子の保護の観点から、守秘義務に基づいて判断してくれると私は信じています」
保護してくれただけでなく、一日余りの間に色々なアドバイスを受け、さらには病院の訪問診察の手続きまでしてくれた二人の行動力に感謝しているとまで彼女は言い出した。だからこそ、当初は確信を持てなかった赤坂達についても信じてみようと思えたらしい。
突然持ち上げられ、龍太郎は恥ずかしくなった。何故なら香織が匿おうと言い出さなければ、今のようには決してならなかったからだ。
覚悟はしている今でも正直な気持ちを言えば、マスコミに騒がれる事態を恐れている。これまで可能な限り他人との接触を避け続け、平穏な生活を心がけてきた。その努力は一瞬にして崩れ去るに違いない。
そうした騒動がどれほど続くか予想はつかないけれど、ストレスの溜まる状況に晒されることだけは確かだ。安息の日々がいつ取り戻せるのか。もしかするとそれさえ不可能になるかもしれなかった。
けれどこの期に及んで、彼女を放り出せるかと言えばそれも無理だ。もし平穏な日々に戻ることが出来たとしても、必ず後悔の念に苛まれるだろう。また香織との関係だって損なわれる。それはそれで精神的にも悪影響を及ぼすと予想できた。
ならば納得した上で火の粉を被るしかない。その方が心の健康にはよりマシな選択だ。弱い人間だから後悔はするかもしれない。それでも人としての矜持、または誇りは守れるのではないか。
そう思いつつネガティブな思考を切り替える為、再び話題を変えて朱音にいくつか質問をしてみた。せっかく有名人とお近づきになれたのである。昨夜は大して話せなかったが、聞きたいことは山ほどあった。
しかし思いついて口から出たのは、自分でも呆れるほどくだらないことばかりだった。
「俳優仲間や芸能界の人で親しい人って誰がいますか」
「嫌な思いをした仕事は何ですか。プロデューサーや先輩俳優から意地悪をされたとか」
「どの仕事が一番遣り甲斐とか手ごたえを感じましたか」
それぞれの問いは上手く受け流され、挙句に彼女は笑った。
「まるで芸能記者みたいですね」
ショックだった。日頃から新聞の広告欄で目にする週刊誌の見出しやネットニュースの題を見て、こんな下世話な情報に興味があるのかと馬鹿にしていたから余計だ。
これが香織ならどういう質問をするだろう。まず会う機会すらほとんどない相手に、どういった言葉をぶつけるのか。
そう考えていると声がかかった。
「出来たよ」
夕食の準備を終えたらしい。返事をして立ち上がり席につく。
「頂きます」
今日の主菜は焼いた鯵の干物で、副菜はキャベツともやしを塩麴に絡めて赤味噌で炒めたものだ。昨日二枚買っていた干物を今日買い足した。明日以降の献立も三人前の量で用意し直してある。
質素なものだが、朱音は旨い、美味しいと食べていた。やはり妊娠しているからか、食欲はあるようだ。それでも特別多くはない。量が足りるか昨日と同様に確認したけれど、十分だと言うので安心した。
念の為にと普段より多めに用意はしているが、余り食べ過ぎると妊娠糖尿病になるので注意が必要だという。香織と一緒にネットで調べた際、その言葉が出てきた覚えがある。
今回初めて知ったが、割とかかる人は多いらしい。同じく妊娠高血圧症候群になるとかなり大変なようだ。妊娠は病気で無いと言われるが、朱音の話を聞いている内に、出産までの道のりはかなり険しいものだと感じた。
加えて高齢出産だからこそ、時には命が危険に晒される場合もある。男性には一生理解しえないものだが、知れば知る程自分には絶対無理だとの想いが強まった。
龍太郎は最初に結婚した際、子供を何人産むかなど妻と話し合った記憶がない。作りたくないとまで思ってはいなかったけれど、積極的に欲しいとも考えていなかった。
ただ結婚すればいずれ子供が生まれ家族は増えるだろうといった、漠然としたイメージしか持っていなかったのだ。そうした将来像の欠如が、離婚の原因にも繋がっていたのかもしれない。相手がどう思っているのか、全くといっていいほど想像していなかった。
言わないから気付かなかったとか、何故住む土地が変わり環境に慣れないと口にしなかったのか、と何度彼女を責めただろう。
転勤族と結婚したのだから、それ位の覚悟は持っていたんじゃないのか。それが予想していたより辛いからといって、何故離婚まで考えが及ぶのか。そう問い詰めもした。
こちらが攻撃した以上に、彼女からも色々な文句をぶつけられた。しかし何を言われても理解できなかった。これは駄目だと早々に匙を投げていた。結果三年で離婚したのだ。結婚生活と呼べるのは賞味一年あったかどうかだろう。
社内結婚だった為に、おかげでその後の会社における女性職員との距離感は、相当神経を使うようになった。また結婚自体に懲りたとの思いがあった影響もあり、恋愛から遠のいた。思えばあの頃から、社内の人間関係が上手くいかなくなったのかもしれない。
より仕事に打ち込んで結果を出そうと躍起になり、やがて方針を巡り上司と衝突し始めたのだって、そうした過去の経緯が少なからずあったからだろう。さらには自分だけでなく他人にも厳しかった為か、部下からも敬遠されるようになった気がする。
取引先や顧客とのコミュニケーションは順調だったし、成果もそれなりに得ていた。今振り返ると、だからいいだろうという驕りがあったのかもしれない。ビジネスとは離れた所で、人を思い遣る気持ちに欠けていたのだろう。
結果、ある仕事で一つ大きなミスをした際、ここぞとばかりに責め立てられた。弱みを見せた時点で負けだと思っていたからこそ、自分でも情けなくなり反抗も出来なかった。
それが引き金となり、精神と体を蝕んでいったと思われる。体調を崩し、休職しなければならない状況まで悪化させてしまったのだ。




