第8話 ゆとり猫
島田は手紙を開けると、中身を読み始めた。
「これは新居祝いだから遠慮なく受け取ってくれ、これで新しい家具でもなんでも買えばいい。それとお前が拾ったその女のことだが、まさか服はそれだけじゃないよな?女の子の必需品は多いぞ、全部買ってやれ。あと教えてやるが、女としての魅力なら私の方が上手だぞ。」
島田はとりあえず読み終えると、最後の部分だけ省き音虎に読み聞かせた。すると、音虎は大喜びで島田に言った。
「いいね、行きたい!」
すると島田は、先ほどの封筒を一つ手に取り、無表情で手渡した。
「なにこれ」
「金だよ、買ってきたいんだろ?」
それを聞いた音虎は、眉毛をひそめながら非常に不満げな顔をした。
「面白くないなー、さては童貞だな?」
それを聞いた島田は、異様に話に食いついてきた。
「は?何言ってんだよ、別にやったことは…ないけど、それだけが愛のカタチじゃないしそれに」
そんな風に一生懸命に話す島田を、音虎は満面の笑みで聞いていると、話を遮るように島田の手を握り、そのまま引っ張って外へ出た。
「お、おい。どこに行くんだよ」
「楽しいところ」
そういうと、二人はにぎわう町の喧騒へと姿を消していった。
音虎が連れて行ったのは、駅構内にあるアパレルショップだった。周りには身だしなみの綺麗な二人組の女性が何組もいて、ちらほらとカップルらしき人や、ご婦人であふれていた。
「まずはその恰好をどうにかしなきゃね!何か希望とかある?」
そういいながら音虎は島田の方を振り返ると、両手をポケットに入れ、不自然に目線が下を向いていた。
「どうしたの、ずっと下を向いてるようだけど、具合でも悪いの?」
「違うよ、ちょっと俺には似合わない場所だから」
「あー、そうなんだね。じゃあ」
そういうと音虎は島田の手を握ぎり、今度は駅の東口を出てすぐ右にある美容室に連れて行った。その美容室にはカット用の椅子が6つあり、シャンプーをする席は3つあった。内装は特にこだわっているようで、床はコンクリートだが、壁にはフェイクグリーンが敷き詰めてあり、天井に見える配管は錆びたような塗装が施してあった。すると一人の美容師が島田の方に近づいてきて言った。
「今回担当させていただく佐藤と申します、今回どういった感じがいいとかありますかね?」
すると島田は、ほとんど何も考えずに答えた。
「短くしてくれればなんでも」
美容師の人がわかりましたと言い、ハサミを取り出した時だった。さっきまでは後ろで待機していた音虎が美容師にストップを入れ、「ちょっといいですか」と言うと、一度美容室の外に連れて行った。おそらく5分ほどたっただろうか、さっきの美容師と笑顔の音虎が帰ってきた。
「それでは切っていきますね」
それから30分ほどかけカットし終えると、今度はドライヤーとワックスを使い始めた。しかし島田は、そういった整髪料を使用したことが無く、そのせいか少し抵抗があるようだった。
「あ、あの、これは何をしてるんですか?」
美容師はセットの手を止めずに言った。
「髪の毛をセットしていますよ」
島田は少しだけ動揺していたのか、当たり前のことを聞いてしまい、恥ずかしさからか冷や汗が出てきていた。
「これからは毎日セットの練習をしましょう。そうすれば、さっきいらしてた彼女さん、喜ぶと思いますよ」
「そ、そうなんですか」
島田はもうわけがわからなかった。そして10分ほど時間が過ぎると、島田と音虎が美容室から出てくるのが見えた。そして島田の髪の毛だが、前髪の長さは眉毛より気持ち長くて、中央から少し右あたりで髪を別けて上げていた。
さらに顔の横とうなじは借り上げられていて、ツーブロックになっていた。そのせいかとても清潔感があり、あとは髭をどうにかすれば、どこかの事務所に所属していると言われても、違和感などないほどだった。
「3500円…たかが髪の毛に3500円って高くないか?」
そう言いながら音虎の方を見た。すると、音虎は島田の顔を下から上へと見て、笑顔で答えた。
「でも、かっこいいよ」
その瞬間、島田は自分の胸がハンマーで叩かれたような衝撃を感じた。そして同時に頭が真っ白になり、音虎から目を逸らそうとしても、そう思えば思うほど、音虎の目しか見れなかった。
「どうしたの?」
音虎にそう言われるとやっと戻ってこれたのか、島田は目を逸らして答えた。
「何でもないよ」
そう言うしかなかった。なぜなら、島田はまだ自分に何が起こったのか、本当は理解しているが、自分がその状態にあることがなぜか恥ずかしくて、必死に隠そうとしていたからだ。
「じゃあ次はどこに行きたいんだ?」
「わかったよ、じゃあさっきの服屋に行こうか」
二人は先ほどのアパレルショップに戻ると、一緒に服を選び始めた。
「シマちゃんはとりあえずたくさんの服を買う必要があるね、だから…」
音虎はそういうと一人で男性コーナーを回り、すぐに帰ってきたかと思うと、音虎の顔が見えなくなるほどの大量の服を抱えていた。
「おいおい、そんなに買うのか」
音虎は服の山から、顔をひょっこり出して言った。
「シマちゃんに似合いそうなのは大体この中にあるから、あとは家に帰って自分で調べるなりなんなりして、好みを見つけていこうか。それから自分の好きなものだけ揃えばいいよ。」
そういうと、音虎は大量の服をかごに入れると島田に渡して、笑顔で言った。
「次は私の番ね」
音虎はそう言うとまた一人で服を選びに行き、すぐに戻ってきたかと思うと大量の服を抱えていた。
「それ全部買うのか?」
音虎は少し笑いながら言った。
「まさか、ついてきて」
すると、二人は試着室の前に立っていた。音虎は島田に「待ってて」と言い、試着室の中に入ってカーテンを閉めてしまった。島田は、あとどれくらいここにいるんだろう、なんて考えていると、音虎は思いのほか早く出てきた。
するとそこには、音虎ではない音虎がいた。彼女はグリーンのベレー帽をかぶっていて、下は黒のスキニーに、上はハイネックの黒のセーターに黒のコートを羽織っていた。
「どう、似合うかな?」
「お、おう。似合ってるんじゃないかな」
なんだかとても大人っぽくて、俺は音虎以外の女性と話してるんじゃないかと錯覚した。でもそれは音虎以外の誰でもなく、たかが服ごときでこんなにも変わるのかと驚かされた、初めての体験だった。
すると音虎はまた、笑顔でカーテンの中に入っていった。そしてまたカーテンを開けると、そこにはまた知らない女性が立っていた。上は白いフード付きパーカーに、厚手なベージュのコート。そして、下はベージュのスキニーを履いていた。
「かわいい」
島田は思わず言葉に出してしまった。音虎は、島田の口からそんな言葉が出てくるとは思っていなかったからか、口をポカンと開けて驚いてしまった。島田はそんな状況に気が付き、すぐに訂正した。
「いや、そのパーカーとコートの相性が良くて、それに、そのスキニーもね。」
「ありがとっ」
音虎はとても落ち着いた声で言い、そして優しく微笑んだ。その瞬間、島田は不思議な感覚の中に迷い込んだ。周りに展示してある服やマネキンは劇場のセットになり、他の客たちが楽しそうに話したりする声や足音は、地味なバックラウンドミュージックとなっていた。
でもそれらのものは、ただの背景でしかなく、今島田に見えているのは、音虎といる目の前の空間だけだった。
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