第5話 病み猫
トントンと木をたたくような音が聞こえた。するとまるで、真っ暗な部屋に、次第に光が広がっていくような感覚で、周りの音も聞こえるようになってきた。それは何かが沸騰する音だったり、木のようなものを擦るような音だったりもした。
島田はそんな音が心地いいななんて思っていると、自分が見覚えのある暗い天井を見ていることに気が付き、そこで初めて自分は寝ていたことと、さっきまで見ていた全ての光景は夢だったことを同時に気づかされた。
その瞬間、あの美しくて楽しかったあの光景が夢だったことがひどくショックで、体を起こそうとしたが体がいつも以上に重かった。それでも島田は何とか立ち上がり、部屋から出ると自室からリビングに出た。
島田の住むアパートは、リビングに窓一つなくて、コンクリートの冷たい壁に、右奥には一度も使ったことのないキッチンがるのだが、今そのキッチンには料理をする音虎の姿があった。島田は音虎に「まだいたのか」なんて言いそうになったが、そんなことを考えてしまった自分に嫌悪感を感じていた。
どんな理由があれど、そこには料理をふるまおうとする音虎の優しさがあり、この薄暗いキッチンに一つだけある、今にも切れそうな蛍光灯が彼女を照らしていた。
島田はこれを見てあんな言葉をかけようとしたのだから、嫌悪感を感じるのは当然だった。その瞬間に島田は大きなため息をしたが、これは決して悪い溜息じゃなく彼女を受け入れるために必要なものだった。
「あ、おはよう!もうできるからテーブルに座って待ってて」
島田のため息に気が付いたのか音虎が声をかけてきた。島田はありがとうと返事をすることもなく、黙って席に座った。
それから五分ぐらい経っただろうか、音虎はコンロの火を消して、器に食事をよそい始めた。そしてテーブルに出されたのは白米に少し冷めた大根の煮物、それと、まだできたばかりの大根の葉を使ったみそ汁だった。
「いただきます」
そういうと島田は黙々と食べ始め、それを見ていた音虎は安心したのか、自分の分も食べ始めた。そして島田は自分の腹が少し満たされ始めた頃、自分がどれくらい寝ていたのか気になり、研究室に戻り窓を見た。
すると空は真っ暗で、路地裏に広がる謎の空間にある街灯が、一人で頑張って周辺を照らしていたが、無意味に見えた。そしてすぐに時計を見ると、時計の針が十時を指しているのを確認し、すぐにリビングに戻り音虎に言った。
「ありがとう」
音虎は最初はきょとんとしていたが、すぐに笑顔が戻り言った。
「おーそーいー、なんも言われないかと思ったじゃん」
島田は精一杯の申し訳なさを顔で表現したが、それを見た猫は軽く微笑んだ。
「冷めちゃうから早く食べてよね」
島田は無言でうなずくと、また黙々と箸を進めた。すると音虎は、
「どうだった?」
と聞くと、島田は
「美味しかったぞ」
と返すが、音虎の反応が思ったより薄かったので、島田は何か変なことを言ってしまったかと思って少し焦ったが、心当たりがなかったから話を変えることにした。
「長い夢を見たんだ」
「へぇ、どんな夢だったの?」
すると島田は夢の内容を話し始めた。最初ウユニ塩湖のような場所に行ったこと、そこで知らない少女を見たこと、そしてその後、昔の記憶を見たこともだ。
「これだけならただ珍しい夢を見ただけなんだが、その記憶というのが、俺が初めて本物の魔法を見たときのものなんだ」
そういうと音虎は口をぽかんと開けて俺の目を見た
「あれは確か、四年前の俺が東大で論文に追われているときに、屋上で気分転換をしていたら、大学から見て東の方にあるビルの屋上で、魔法を使っている人を見て少し仲良くなったんだ。」
島田は心地よく思い出のことを説明していたが
「ごめんトイレ」
といい行ってしまった音虎を目で追い、見えなくなるとつい笑ってしまった
「ここから大事なところだったのに、マイペースな娘だな。まあいいけどさ」
と笑いながら独り言をした。すると思いのほか早く音虎は帰ってきて言った。
「珍しい夢だね」
「ちがうって、これから重要だったんだよ。君が最後に言っただろう、美しい思い出って」
音虎はうなずいた。
「俺はそれを言われたときに真っ先に思い出したのが、さっき言った魔法を見たときの話しなんだ。」
「ていうことはだよ、幻想魔法の発動条件は美しい思い出を思い出すことだったんだ。」
音虎は相づちをしながら話を聞いていた
「それと魔法の効果は、美しいと思った過去の記憶に行けるってことも分かったよ、そうじゃなきゃあんなに鮮明でリアルにはならない」
そう一生懸命説明をしていたが、島田はまた早口になっていることに気が付き、
「まあそういうことだ」
そう話を終わらし、島田は話に夢中になっていたせいで止まっていた箸を動かした。そして二、三分で食べ終えると
「ごちそうさまでした。まぁまさか花言葉が発動じょ」
とそんな時だった。島田は食べ終えてから五秒もたっていないのに、音虎はもう皿を運び、洗い始めた。島田はそんな音虎を見て違和感を感じ、音虎の表情や仕草などを観察し始めた。すると音虎は鼻で息を吸い少し顔を背けると、例の件について話をしだした。
「そういえばなんだけど、私はここにいていいの?」
島田は何か合点がいった。
「それのことなんだが、運命の人とかなんだとか嘘だろ」
島田がそう言うと、音虎は否定するそぶりも見せず、体が硬直したまま黙ってしまい、それを見た島田は先ほどの感が確信へと変わった。
「それだけじゃない、さっき食器を片付けるときもそうだ。まるで怖い監督に尻を蹴られないように機嫌をうかがう、サッカー少年のそれみたいだ。」
音虎は沈黙を続けている。
「そこまでして泊めてもらいたい理由はなんだ?」
音虎はまだ黙ったままだった。そして何か言おうとしたが、踏みとどまるような表情がみえた。
「ごめんなさい、迷惑でしたね」
最初とは打って変わって、曇った表情で帰ろうとする音虎を、島田は必死に止めた。
「まってくれ勘違いだ、俺はもう君を泊める気だったんだよ。その気持ち悪い接待みたいな話し方を変えてほしいだけなんだよ」
「どういうことですか?」
「運命がどうとか変に緊張して気を使わないならいていい、そういうことだよ」
島田はネグレクトの母親を持つ友人が、女性に恐怖しまともに働けずに苦労していたことを思い出しながら、話を続けた。
「そりゃぁ人に言えないことの一つや二つあるだろう、今言えなかったことは言わなくていいし、言いたきゃ言えばいい」
それを聞いた音虎は何か安心したのか体の力が抜けて、ふらふらと床に座り込んでしまった。そしてはぁとため息をつくたびに、大粒の涙を床にこぼした。それを見た島田は少し慌てながら
「わ、悪気はなかったんだ。誤解が…その」
そういう島田を見ると音虎は笑顔で言った。
「女の子を泣かせるなんて最低ね」
それを言われた島田は少し困惑してあたふたしていたが、音虎は島田の反応で遊んでいるようにも見えた。
「いつか言うね」
「あぁ、よ、よろしく」
そこには静寂という心地いい音に包まれていた。
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