第38話 当然猫は怒り悲しんだ②
「どこ、どこにいるの」
音虎はかき分けて進むも、暗くて進んでいるかもわからず、そもそも先ほどこの血をかき分けられなかったのだから、今だけかき分けられるなんて考えずらかった。だが、それ以外にできることなどなく、音虎は必死にその血をかき分け続けた。
「シマちゃん…」
島田はもうこの血に溶けてなくなってしまったんじゃないかと音虎は考えたが、音虎がかき分けたあたりに、一瞬だけ髪の毛らしきものが見えた。
「シマちゃん!」
音虎はそのあたりを必死にかき分けるも、すぐに血が覆ってしまい、手でかき分けても無駄だとわかり、そのあたりに潜り込み島田の体を探すことにした。
音虎は大きく息を吸うと頭から潜り、目を瞑ったまま手探りで島田を探すと、以外にも近くにいたため腕らしき場所を両手で掴み引き上げようとした。しかし、島田は何トンもあるかと思うくらいビクともせず、ちょうどそのタイミングで息が切れてきた音虎は焦った。
「どうして⁉」
音虎は心の中でそう叫ぶも現状が変わるはずもなく、意識が遠のいていくのを感じた。
「もういいや、最後にシマちゃんといれれば」
音虎はそう考えると、島田の近くへもぐりこみ、島田を抱きかかえるようにして目を瞑った。
「貴方に会えて…よかった」
何も見えないのに、声すら響かないこの血の中で、音虎は島田がいるらしき方を見て呟いた。その時だった。
「汝よ 我が命 汝の為に」
とても低くてガラガラとした、でもどこか優しさを感じる綺麗な声が聞こえた。音虎は誰の声なのか困惑していたが、血がブクブクと泡を立て、みるみるうちに蒸発していったのを見てようやく声の正体が分かった。音虎は、島田を抱きかかえたまま上を見上げ、優しく囁いた。
「ありがとう」
蒸発し気体となった血は空へと舞い上がっていき、一滴も残さず消えてなくなってしまった。そこには静かに涙をこぼし空を見上げる音虎と、音虎に抱きかかえられた意識のない島田がいるだけだった。
「よく頑張ったね…」
震えた涙声でそう呟く音虎を少し離れてみていたアキトは慰めようと近寄ろうとしたが、自分が声をかけてしまうと、今はガラスのように脆い二人だけの空間を壊してしまうんじゃないかと恐れ、何もすることができずただ立っているだけだった。
「まだ伝えられてないことだってあるし、終わったらまた二人でどこかへ行きたかったんだけどなぁ」
音虎は島田の頬を優しく撫でおろしながら続けて言った。
「老けて見えてたけど、以外に綺麗な肌してるんだね」
そして島田の胸に顔を押し付け涙を流すと、島田が黒い虎になる前去り際にされたキスを思い出し言った。
「あのキス、凄いドキドキしたんだから」
すると、どこからか聞き覚えのある声が聞こえた。
「老け顔で悪かったな」
音虎はその瞬間ものすごい勢いで顔を上げ、島田の顔を見た。すると、やはり衰弱はしているものの、薄く目を開きほんのり笑顔の島田の表情が見えた。
「シマちゃん⁉」
音虎は挙動不審になり、二度ほど島田の胸に耳を当て心臓が動いているか確認していた。それを見た島田はかすれた声で笑い言った。
「ドキドキしたのか」
音虎はふと我に返ると、茹でダコのように顔を真っ赤にして言った。
「どこから聞こえてたの」
「また二人でどこかへ行きたいってあたりから」
「結構最初の方じゃん!」
島田は再びかすれた声で「ははは」笑うと、穏やかな笑顔で言った。
「でも」
「…嬉しかったよ」
音虎はまた顔を真っ赤にしていた。
「音虎がそんなに頬を赤らめてるの初めて見たな」
「うるさい」
音虎は頬を膨らませて言った。
「音虎…」
「なに」
「あの日見せてくれた魔法、とても綺麗だった。」
そのうつろな目で続けた。
「美しいと思う気持ち以外全てのしがらみがどこかへ消えて行ってしまって、自分自身の肉体の存在さえ忘れてしまったんだ。」
すると突然、島田は吐血し咽せた。
「シマちゃん!」
「大丈夫、大丈夫だよ。まだ伝えられてないことが沢山あるんだ、こんなところで死んでたまるか」
「私だって…また今度、また今度でもいい、だから」
「あの日の夜、花火をうちあげてよかった。」
「シマちゃん!」
音虎の声は震えていて、もう消えてしまうかもしれないものを見る悲しそうな眼をしていた。
「お願いだから…今だけはじっとしてて」
島田の胸に涙が零れ落ち、服の繊維へと浸透しどこかへ消えてしまった。
「わかった、でも、頼みがある」
「何?何でも言って」
「また、見せてくれ」
音虎はまた涙をボロボロ流し、首を小刻みに縦に振った。
「今度は…君の、音虎の隣で…また」
「見せるよ!絶対に見せる!とっておきのがあるんだから、びっくりするよ!」
その瞬間だった。全長十メートルはあるであろう青白い稲妻をまとった鋭い槍が、風を切る音と稲妻が弾ける音を引き連れ、すさまじい勢いで音虎の方へと飛んできた。
そして、刃の先端が音虎の耳元から一メートルの距離まで近づいてきた瞬間、大きな鐘を鉄骨で叩いたような鈍い金属音と共に、二人を包み込んで隠してしまうほどの火の粉が散り、槍の推進方向へと飛び散って消えた。
「音虎チャン!」
アキトはとっさに叫び音虎の方を注視したが、魔法使いたちも使っていたハチの巣のような模様をした黄色い防御魔法が展開されていて、しかもそれが何層にもなっていた。それを見たアキトは、先ほどの火の粉はこの防御魔法に衝突し、粉々に粉砕されたものだと理解した。
音虎はその槍が飛んできた方を見ると、稲妻を身にまとい総勢五十人は超える部下を背後に連れた大魔女メルクが、一〇九の方に浮遊し臨戦態勢をとっていた。すると、音虎の目はみるみるうちに鋭くなっていき、凄まじい怒りと憎しみが入り混じった息を吐くと、優しい表情で島田を見て言った。
「シマちゃん、私の魔法見たい?」
島田はゆっくりと小さく首を縦に一回ふった。
「今でもいい?」
すると、先ほどの鈍い金属音が三度なり、音虎と島田に火の粉の雨が降り注いだ。
「奴を殺せ!あの女が生きている限り我々に未来はない!」
大魔女メルクの叫び声だろうか。しかし、二人にその声は届いておらず、島田はまたもゆっくりと首を縦に振った。
「ありがとう、見ててね」
島田うつろな目で音虎に微笑んだ。
「アキトさん、シマちゃんを頼みます」
「あ、あぁ。」
アキトと組員たちは島田の所へ駆け寄ると、音虎のことがよく見えるように抱きかかえた。
「まて、音虎チャンまで死ぬ必要はないんだからな」
「私は死なない」
音虎はそう言うと立ち上がり、一〇九の方へ歩き出した。だが、急に何かを思い出したかのように振り返ると、島田の方へ走っていき顔に近づくと言った。
「ここまで導いてくれて、ありがとう。愛してる」
かすれた力のない声で島田も言った。
「おれも…あいして…る」
音虎は島田の首に腕を回し、一方的に島田の唇を食べるよう、非常に肉食的なキスをした。そして、音虎スッと顔を上げると、島田の目を見つめ言った。
「貴方を愛してよかった」
音虎は涙を一滴頬にこぼすと、再び肉食的なキスをした。そして、ゆっくりと顔を上げると、島田たちに背を向け、一〇九の方へゆっくりと歩き出し囁いた。
「朝露が渇くころ 夏の雲が それらをさらってゆく」
まだ夜は開けそうになかった。
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