第37話 当然猫は怒り悲しんだ①
まつ毛が凍り霜が付き、鼻水が氷柱になってしまうような、そんな冷えた風が音虎にぶつかって、髪の毛を巻き上げた。
音虎は頭を撃たれた人のように膝から崩れ落ち、正座をするように座り込んむと、口を開いて何かを言おうとしたが、息ができないのか口がパクパクと動くだけだった。しかし、必死に息を吸い、でもダメで、それでも必死になって考え、ゆっくり息を吸うことを心掛けようやく声がでた。
「まだ…」
吸えた空気で発せられるのはこの二文字だけだった。でも音虎は諦めず、この世界の空気全てを吸い込んでやるつもりで大きく口を開け、世界の空気を吸いつくし言った。
「伝えたいことがあるの」
だが、そんな音虎の声は届いていなかったのか、黒い虎のツヤのある美しい毛が風になびいているだけだった。音虎はそんな黒い虎の頭をに手を置き、エラ骨、そして下あごの方までゆっくりと撫でおろした。そして黒い虎の大きな頭に覆いかぶさるように抱き着くと、空から防御魔法を張ったメシアムがこちらにやってくるのが見えた。
ところが、いつものメシアムとは違い、髪の毛を揺らしながら青白い稲妻を体中に身にまとい、杖の先からたびたび稲妻が漏れ放電していて、いつでもお前らを殺せるぞ、と言っているようだった。音虎はそんなメシアムを睨み言った。
「シマちゃんをこんなにしたのはお前か」
メシアムも音虎に負けないくらいの目力で音虎を睨みつけ言った。
「お前が早く出てこないからだろう」
音虎は続けてメシアムを睨むも、その奥の方で鷹に掴まれながら一人で空中戦を続けるエミーの姿が見えると、立ち上がり言った。
「私は別に今でもいいんだ」
その瞬間だった。黒い虎は何かを思い出したように目をカッと見開くと、メシアムへと牙を剥き飛び掛かった。だが、黒い虎の必死の抵抗も空しく、メシアムが杖を少しだけ動かし杖の先から出た細く控えめな稲妻に撃たれ、あっけなく倒れてしまった。
「気持ち悪い」
メシアムはそう言い軽蔑の目で黒い虎の死体を眺めると、すぐに音虎に杖を向けた。
「ほら、本番だ」
メシアムがそう言った瞬間、黒い液体でできた巨大な針が、死んだはずの黒い虎の死体から飛び出てメシアムを襲った。メシアムは何事かと思い死体の方を見ると、黒くて赤い血が、まるで磁石に反応した磁性流体のように大小さまざまな針となり、それらが四方八方へと突き出ていた。
しかしそれだけならよかったものの、磁場が不安定なのか、まるで生きているかのように針が突きでたり引っ込んだりしていた。
「くそっ、忘れてた」
メシアムはそう言うといったんその場を離れ、エミーがいる方へ行ってしまった。音虎たちは一旦距離を置き避難していたが、その磁性流体のようなものの磁場の乱れはどんどん酷くなっていき、その磁性流体のような液体自体の量もどんどん増えていき、針の長さはすでに雑居ビルをも越していた。
「音虎チャン、これはいったい」
アキトは口を少し開いたまま驚き音虎に聞いた。
「もう限界なんだよ」
音虎の目には光は残っていなく、濁った汚い瞳だった。
「そもそも魔獣はこの次元に存在しない生き物で、こっちの世界へ来てしまうと、新たに魔力を生成できない。」
「そして魔獣がこの世界で実態を維持するのには膨大な魔力がいる」
音虎の声は妙に落ち着いていた。
「え、じゃあどうしてあんな姿に」
「つまり…、もう維持できないんだ」
アキトは無意識に込み上げてきた涙に気が付き、歯を食いしばって耐えることにした。
「シマちゃんとあの黒い虎はもう同じ生き物で、人間の生命力でさえ生きるための魔力として変換される。だから私は助かった。」
音虎はそう言うと、ゆっくりと前へと歩き出した。それに気が付いたアキトは、嫌な予感がして音虎に言った。
「まって、どこへ行くんだ」
「だから私は助かったの」
次第に音虎の足は速くなっていった。
「音虎チャン」
「まだ助かるかもしれない」
「音虎チャン!」
音虎は走りだし叫んだ!
「シマちゃーーーん‼」
音虎はそのまま磁性流体の方へ接近した。
「はあっ…あ」
案の定、音虎の右の脇腹に磁性流体の針が鈍い音を立て突き刺さっていた。一度立ち止まり腹部を見ると、血がにじみ出ていたのが確認できた。
しかし、すぐにその針が引っ込んでくれたため、音虎は横腹を押さえながらも再び走り出した。だが、針が音虎の太ももへ突き刺さり、次は右肩、左腕、そして右胸へと次々と突き刺さり音虎足を完全に止めてしまった。
「シマ…ちゃん」
音虎はそう呟くと、体中に針が突き刺さっているのにも関わらず前へと歩き出し、一歩、そしてまた一歩と前へ踏み出すたびに、地面へと大量の血が零れ落ちた。しかし、また針が引っ込んでくれたものの、今度は左の下腹部、左足の脛、そして左肩に針が突き刺さってきた。
「はあああああああっ‼」
濁音と高音の声が混じった生々しい悲鳴だった。そして針が引っ込むと、さすがの音虎でもそのままうつ伏せで倒れこんでしまった。でも死んでしまったわけではなく、出血はひどいものの意識はまだ正常であった。
音虎は頭上を激しく突き出たり引っ込んだりするその針に気が付き、その針を目でたどっていくと、すぐ目の前に黒くて赤い血の塊があることに気が付き、すでにボロボロになったその体をたたき起こし立ち上がった。
「シマちゃん…」
無数の針のせいか周りはほぼ真っ暗で、音虎は前へと進みだしたが中心へ近づけば近づくほど、どんどん光が届かなくなっていた。当然無数の針は音虎の体を突き刺し続けていたが、アドレナリンの過剰分泌のせいか、痛みはもう感じなくなっていた。そして、ようやく中心の核らしき塊の前に来ると、音虎は言った。
「シマちゃん!」
そう叫び、その黒くて赤い血の塊をかき分け中に入ろうとした。だが、まるで空気をかき分けているかと思うほど質量がなく、かき分けてもかき分けてももとに戻ってしまう。
「なんで…」
音虎は諦めずただただその血をかき分けようと必死になるも、結果は変わらず、すでに息が切れてきてしまっていた。
「貴方に」
音虎の体はもうぐちゃぐちゃになっていた。
「貴方に会いたいだけなのに」
音虎は手を止めてしまった。
「会いたいよ…」
大粒の涙がボロボロと流れてきた。
「会わせてよ‼」
すると、小さく控えめな虎のガラガラとした低い鳴き声が聞こえ、音虎の目の前の血がドロッと溶け、少し奥まで入り込めるようになっていた。
「君なんだね」
返答が返ってくる様子は無かった。
「君を許すよ、君は悪くない」
音虎はそう言い、その核の奥へと飛び込んだ。やはり質量を感じられないからか、見た目とは裏腹にそれほど不快には感じなかった。
読んでくださりありがとうございました!
そろそろラストスパートなので、引き継ぎ読んでくださると嬉しいです!
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