第34話 あの猫
そこには青空が広がっていた。雲一つなく、ずっと見ていたら飲み込まれてしまうような、そんな深い海のような青空だった。
「俺はここに来たことがある」
島田はそう言い顔を横へ向けると、半分ほど水に浸かり、白い砂のようなものが付いた指先が見えた。そしてその水面には、あの深く美しい空が鏡写しになって描かれていた。島田は先ほど自分が言ったことが確かなものへと変わり、体を起こした。
そこには水平線までと続く青空と、水面に反射した青空が同じく水平線まで広がっていた。
島田は、ひょっとして自分は死んでしまったんじゃないかと思い、すぐに立ち上がり足元を見ると、あの時のように足元には波紋が広がっていて、同時に、濡れた体や衣服から落ちた雫が複数の小さな波紋を作っていた。
「また来れるとは思わなかった」
島田はそうつぶやくと、前の方からパシャパシャと水面を歩く音がして、すぐにその方を見た。
「君は…」
島田の目線の先には、ツヤのある黒くて長い髪で、白いワンピースをきたあの時の少女だった。今も相変わらず顔を見ようとするとぼやけてしまって、こんなに近くにいるにもかかわらず、表情を見ることすらできなかった。
「また会えて光栄だよ」
島田は挨拶のようなものを言ったが、少女はびくともせずただそこに立っているだけだった。そんな状況が少し気まずかったのか、島田は少し笑いながら言った。
「ここは天国みたいに美しい場所だが、俺は死んでしまったのか?」
島田がそう言い少女を見ると、先ほどと変わらずただ立っているだけなのだが、風になびくワンピースと黒い髪と、ほんの少しだけ顔が下を向いていることに気が付き言った。
「悲しんでいるのか」
少女は沈黙を貫いていた。
「俺には何となくわかるんだ、なぜか…その」
島田は下を向き、目を瞑りながらゆっくりと上を向いた。そして目を瞑ったまま言った。
「君の力になりたい」
島田は目を開き少女を見ると、やっぱり顔は見えなかった。だが、少し右に頭を傾け髪も少し右に落ちていたその少女を見ると、不思議と微笑んでいることが分かった。すると、少女は後ろを向き、臆病な何かが少女の後ろに隠れていたのか、少女はそれに前に出るよう手招きをした。
島田は何がいるのだろうとじっと見ていると、少女の後ろからちょうど身長ほどある大きな黒い足が水面を踏み込んだ。そしてその瞬間その足から大量の血が水面へと滲み、足元を赤く染めた。そして、ゆっくりとそれは姿を現した。
黒くてツヤのある毛に、青い目、そしてどうやって少女の後ろに隠れていたのかわからないほど大きな虎だった。島田は驚き一歩後ろへ下がるも、その黒い虎の背中に槍が刺さっているのに気が付いた。
「お前、大丈夫なのか…?」
槍が刺さるその傷口から血が絶えず零れていて、水面がみるみる赤く染まっていった。そして、黒い虎の息はどんどん不規則になっていって、一度ガクッと倒れこみそうになるも何とか耐えたが、すぐに倒れてしまった。
島田はいてもたってもいられず黒い虎に近づき、槍に手をかけ言った。
「待ってろ、今助けてやる。」
島田は傷口に当てるためか白衣を脱ぎ脇に挟むと、槍に両手をかけた。しかし、黒い虎は暴れ島田を振り落とした。島田はなぜと言わんばかりの表情でその黒い虎を見ると、その黒い虎は悲しんだ目で島田を見た。
「何故だ、死んでしまうぞ!」
島田はそう言い止血だけでもしようと白衣をつかみ、傷口に当てようとしたが、黒い虎は島田に威嚇して止めさせた。島田にはその黒い虎がなぜそうするのかわからず、困り果てた島田は少女の方を見た。
すると、その少女もやはり悲しんでいるように見え、もう一度黒い虎の方を見た。すると、黒い虎は苦しみながらも、とてつもなく憎くて、殺してやりたくて、どうしようもないその怒りを目に表し、遠くの何かを睨んでいた。島田はふとしたように口を開き言った。
「大魔女メルクか」
島田がそう言うと、黒い虎は目をカッと開き、島田に強く訴えかけるように睨んだ。
「君も被害者なんだな」
島田はそう言い、その黒い虎の顔に近づき頬を優しく撫でると続けた。
「俺は何をしたらいい」
すると黒い虎は乱れた呼吸のまま頭を少しだけ起こし槍を見ると、脱力した目で島田を見つめた。島田は槍を抜いてほしいのかと再び考えたが、少女の方に目をやるとまた悲しそうにしているように見え、この黒い虎が何を求めているのかが分かった。
「そうか…それでいいんだな」
島田がそう言うと黒い虎はそっと目を閉じた。島田は確認のためか少女の方を一瞬見ると、すぐに槍に手をかけ言った。
「仇はとるからな」
そして手に力を入れ槍をさらに奥へと突き刺すと、黒い虎は暴れそうになったがすぐに自制し耐えていた。しかし、それでも痛みからか黒い虎は痙攣していて、その震えは刃先から槍の柄へと伝わり、島田は黒い虎を苦しませまいとさらに奥へと突き刺した。
すると、黒い虎は最後に一度だけ大きく痙攣し、そして動かなくなった。島田は槍からゆっくりと手を放すと、気持ちよさそうに脱力し動かなくなった黒い虎の顔に近づき、また頬を優しく撫でた。その時だった。
黒い虎の毛が急に逆立ったかと思うと、まるで毛の一本一本がまるで生きているかのようにうねり、頬に触れる島田の手を伝ってみるみるうちに体全体を覆ってしまった。島田は慌ててそれを振り払おうとしたが、何故だかとても暖かくて、優しくて、むしろ心地よくさえ感じさせた。
だが、憎悪のようなざわつきが時々胸を襲い、その時だけ一瞬、見たことが無い記憶がよぎった。それはこの黒い虎の兄弟らしき幼い虎たちと戯れるほほえましいものだったり、魔法使いから守ろうとする兄弟の虎たちが殺されてしまう憎しみの者だったり、様々だっだ。
「わかったよ、わかってる」
島田はそうつぶやくと、手には先ほどまで虎に刺さっていた槍があった。島田はそれを力強く握りしめると、少女の方を見て言った。
「行ってくるよ」
島田がそう言うと、少女は島田の耳元へ近づいて言った。
「ありがとう」
確かにそう言っていた。そう言っていたことだけは確かだったが、なぜだか声が聞こえなかった。不思議だったが、島田はそれでも心地よかったからか、きっと美しい声なんだろうと考えた。
「また会えるかな」
島田がそう言うと、その少女はあの時のようにとても大きな白金の翼を広げて、また聞こえるのに聞こえない声で言った。
「きっと」
すると、白金の羽があたり一面を一瞬で覆いつくし、水面に反射しているのか、それとも水面さえ覆いつくしてしまったのか、その羽はそこまでも覆いつくしてしまっていた。
そしてその白金の羽が放つ輝きは次第に強くなっていって、まるで太陽が放つ光の粒子に入り込んでしまったんじゃないかと思うくらいだった。
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