ボクの筆箱の中に入っていたのは、筆でした。
「記事、すごく良く出来てるね。私だけ楽しちゃってごめんね」
一条さんが、改めて謝った。記事を一通り読み、誤字脱字の確認が終わったのだ。
ボクの耳が熱くなっている事が、触らなくても分かった。
一条さんに、よく出来てるって言ってもらえた。嬉しい。気を抜いたら体がブルブルと震えてしまいそうだ。
自分の恋する気持ちに気付いてから今日まで、ボクはずっと一条さんにドキドキしながら過ごしてきた。
記事作りに集中出来たのも、休み明けの一条さんに少しでも楽をしてもらうため。
一条さんの笑顔を、もう一度盗み見た。頑張って良かったと、つくづく思った。
ボクが一人でニヤニヤしていたら、三井くんが口を開いた。
「一条さん、床でも楽に書けそう? まだしんどかったら、机を並べるよ?」
「ありがとう。でも、もう全然平気」
一条さんが答える。
「昨日もほぼ平気だったんだけど、念のために休んだの。今日、前から約束があって」
「その約束って、時間は大丈夫なの? 明日の朝にやるって手もあるけど」
「うん。時間はいつでも平気だから」
会話を聞いていて、ボクは三井君の気配りにまたも感心した。
三井君はすごいなあ。
一条さんの体調を気遣った上に、時間の心配までしちゃって。それに引き換えボクは、一条さんの顔をボケっと見ていただけ。
なんでボク、今日は一条さんの心配するのを忘れちゃってたんだろう。昨日まではすごく心配だったけど、今日は元気そうだったからかな……。
「――良し、やっぱり誤字はないと思う。一条さんも今チェックしたんだし、大丈夫そうだね」
三井君の言葉で、ボクは我に返った。
ボクがうなだれている間に、三井君は念のために記事を見直していたのだ。
ボクも三井くんみたいに、良く気が付く人になりたいな。何をどうしたら、こんな風になれるんだろう。
三井君を見ていると、すぐに自信がなくなってしまう。
「結局、この空きはどうしようか。中途半端だよね」
三井君は、空白のスペースを指差す。
「そこはもう、ちょっとしたイラストで良いんじゃない?」
と、四谷さんが提案した。四谷さんは、明るくて公平な人だ。男子とも女子とも仲が良く、ボクみたいな暗い男子にも構ってくれる。なんとなく、三井君が女子だったら四谷さんみたいな感じかもしれないと、ボクは思っている。
「記事一つ追加するには明らかに足りないし、これは仕方ないでしょ?」
「四谷さんって、イラストとか出来る?」
三井君が聞き返す。
「ううん、私は全然ダメ」
「じゃあ五木は?」
「むしろ俺が一番ダメだぞ」
三井君に自信満々で答えたのは、勉強は好きじゃないけど、体が大きくて体育の授業は大好きな五木君。
ボク(二川)に、一条さん、三井君、四谷さん、五木君。
班のメンバーは、この五人。
「じゃあどうする? やっぱり普通に文字で埋める?」
三井君が聞き直した。
「とにかく私は絶対に無理だからね」
四谷さんは、改めて強調した。
「絵にするなら男子の誰かでしょ。二川と三井はイラスト無理なの?」
「俺は無理」
と三井君が即座に答えた。三井君がキッパリ言うって事は、絵が相当苦手なのだろうか。
三井君が断ったので、皆がボクの方を見た。ボクも断らないと。
「ボクもあんまり――」「二川君はイラスト上手だよね」
ボクの声と一条さんの声が、同時に出てしまった。気まずい。すごく気まずい。
「なんだよ二川。隠してサボろうとするなよ」
五木君が、ボクをからかった。
うう、どうしよう。
「違うんだよ。一条さんは勘違いしてるみたいでさ。前にたまたま、ちょっと上手く出来ただけなんだよ」
「俺は上手く出来た事すらないから、俺よりは確実にマシだな」
「私よりもマシ。お願い、二川君」
四谷さんと五木君が、ボクに懇願する。
二人の様子からすると、本当に絵に自信がないようだった。
ボクは助けを求めて、一条さんを見た。
一条さんは、ボクに微笑みかけてこう言った。
「私、二川君の絵、好きだよ」
うう。一条さんって、何故かボクの絵を評価してくれてるんだよなあ。嬉しくて恥ずかしくて、胸が爆発しそうだ。
……よし! 一条さんが、そう言ってくれるのなら。
「分かった。やってみるけど、本当に期待しないでね」
ボクが引き受けると、皆が拍手をしてくれた。
特に拍手が大きかったのは、五木君だ。
「どんなに失敗しても良いからな。俺、他人の絵をバカにした事ってマジで一度もないから。俺より下手な奴は見た事ない」
五木君に笑いながら肩を叩かれて、ボクは少しリラックス出来た。早速、筆記用具で下書きでもしようかと筆箱を開ける。
――が、そこにいつもの筆記用具は入っていなかった。
「あ、ダメだこれ」
出鼻を挫かれてしまったボクは、五木君を見て照れ笑いをした。
「んだよ。なんでダメなんだよ?」
「ボク、いじめられてるのかも。筆箱の中に筆が入ってる」
ボクは、皆に向けて自分の筆箱を差し出した。筆箱の中には、絵筆が一本入っているのみ。
ボクが取り出した絵筆を、五木君が手に持って眺めた。
「なんだよコレ」
「だから、いじめ?」
自分で言ってて悲しくなってくる。
「二川がサボりたくて、自分で筆記用具を抜いたんじゃねーのか?」
五木君は納得がいかないようで、真面目な顔でそんな事を聞いてくる。
「違うよ。ボクが自分でそんな事しても、とりあえず誰かが筆記用具を貸してくれるだけだし」
「まあそうか。……でも、こんな変ないじめ、あるか? 中身を捨てるとかならともかく、なんで筆が入ってるんだよ」
ボクは筆を返してもらって、眺めた。
筆……。それに筆箱……。
「……もしかして『筆箱』だから『筆』を入れたのかな」
みんなが納得するとは思わなかったけど、とりあえず聞いてみた。
しかし、意外にも
「そうかも」
と、すぐに同意の声があった。控えめなボリュームでそう言ったのは、一条さんだ。
「今の話を聞いてて、二川君に筆記用具を貸そうと思って、開けてみたんだけど」
一条さんも、さっきのボクと同じように筆箱を突き差し出した。
「私の筆箱の中も、筆だけになってる」