一条さんが、ボクを見つめた。
「もう一回、鳴らしてみるね」
一条さんが、再び八戸さんの家のチャイムを鳴らす。
……やはり反応はなかった。
ボクは、沈黙に耐えきれずに口を開いた。
「これカメラ付いてるみたいだし、ボクが本当に来たからビックリしてるとか?」
「えー!? 中から二川君を見てたら、すぐに喜んで出てくると思うよ?
家に連れて来ればなんとかしてあげるからって言ってたもん、八戸さん」
「なんとかするって、どういう事だろう?」
八戸さんがどんな顔かは忘れちゃったけど、知的で優しそうなお姉さんだったはずだ。あんまり変な行動を取る人には思えない。
食べ物だけじゃなく、ゲームとかも用意してくれているのだろうか?
「ボクの為に準備してくれてたり?」
「なんだろね。ちょっと怖いよね」
一条さんは、やや心配そうに笑った。
ボクも、不安が募ってきた。
「もしかしたらボク、八戸さんに怒られるのかも」
「どうして?」
「なんで学校で一条さんと話さないの、とか……」
「あ、それ言われるとしたら私の方。二川君にもっと話し掛ければ良いのにって、前に言われた」
「そうなんだ。今日、たくさん話せたね」
「うん。たくさん話してくれた」
話してくれたなんて。そんな言われ方をされると、嬉しくなってしまう。
ボクは、誤魔化すように笑った。
「筆箱のクイズに夢中になって、たくさん喋っちゃったよ。
偉そうにしちゃったから、班のみんなに嫌われたかなあ?」
「二川君、全然偉そうじゃなかったよ?
みんな、楽しそうだったし。二川君がたくさん話してくれたから、みんなも楽しく考える事が出来たんだと思う」
「そう思ってくれてるかな?」
ボクにしては珍しくはしゃいでしまったので、どうも気になる。
「私はそう思う。今日は全部、二川君のおかげ。
私が筆箱の中を見せた時に、いじめじゃなくてクイズだよって言ってくれたでしょ? あの時に、私ってダメだなあって思ったもん」
「なんでダメなの?」
「休んだから意地悪されたのかなって私が思っている時に、二川君は『筆箱の中に筆が入ってるんだからクイズかもしれない』って発想が出来たでしょ?
すごいプラス思考で、本当にすごいなあって」
「プラス思考ってワケじゃないけどね。ボクも、最初に自分の筆箱だけ見た時はいじめかと思ったもん。
だけど、ボクと二川さんって繋がりが無さすぎるから、二川さんまで同時にいじめられるなんて変だと思って」
「そこですぐに変だと思えるのがすごいんだってば。
本当は、先に私が気付かないとダメでしょ?」
「たまたまボクが先に気付けただけだと思うけど」
ボクがフォローしても、一条さんはスッキリしないようで。
「だってさ、私の気持ちを知ってるのって六花だけなんだから。
冷静に考えたら犯人は六花しかいないもん」
「一条さんの気持ち……?」
「あ、気持ちっていうか、その……!」
一条さんはあたふたし、口の前で手を振った。
「なんて言えば良いんだろ。
私が二川君に優しくしてもらった話って、六花にしか言ってないから。それで、お礼が言いたいって話してて……。
そう! そういう感謝の気持ち!」
「そうなの?」
内心、驚いた。そんな風に思ってくれていたなんて。
「ボク、あの日は何も励ましたり出来なかったなと思って、ずっと後悔してたんだけど……」
「違うの。あの日の私、後半は嬉し涙で。絵の説明を聞いてたら、感動しちゃって――」
一条さんは慌てたようにそう言うと、うつむいた。
「ありがとうって言いたかったんだけど、どんどん涙が止まらなくなって。それで、絵を見ながら頷くだけになっちゃって。ごめんなさい」
「そんな。謝らないでよ」
ボクは胸がいっぱいで、どうすれば良いか分からなかった。
「一条さんがそんな風に思ってくれてたなんて、すごく嬉しいよ。ボクでも、少しは役に立てたんだね」
一条さんが、ゆっくり顔を上げた。
「あの……あのね……!」
一条さんの声は、震えていた。嫌な事を思い出してしまったのかもしれない。
「一条さん、大丈夫? 辛いなら思い出さない方が良いよ」
しかし、一条さんは首を横に振った。
「違うの。そうじゃなくて」
一条さんが、強い思いを込めた視線で、ボクを見つめた。
何か伝えたい事があるのだと、鈍感なボクにもさすがに分かった。
ボクは慌てて口をつぐんだが、一条さんも黙ってしまった。
五秒だろうか。十秒だろうか。
まるで時間が止まったように静かで。
意を決したように、一条さんが小さく一歩踏み出した。
「二川君、私――」
その時。
「奈々ちゃーん! 待たせてごめんー!」
若い女性の声が道に響いた。遠くの自転車から、こちらに向かって叫んでいる。
「あ、八戸さんだ!」
一条さんは、表情をコロッと変えて、八戸さんに笑顔で手を振った。
ボクは、こっそり深呼吸をしながら、一条さんの横顔を覗き見た。
一条さん、何を言おうとしたのかな……?




