1.いざ出発
その日、匠太は現実の問題から逃げるようにフリーダムバースへログインした。
先程かかってきた母親からの通話によると、妹の沙彩が前より輪をかけてゲームに熱中しているらしい。
そのタイミングが匠太が帰省した時と重なっていたので、何か事情を知っているか、という話だった。
沙彩が不機嫌なのはいつものことだったが、別段変わったやり取りはしていないと思った匠太は心当たりは無いと答える。
近いうちに沙彩と話をしてほしいと頼まれた彼はそれを了承して、タイミングを計るため妹への連絡は後日にすることにした。
「――心配は心配なんだけど、俺の話じゃ聞く耳持ってくれないだろうな」
フリーダムバースにログインしたショウは、噴水の前で鼻の頭を掻く。
エーアシュタットは今日も快晴で、行き交う人々は活気にあふれていた。
とりあえず現実の事はおいておき、こちらに集中しようと両頬を叩く。
なにせ今日はなんとしてもヴェコンにたどり着いてセラスたちに合流しなくてはならない。
ショウはよしっ、と気合を入れた後、リリィとの約束通り冒険者ギルドへ足を向けるのだった。
――
噴水がある広場から冒険者ギルドへは割と通い慣れた道なので、難なくその出入り口に到着したショウ。
そこには旅支度を済ませていたリリィが、荷物を詰め込んだバックパックを足元に置いて、彼を待っていた。
いつもの制服姿ではなく、旅に適した軽装に動きやすさを重視した皮装備の防具。
砂塵から身を守るフード付きの外套を羽織り、準備万端のようだ。
「……リリィさん、その恰好は?」
「ああ、ショウ様。お待ちしておりました。ではさっそく南門へ行きましょう。馬を手配しております」
「えっ、いやいや……えっ、他の方とかは?」
「? 私ひとりですけど?」
「……俺はてっきりギルドの人、何人かで行く馬車だと思っていたんですが」
「今回の『視察』は私ひとりなんです。なので馬車ではなく、馬に乗って向かいます」
そう言いながら、リリィは足元のバックパックを背負う。
ショウに笑顔を向けながら、門への道を先導して行く。
約束をした時に詳しくは聞かなかったため仕方がないが、まさか二人旅とは思ってもみなかったショウは戸惑いながらもリリィの後を追うのだった。
その後、門へ着いたリリィは門衛に一声かける。
頷いてどこかへ走って行った彼は、もう一人の門衛と共にそれぞれ馬を引いて戻ってきた。
鞍の後ろには荷物が掛けられており、こちらも出発の準備は整っているようだった。
リリィはまず一頭の馬を引き取り、ショウを手招きする。
「ショウ様、乗馬の経験は?」
「あ、ありません」
「では足をここへ掛けてください。私が補助しますので、静かにしっかり上ってみてください」
足を掛けろと言われた位置が予想より大分高かったため、最初こそ手間取ったが最後はリリィの手を借りて勢いで馬に乗る。
そこから見る視線の高さにも驚きと緊張を覚えつつ、ショウはリリィから手綱を渡された。
次は自分が、とリリィはもう一頭へ近づいて行く。
馬の後方から接近したリリィは、まるで踏切板無しの跳び箱をするように跳躍し、尻尾の付け根辺りに手をつけてそれをバネに飛び上がり騎乗した。
その流れるような動きに見惚れたショウは、おぉうっ、と声を漏らしてしまう。
手綱を操り、ショウの元まで来たリリィが笑顔を向ける。
「驚きました。リリィさんって、運動神経良いんですね」
受付業務をしているからというのもあるが、普段の物腰の柔らかさから機敏な動きをしているのを想像できなかったため、ショウは思ったことを口にしてしまう。
その言葉にリリィは頬を少し膨らませて、怒っていることを体現した。
「まぁ! ショウ様は私を鈍臭い奴だと思っていたんですか? それは心外です」
「あっ、いや。決してそんなことは無くて……馬に乗るときの動作が軽やかだったというか、綺麗だったので」
「きれ――あ、ありがとうございます。でもあの乗り方は馬と心を通わせていてもおススメできません。最悪蹴られてしましますから」
「えっ、じゃあ何でそんな危険な事を?」
「……すいません。少し恰好つけようとしてました」
「……」
照れ笑いを浮かべて舌先を見せるリリィ。
自分が思っていたよりもお茶目な性格をしていることを思い知らされたショウは、驚きつつも自然と笑顔になった。
それを受けてリリィも微笑み、ショウの馬より一歩前へ出る。
「この子たちはギルドが所有しているペットですので、ショウ様が操る必要はありません。私が先導しますので、できればその子に合わせて身体を動かして下さい」
姿勢を正して小さく前後に身体を動かして、お手本を見せるリリィ。
皮鎧を付けているため揺れる立派な双丘を拝むことが出来なかったが、それはそれとしてショウは見よう見まねで同じ動きを繰り返してみた。
まだ肩に力が入っているため、ぎこちなさを見て取ったリリィは笑いながら――
「その調子です。すぐに慣れると思うので、リラックスして行きましょう」
「りょ、了解です」
「では、ヴェコンへ向かって出発します」
門衛にお世話になったお礼を述べて、リリィが馬の腹を軽く蹴る。
彼女の馬が常歩で動き出すと、それに追従するようにショウが乗っていた馬も動き始めた。
予想よりも揺れが大きく、焦ってしまったショウが手綱を引っ張る。
「ショウ様、手綱は止まりたいときに引いてください。それまでは首の動きに合わせて軽く張るくらいで良いので」
「わ、分かりました。お、おぉう……うおっ……ひぃ」
初めての乗馬で悪戦苦闘するショウを見守るように、微笑んで前を向き直るリリィ。
人が多い南門を出て街道をしばらく行くと、均されただけの道は人影がまばらになる。
いたずらな笑顔で肩越しにショウへ目をやるリリィ。
「どうですか? ショウ様、慣れてきましたか?」
「そう……み、見えますか?」
「ふふっ、お上手ですよ。少し速歩にしてみましょうか」
「えっ、あっ、ちょっと――」
リリィが足に力を入れると、合図を受けた馬は常歩から速歩へ歩調を変えた。
身体を揺らしながらも必死に踏ん張っているショウを見て、満足気に微笑んだリリィは街道を駆けて行くのだった。